〔巻頭言〕自転車の旅の素晴らしさ 自転車文学研究室主宰/小説家・エッセイスト 白鳥 和也
シクロツーリスムという言葉で国際的に通用する余暇活動、すなわち自転車の旅に対する関心が、ここ数年でかなり高まってきている。二〇〇〇年頃以降のわが国の自転車ブームは、都市部の日常使用での快適さの発見、高性能な本格的スポーツサイクルの普及というような段階を経て、ようやく、旅という、より空間的にも時間的にも拡大された運用法が浸透し始めてきていると言っていいだろう。
自転車の旅は、単に、ほかの交通機関の置き換えとして、自転車の利便性を利用しているだけではない。自らの身体を使って移動してゆくこと自体に、この道楽ならではのよろこびが見つかる。同じところを訪れても、自分の身体や五官を使ってそこに辿り着くと、感動はずっと大きくなる。大量消費型の観光行動とは少々異なり、観光スポットという点を拾い集めてゆくことが重要なわけではない。
自転車の旅人にとっては、その行程の途中で出会うあらゆるものが、記憶に値するものとなる。地元の人しか通らないような、名もない旧道。時間をかけて上った、長い長い坂。自転車を立てかけて、その傍らで休んだ石垣。
そうしたものすべてが、かけがえのない旅の記憶となる。自転車の旅は、線の旅であり、この国の、地域地域における風土や文化の違いに驚き、普通の人々の暮らしぶりのなかに、何か注目に値するものを見いだす。腹もよく減るので、贅沢な料理でなくても地元のあれやこれやがおいしい。
一日走って宿に辿り着くことが、どれほどうれしいことか。自転車の旅では、予定通りの到着さえ当たり前ではない。パンクや雨天に対処するだけではなく、時に危険な交通事情や、便利だが面倒でもある輪行(自転車を軽く分解して袋に入れ、持ち主が携行して鉄道等の公共交通機関に乗ること)作業も自己責任で対応しなければならない。
だから自転車の旅は、大人の遊びでもあるが、その間口は広い。泊まりの旅でなくても、ずいぶんと見聞を広めることができるし、自転車が走りやすいところが遊び場だから、資源は無尽蔵だ。ガイド付きサイクリングも普及しつつある。
欧米では、自転車の旅人はむしろ上客とされる。受け入れ側に求められることもそれほど難しくはない。自転車の旅人特有の要望があるとすれば、皆、高価な自転車を自分の体の一部のように大切にして乗っているので、せめて館内に入れて施錠することを許してほしいということぐらいだろう。
前述の「輪行」をはじめとして、制度やシステムの整備、周囲の理解、サイクリストのマナーの徹底等、課題は少なくないけれども、地域文化の繊細な差異や人々との出会いを、全身全霊で体験できることがこの遊びの何よりの面白さだと思う。『観光文化』のようなオピニオンリーダーのメディアが、自転車の旅を取り上げてくださるようになったこと自体に、隔世の感がある。
(しらとり かずや)
掲載内容
巻頭言
自転車の旅の素晴らしさ P1 | 白鳥 和也 |
特集 自転車と地域振興
特集1 観光における自転車の可能性について考える P2 | 小林 成基 |
特集2 自転車で「走れば愉快だ宇都宮」―自転車のまち宇都宮を目指して P6 | 小川 恵太 |
特集3 世界に誇るサイクリングコースしまなみの展望―住民参画の自転車まちづくり P10 | 山本 優子 |
特集4 『旅チャリ』で町に優しく、「旅」は楽しく―JTB48と『旅チャリ』と P14 | 高知尾 昌行 |
視点 イベント継続の意義と秘訣―「天領日田おひなまつり」はなぜ二十八年間も続いているのか P19 | 朝倉 はるみ |
連載
連載Ⅰ あの町この町 第42回 牧之通り誕生記 ―新潟県南魚沼市塩沢 P24 | 池内 紀 |
連載Ⅱ ホスピタリティーの手触り 63 ラグジュアリーであれ、ニッポン P30 | 山口 由美 |
新着図書紹介 P32 |