足尾銅山 (観光文化 188号)
特集 : 足尾銅山-その歴史に学び保存活用を期する
栃木県足尾町(現・日光市)は日本の近代産業化を担った銅山の町。この地域では現在、閉山(一九七三年)以来手つかずに残る歴史的資源を産業遺産として保存・活用していく地域振興策や世界遺産の登録に向け動き始めている。今号では、足尾銅山の歴史、環境、産業遺産などの保全の意義について考え、地域振興に向けたさまざまな取り組みを紹介する。
- 発行年月
- 2008年03月発行
- 判型・ページ数
- B5判・32ページ
- 価格
- 定価1,540円(本体1,400円 + 税)
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[巻頭言] 足尾の紅葉 作家 立松和平
昨年もいろいろなことに感動したものだが、その一つに私たちが十三年前に足尾に植林した樹木が森になり、見事に紅葉していたということがある。周りの山が銅山製錬所の出す煙のため煙害を起こし、ほとんど枯れた。赤茶けた風景の中に、紅葉の鮮やかな赤や黄があるものだから、一段と目立つ。
私は「足尾に緑を育てる会」の神山英昭会長と一緒に植林地を歩き、その見事な色づき具合に、幾分感傷的にもなった。神山さんは足尾に在住しているので知っているにせよ、植林とは関係のない秋も深まったころなので、この季節に私は植林地を歩いたことがこれまでなかったのである。
樹は大きいのは七メートルほどに育っていて、多種多様の樹種があるせいで、完全に森となっている。植林をした時には仕方がないのだが、樹木の間隔が近すぎ、間伐をしなければならないほどである。ほとんどが広葉樹なので間伐にそれほど神経質になることはないにせよ、やがて多少は樹を切り払って整理しなければならないだろう。
「植林活動はうまくいったということだね」
「ここまでうまくいくとは思わなかったね」
神山さんと私はこんな会話を交わした。神山さんとは三十年来の友である。約十三年前に神山さんたち古い仲間と「足尾に緑を育てる会」をつくって植樹を始めたのは、足尾鉱毒に対する本格的な反対運動を行うため国会議員を辞し、民衆の中に入っていった田中正造(一八四一~一九一三)の影響であった。田中正造は帝国議会で何度も質問に立ち、治山治水を訴えた。水源域を荒廃させないことが、山を治め川を治め、民を安穏にすることだと説いたのである。その田中正造がやり残してきたこととして、私たちは水源域の復活すなわち治山治水をするため、草木はすべて枯れ表土さえも失われた山に樹を植えることを始めたのだ。
苗と土とを山の傾面に担ぎ上げ、ガレ場をスコップやツルハシで掘る。土を入れ、苗を入れる。それは植木鉢に植えることと一緒で、樹はすぐに枯れるだろうと忠告してくれる人も多かったが、樹自身が持つ生命力が勝り、こうして見事な森になっていったのである。
十三年はあっという間だが、最初の年に植えにきた七歳の小学一年生が、二十歳の青年になる歳月なのだ。実際に毎年植林にきてくれる家族がいて、子供の成長に目を見張る。
(たてまつ わへい)
掲載内容
巻頭言
足尾の紅葉 P1 | 立松和平 |
特集 足尾銅山-その歴史に学び保存活用を期する
特集1 足尾銅山、世界遺産登録への道 P2 | 永井 護 |
特集2 足尾銅山と近代技術 P6 | 鈴木 淳 |
特集3 自分史の中の足尾銅山 P10 | 小野崎 敏 |
特集4 足尾銅山緑化の歩み ―取り組みの歴史、現状と展望 P14 |
神山英昭 |
視点 ブータンに学ぶ観光開発の哲学 -GNHとツーリズムの関係性についての一考察 P18 |
山村高淑 |
◆連載
連載I あの町この町 第26回 大漁満足 -鳥取県・琴浦町 P22 |
池内 紀 |
連載II 明治のジャパノロジスト F.ブリンクリーの「美しい国ニッポン」(5) 英国に認めさせた初の国際結婚 P28 |
沢木泰昭 |
連載III ホスピタリティの手触り 47 成熟の国へ P30 |
山口由美 |
新着図書紹介 P32 |