コロナ禍で突然生まれた現在の空白の時間に、どれだけのことがやれたかに今後の地域の命運がかかっているように感じるのは私だけだろうか。これまでもコロナのような災厄は地域の新陳代謝を一挙に促進するといわれてきた。こうした突然の余白に、私たちはどのような未来を見ることができるのか。
少し前のインバウンドのバブルやオーバーツーリズムがうそのような世の中の変転である。そして訪れたこの余白の時間は、私たちの足もとを見つめなおす絶好の機会ではないだろうか。
足もととは、私たち自身の生活環境であり、魅力的なお店やそこで努力している商店主であり、より広い地域の宝と言えるような隠された資源や物語であり、過去から受け継いだ遺産や課題、それらをひっくるめた地域の歴史や文化である。
私たちは存外に身近なものごとには関心を持たないものである。あまりに身近すぎて、外部の目で身の回りを見つめ直す機会もほとんどない。あるいは、重要だとは思っていたものの、忙しさにかまけて、つい見過ごしてしまっていたり、分かった気になってそれ以上の深掘りをしていないということもあるだろう。こうした足もとの対象を、つまり「不要不急」だとこのところ言われ続けてきたような一連のことを、正面から見つめ直してみることである。
それは自分のビジネスのあり方を振り返ることにも通じる。しかし、それは新しいビジネスプランを考えるということにとどまっていてはいけない。地域の可能性を再発見し、そこへ向けてそれぞれが何をやればいいのかを、大きな視野で見通すことである。
足もとに光を当て、当たり前だと思っていた日常的な風景の背後にはさまざまな物語が隠されていることを知ること、そのためにこの貴重な余白の時間の幾分かを使いたい。そのためには想いを持った人と議論すること、地域を歩き回ること、市史や町史をもう一度ひもとき直すこと、いろんな手立てがあり得る。
住んでいる自分たち自身が面白いと実感し、将来の可能性を感じるような地域でない限り、訪れる人も魅力を感じてくれないのではないだろうか。面白さや可能性にやや欠けたところがあると感じたならば、まずそこを埋めるために動くことである。地域が動いてこそ、ひとも動いて来てくれるのだ。
その意味で、観光は他者の問題である以前に、自分たちの問題であるといえる。
観光に携わる方々は、日常的な業務が途切れなく続くので、現在のこの瞬間のように、もういちどまっさらな目で自分たちの足もとを見直すという機会を持ちにくい。そのきっかけをコロナが与えてくれたと考えるならば、この空白は貴重な可能性を持っていることになる。