② 現代社会における観光教育の役割を考える
ウィズ/ポストコロナ時代を見据えて

1 現代社会における観光教育の現状と展望

(1)観光教育とは何か

 近年の観光立国政策におけるインバウンド誘致や地域創生の取り組みの様々な場面で、観光教育に対するニーズが高まり、それに関する議論が活発化している。学術論文検索システムのCiNii(注1)や国の競争的研究資金「科学研究費補助金データベース」(注2)において、「観光教育」等の関連用語を含む研究課題を検索した結果を表1にまとめた。CiNiiにおいては、観光教育関連の研究は2000年代に入り増加する。専門誌の特集記事による件数の増加や「日本観光ホスピタリティ教育学会」の機関誌が2006年以降発行されるようになった影響も大きい。一方で、観光教育が、科学研究費の主題として採択される例は非常に少ない。複数の観光系学会において、様々な観光教育研究が見られるが、教育機関のカリキュラムやインターンシップなど教育内容を論じるものが多く、観光教育の社会における役割や、国・地域の観光政策との関係、さらには産業界と教育機関の連携や接続を論じる研究は少なく、現代社会における観光教育を俯瞰する学術的研究は非常に少ないのが実態である。

 一般的に「観光教育(tourism education)とは、観光の持続可能な発展を支える人材育成を目的とする教育」と定義されるが、実際には観光人材育成だけが観光教育ではない。観光は広く社会に浸透し、旅する意味や人々の交流、まちづくりとの関りまで含めると、現代社会における観光の健全な発展やそれに関わる様々な事象を題材に学べることから、観光は幅広い教育的意義を有している。
 観光の発展を支える人材育成を目的に教育を行うことは、「観光を学ぶ」ことであり、これが一般的に認識しやすい「観光教育」である。この「観光教育」は、①幅広い観光事業に従事する人材育成を行う「観光の実務教育」と、②現代社会を生きる人々が観光の意義を知り、より豊かに生きるために観光がどうあるべきかを学ぶ「観光の基礎教育」の2つがある。一方で、他の教育目標の達成が主である場合に、課題解決の手段として観光に注目し、「観光で学ぶ」ことになり、これを「教育観光(educational tourism」と呼ぶ。(図1)

(2)観光政策と観光教育

 観光立国推進は、主に経済発展と観光の成長を支える人材を求め、「観光の実務教育」に注目が集まるが、諸事象が観光との関りを深めれば、様々な教育題材として、観光の活用機会も増える。結果として、観光教育に関する議論は増えるが、そもそも「観光教育とは何か」に対する理解が深まらないまま、異なる立場で論じられることも多い。観光教育の議論を進めるためには、まずは観光教育の定義を明確にするべきであろう。
 教育学者のマイケル・W・アップルは、「国家が教育に関与し、権力が教育の正当性を蓄積する」と指摘した(注3)。日本では、文部科学省が教育の所管行政機関として、教育行政を担っている。国は社会の変化やニーズを取り込み、時代に適応できる教育行政が民主的に行われると期待するが、政府が、国家権力を行使し、進むべき方向に合わせた教育に取り組んでいることも事実である。戦前の教育思想や様々な教育改革への批判からも省みれば、国家権力が教育を常に正しい方向に導く保証はなく、社会で行われる教育の必要性や正当性も本来十分吟味すべきである。
 観光教育についても、国家が観光をどのように認識し、政策に位置づけ実行しているのか、その変遷に目を向けると、観光教育が観光政策と深くかかわってきたことがわかる。一方で、主に観光行政を所管する観光庁などの関連機関と教育を所管する文部科学省の観光教育に対する考えは、必ずしも同じでなく、それぞれの施策を基盤にするため、十分に連携が取れている状況にないことも推察される。
 筆者は、観光教育を研究し、教育にも携わる立場から、観光教育に関する政策を見てきたが、観光教育の本質的な意義や役割を踏まえ、客観的で論理的な視点で議論されてきたとは言えない点があると考える。観光教育そのものが、社会の変化や国や地域が示す観光政策に寄り添いつつ、実際には、議論が不十分なまま、現在に至った可能性も高い。

2 観光教育の変遷と研究の視座

(1)観光教育の変遷

 1893年にスイスのローザンヌホテルスクールが開校し、さらに1922年にアメリカのコーネル大学がホテルの経営教育に着手したことからわかるように、海外の観光教育事例として、ホスピタリティマネジメント教育が取り上げられることが多い。
 日本の観光教育は、1930年に富士屋ホテルトレーニングスクールが開校したことに始まり、東京オリンピック開催に向け、1935年に国際ホテル学校(現在、東京YMCA国際ホテル学校)が開校した。立教大学は、1946年に「ホテル講座」を開講し、1966年に社会学部産業関係学科「ホテル・観光コース」を設置、1967年に社会学部観光学科を開設した。1987年に総合保養地域整備法が制定されると、全国の複数大学で観光系学科が開設されるが、バブル経済の崩壊後、広がることはなかった。
 しかし、2000年代の観光立国推進により、国が観光教育に言及する機会も増え、大学の観光系学部・学科の開設が相次ぎ、国公立大学でも観光学部や学科が開設されていく。(公財)日本交通公社(2020)の「旅行年報2020」によれば、「観光」「ホスピタリティ」「ツーリズム」などを学部・学科名称に持つ大学は、43大学である。これにコース名や観光関連科目を開講する大学を含めれば、100を大きく越え、大学で観光を学ぶことは珍しくなくなった。また、バブル経済期には、高校の専門学科でも地域人材育成のため観光学科の開設が始まるが、バブル崩壊後拡大に至らなかった。しかし、2003年の文部科学省の学習指導要領改訂で「総合的な学習の時間」「学校設定教科・科目の設定」が指針となると、専門学科の観光教育だけでなく、普通科の観光コース導入や学校独自の観光科目設置、さらに「総合的な学習の時間」において、観光を題材とする教育が多く見られるようになる。
 政府も2008年観光庁の発足以降、観光関連大学との会議やインターンシップや観光経営マネジメント教育のカリキュラム開発、さらには産学連携による観光産業の経営人材育成として、京都大学や一橋大学に観光MBAコースを開設した。観光庁の視点は、観光産業や地域の観光人材育成にあり、観光産業の担い手を「観光産業をリードするトップレベルの経営人材」から「観光の中核を担う人材」、さらには「即戦力となる地域の実践的な観光人材」の3層構造で捉えている。この他も含めて、観光産業や地域観光の振興に向けて、観光庁による観光教育や人材育成への施策が目立つ状況になった。(表2)

(2)観光教育と教育研究

 海外の観光教育研究は、先に述べたようにホスピタリティマネジメント教育分野で進んだが、近年は観光教育の意義を考える立場からカリキュラムに哲学や社会学といった批判的な学問を導入し、持続可能性や情報技術、さらには哲学的実務家の育成なども構想した幅広い視点から教育を考える認識も見られる。(注4、図2)グローバル化が進む社会において、国は、アメリカのホスピタリティマネジメント教育を手本に経営人材育成カリキュラム検討などの取り組みを進めるが、日本の観光教育全体を俯瞰し、日本の観光関連産業や地域、さらには社会制度や教育制度を踏まえて、十分な議論が行われてきたとは言えず、限定された問題意識と価値観から試験的実践が積み重なってきたのが現状である。

3 観光教育を問い直す

(1)観光教育の転換点

 観光立国のための観光実務教育の進展には、大学・短大や専門学校、高等学校の専門学科における教育が重要であるが、観光まちづくりや旅人の視点で見る観光基礎教育も含めれば、高校普通科や小・中学校の幅広い学びにおいても観光教育が展開できる。さらに、観光が持つ教育効果を生かした「教育観光」も含めれば、観光がもつ教育価値は、非常に多様である。
 観光庁は2017年から小中高等学校等における観光教育事業に取り組み始め、「観光教育モデル事業案」や「教員向けの指導案」を作成した。しかし、取り組みを通して、様々な形で観光教育が行われていることを知り、2020年に「初等中等教育における観光教育の推進に関する協議会」を設置し、観光教育の意義をあらためて確認し、目的・方向性の共有と普及に向けたプログラム開発に着手している。この議論においては、初等中等教育における観光教育が、どのように観光に貢献出来るかという従来の視点もあるが、観光が持つ力が幅広い世代の学びにどのように貢献できるか、そのための観光の教育効果を考えるという根源的問いも見られる。(注5、図3)

 教育所管の文部科学省は、観光教育に対しては、これまでは踏み込んだ施策を示してこなかった。前述の通り、高校でも観光教育は行われているが、観光地域の人材育成と少子化における学校の生き残りに対応して、特定地域や学校で行う特別な教育であり、国として観光教育を認識し、広く教育として展開するという考えはなかった。
 このような状況下で、2022年から導入される高等学校の新学習指導要領の商業科目に「観光ビジネス」が開設されることになった。これにより、標準科目として、全国の商業高校や商業科目をカリキュラムに配置する学校で導入が進むことが期待される。「観光ビジネス」の検定教科書も発行される見込みである。筆者が知る限りでも、各都道府県にある商業教育研究会で「観光ビジネスをどのように進めるか」を議論するケースが散見される。
 しかし、学習指導要領はおよそ10年で改訂される。次回以降「観光ビジネス」が継続するか未定であり、その継続は今後の教育成果にかかっている。
「観光ビジネス」教育の詳細は、各都道府県や学校が決定するが、2〜3年次において2〜4単位で履修することが想定される。科目の目標は、「商業の見方・考え方を働かせ、実践的・体験的な学習活動を行うことなどを通して,観光ビジネスの展開に必要な資質・能力を次のとおり育成することを目指す」もので、具体的な内容としては、①観光とビジネス、②観光資源と観光政策、③観光ビジネスとマーケティング、④観光ビジネスの展開と効果、などの資質・能力を身に付けることができるよう指導するとされている。
 商業科の20の専門科目のひとつとして、「マーケティング分野」に位置づけられるため、「観光の実務教育」を推進する取り組みとなるだろう。(注6)

(2)地域の学びとしての観光教育

 観光学は学際的な学問として、観光学部を除けば、大学の様々な学部内に位置づけられている。近年大学では、グローバル社会に対応する国際系学部学科の新設が増加していたが、同時に地域に目を向けた学部学科も増加している。2016年度から国の運営費交付金の重点支援の1つとして、「人材育成や地域課題を解決する取組などを通じて地域に貢献する取組とともに、専門分野の特性に配慮しつつ、強み・特色のある分野で世界ないし全国的な教育研究を推進する取組等を第3期の機能強化の中核とする国立大学を重点的に支援する」ことが提示された。内閣府も「まち・ひと・しごと創生基本方針2021」で「魅力ある地方大学の創出」を掲げ、地域の産業振興や人材育成に注力する。地方大学で、地域の魅力を研究するカリキュラムが増えれば、観光系学部学科以外の学部学科でも、地域を素材に学ぶ機会が増え、観光関連の名称をもたずとも観光関連の知識や技能を修得し、知見を活かす機会につながると考えられる。
 つまり、地方大学においては、観光産業志向の実務教育としての観光教育だけではなく、地域課題に向き合う手段として観光教育に取り組むことが増えることが期待される。現在感染が拡大する新型コロナウィルス感染症(COVID-19)で観光産業が打撃を受けているが、地域課題の解決に取り組むことは、観光教育がもともと持っている重要な視点である。地域での交流人口の増加や産業の活性化に観光視点から取り組む事例は、COVID-19の影響でも減少することはないだろう。時代の潮流にしっかりと向き合えば、地域において観光教育の議論は継続するものと期待される。

4 観光教育はどこに向かうか

 2020年に世界に感染拡大したCOVID-19は、観光教育に多くの課題をもたらしている。筆者が考えるだけでも、以下4点が挙げられる。
① オンライン授業で、教員達は様々な工夫を行ったが、観光現場の視察や調査、インターンシップなど学外活動については、オンラインで代用することは困難であること
② 観光を学ぶ学生達の目標のひとつである観光業の採用中止が見られ、他分野を模索する学生が増加。下級生たちも不安を抱え、動機づけが困難であること
③ 近年は大学の観光系学部・学科開設が急増し、受験希望者も増えたが、COVID-19による将来不安で、多くの大学で受験者数が激減していること
④ 新たな観光ニーズに対応する形で、観光のビジネスモデルは変化してきたが、COVID-19によりオンラインビジネスや新たなライフスタイルへの対応が急務となり、観光マーケットやビジネスモデルは大きく変化し、新たな観光教育のカリキュラム開発が求められること
 他の論点も含めて、観光教育関係者として、当然生じてくる社会の変化や要請だけでなく、COVID-19後の観光教育について、改めて議論する必要性がある。同時に、COVID-19は観光産業だけでなく、新たな観光の価値を見出すとも考えられる。観光の人材育成や観光と関わる教育も、社会の動向に対応する形で、どうあるべきか今問われていると言えよう。
 海外の観光ホスピタリティ教育から学ぶべき点も多い。観光学研究の国際化や企業や地域と連携したビジネスや政策実施に観光研究の成果を生かす必要もある。また、グローバル化が進む観光産業界において、観光庁の様々な取り組みにあるように、高度な観光経営人材育成も必要である。さらに、地域観光の役割を理解し、観光まちづくりに貢献できる住民のリテラシー養成として観光を学ぶことも期待される。
 そして、日本の地域課題は多く、新たな消費増加につながる交流人口の創出や地域資源を活かした新ビジネス創出に観光は有効な手法であるため、「観光」という名称にこだわらなくても、地域産業の活性化や交流人口増加のために、地域資源価値を高める教育の取り組みが急増していることが重要である。1次産業や2次産業と観光が結びつき、生まれる地域ビジネスも散見される。
 この地域の多くの政策課題とそれ関する多くの素材は、様々な学びを可能とし、従来の観光教育とは異なる多様な教科・科目から観光に対するアプローチを可能とする。つまり、従来の「観光教育」のように、学校や教員、生徒達が「観光教育」を意識しなくても、「地域素材で観光を学ぶ教育」が必然的に増えていくものと考えられる。観光をめぐるグローバルな動きとVOCID-19ショックは、新たな国の政策と教育行政につながり、地域課題に向き合う学校の取り組みを求めていくだろう。この現状から考えれば、観光教育の可能性が、地域から広がっていくことが期待される。今、我々が改めて観光教育とは何かを考える契機となるのではないだろか。

宍戸 学(ししど・まなぶ)
日本大学国際関係学部国際総合政策学科教授。埼玉県出身。立教大学大学院観光学研究科博士課程前期課程修了(観光学修士)。埼玉県・北海道の公立高校教員、2003年札幌国際大学専任講師、2006年横浜商科大学を経て、2018年から現職。現在は、日本観光ホスピタリティ教育学会会長、日本国際観光学会理事、ほか学会や国・自治体、企業等との連携を通して、研究・教育に取り組む。2009年より日本学生観光連盟顧問として、大学横断型の観光人材育成も行う。観光・ホスピタリティ教育を専門とし、現在の研究課題は「高等学校における観光ビジネス教育導入による観光教育の体系と接続に関する研究」(2021〜2023年度科研費研究代表者)。

補注
注1)CiNi(i NII学術情報ナビゲータ[サイニィ])は、論文、図書・雑誌や博士論文などの学術情報が検索できるデータベース・サービスである。https://ci.nii.ac.jp/
注2)科学研究費助成事業データベースは、科学研究費助成事業により行われた研究の成果を収録している。https://kaken.nii.ac.jp/ja/
注3)マイケル・W・アップル(1992)教育と権力、日本エディタースクール出版部
注4)観光研究と観光教育に関する考察については、以下の2つの論文を参照。
・田中敦、宍戸学、市岡浩子、栗原美紀、郭玲玲(2016)グローバル化する社会に対応する日本型観教育モデルに関する考察、日本観光ホスピタリティ教育学会第15回全国大会発表論文集、49-60
・宍戸学(2018)観光教育研究と観光人材育成の推進 観光研究Vol29no.2 92-99
注5)観光庁資料「初等中等教育における観光教育の推進に関する協議会」よりhttps://www.mlit.go.jp/kankocho/content/001397184.pdf 2pより
注6)「学習指導要領」は、小学校・中学考・高校における教育課程(カリキュラム)を編成する際の基準を定めている。科目「観光ビジネス」の詳細は、「高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説」を参照。https://www.mext.go.jp/content/1407073_15_1_1_2.pdf