特集1

はじめに
当財団では、これまで数年に渡り、訪日外国人旅行者の来訪と地域への経済効果について研究を重ねてきた。研究を進めていくうちに、地域への経済効果という観点からは、滞在中の消費促進だけでなく、滞在前後(滞在と滞在の間)の消費促進も含め、これらを循環させていくことが重要であることを確認してきている。こうした循環を生み出すにあたっては、現地で日本国内の産品がある程度流通しており、かつ訪日外国人旅行者数も一定程度存在している状態であることが求められる。そこで、今回はこれらの条件が揃う香港を舞台に特産品ブランドを活用した外国人旅行者の誘客への取組を展開する2事例を紹介する。

なぜ香港なのか?
― 香港は成熟化したインバウンド市場 ―
2018年の香港からの旅行者は約220万人※1、旅行消費額は3355億円※2となっており、ともに全国籍・地域中4位となっている。これだけでも我が国のインバウンド市場においては重要な市場と位置づけられるが、特筆すべきは、その客層や旅行行動である。
香港からの旅行者は、観光・レジャー目的では83・4%が訪日リピーターとなっており、約20%は訪日回数が10回以上のヘビーリピーターとなっている(図表1)。また、リピーターを中心に地方部への訪問率が高く(図表2)、訪日回数が10回以上のヘビーリピーターは、地域文化と密接に関係している日本酒や温泉入浴の実施率が高い(図表3)ことも香港の特徴である。何度も訪日し、日本各地でさまざまな体験を楽しむ香港からの旅行者はインバウンド市場においては成熟市場と言えるだろう。

香港は農林水産物・食品の最大の輸出先

輸出先としての香港は、関税がかからないこと、動物検疫や植物検疫の制約がないこと等、規制が少なく、輸出にあたっての障壁が低い。これに加えて、物流システムが充実しており、国内と大差ないスピードで流通させられるため、農林水産物・食品の輸出額は、年々増加傾向にある(図表4)。2017年には、我が国から香港への農林水産物・食品の輸出額は1877億円(農林水産物・食品の輸出総額の23・3%)※3で、最大の輸出先となっている。
主な輸出品は中華料理で活用されるナマコやホタテなどの水産物となっているが、菓子、牛肉、アルコール飲料など地方の魅力が発揮できる品目が上位にランキングされている点も興味深い(図表5)。
こうして日本から輸出された食材は日本食レストランや小売店等に卸されるが、当然のことながら、その「受け皿」が大きいことも香港の特徴である。香港における日本食レストランはおよそ1310軒、※4香港の外食産業の業種別構成比のうち7・7%を占め、各国料理※5の中ではトップシェアとなっており、その業種・業態は幅広い。
また、百貨店、日系の総合スーパー、輸入食材を専門に扱うスーパー等では、日本から輸入された食材が所狭しと並んでいる。現地で訪問したいくつかのスーパーでは、例えば、りんごは3〜4の品種が並び、それぞれに産地情報(例:「日本青森」)だけでなく、スーパーによっては、生産者情報も明記されていた(写真1)。また、香港で人気が高い日本の牛肉も「日本○○牛」と明記されている(写真2)。
このことからも、日本のどこで、誰が、どのように生産し、出荷しているのかという、「日本産」であること以上の情報を香港の消費者が求めていることをうかがい知ることができる。また、コンビニ等では日本から輸入された菓子類が販売されており(写真3)、日本食や日本食材が、旅行時に食べるものではなく、日常的な選択肢の一つとして存在していることを実感した。以上を踏まえると、豊富な訪日旅行経験、日常的な日本食材の流通や日本食体験から、もはや「日本」だけでなく、日本の「○○地方」への豊富な知識と高い関心を持つのが香港の消費者の特徴とも言えるだろう。

地方が海外市場を狙う時代へ
香港のこうしたニーズに応える日本の地方部の状況に目を転じると、少子高齢化によって国内市場が縮小し、観光・旅行業のみならず、地場の産業の維持は喫緊の課題となっており、海外市場を視野に入れた施策を展開する自治体が増えてきている。香港は成熟したインバウンド市場や輸出障壁が低いことに加え、アジアの主要都市に短時間でアクセスでき、中国やマカオへのアクセスが向上※6していることから、アジアのハブとしても存在感を強めており、多くの自治体が香港でさまざまな取組を進めている。
今回はその中からももやぶどうを主要コンテンツとした輸出拡大と誘客の循環を岡山県の事例から、アンテナショップを核とした農林水産物・食品の輸出拡大と誘客の循環を熊本県の事例から紹介する。

 

※1…「2018年訪日外客数(総数)」(JNTO)。暫定値。
※2…「訪日外国人消費動向調査」(観光庁)
「2018年全国調査結果(速報)」
※3… 「平成29年農林水産物・食品の輸出実績」(農林水産省)
※4…「農林水産物・食品 国別マーケティング基礎情報」
2016年のデータ(JETRO)
※5…和食、洋食、韓国料理、タイ料理、ベトナム料理ならびにその他レスト
ランが含まれる。
※6…2018年9月には香港と広州を結ぶ「広深港高速鉄道」が全線開通、10月には香港
とマカオを結ぶ「港珠澳大橋」が開通し、広州、香港、 マカオが1時間圏内になった。

 

事例1

岡山県

ももとぶどうの輸出拡大と誘客への取組

 岡山県では、香港へのももやぶどうの輸出拡大に向けた取組を推進し、地元スーパーにはこれらの果物が並んでいる。近年では、「岡山(ガンサン)=白桃」の生産地として香港の人に認知され、インバウンド需要が拡大する中、ももやぶどうを主要なコンテンツとした誘客が行われている。本事例では、岡山県の取組から発地における果物の流通から誘客に至るまでの循環を紹介する。

香港における
もも・ぶどうの輸出拡大

 温暖な気候で降水量が少ない岡山県は「くだもの王国」と呼ばれ、もも(清水白桃、おかやま夢白桃等)やぶどう(シャインマスカット等)等、贈答用としても活用できる高品質な果物の産地として有名である。

 岡山県の代表的な特産品であるももの中でも、白桃(写真1)は、地元市場を中心に出荷されていたが、10年程前から首都圏にも積極的に出荷されるようになった。岡山県産の白桃は、きれいな白色を保ち、繊細でまろやかな風味を生み出すため、桃の実ひとつひとつに袋がけを行い、日光に直接当てないようにする等、出荷までに手間がかかり、高値で取引されている。首都圏で白桃の品質の高さが評価されると、海外への輸出拡大に向けた取組を開始した。

輸出先は台湾、香港、シンガポールが中心となっているが、台湾は検疫が厳しく、シンガポールは市場での認知度が低いため、主な輸出先は香港となっている。
白桃と並ぶ岡山の二大コンテンツがぶどうである。
特に2006年に品種登録されたシャインマスカット(写真2)は安芸津21号と白南を掛け合わせて育種した品種で、種がなく皮ごと食べることができ、高い糖度と少ない酸味が特徴で、近年、急速に国内

市場にも出回るようになった。酸味を好まず、甘味を好む香港の人にも好まれ、全農岡山では、岡山県が「晴れの国」であることに由来してシャインマスカットを「晴王」※1と名付けており、香港でも広く認知されている。
県農林水産部対外戦略推進室では、香港と台湾を農産品輸出拡大の重点市場と位置づけ、さまざまなプロモーションを行っている。香港では、知事が先頭に立った高級スーパー等へのももやぶどうの売り込み、スーパーのバイヤーの県内産地への招聘等を行い、県産の果物について理解を深めてもらう取組を行ってきた。その他、香港で開催された食品関係の見本市に出展する県内事業者の支援も行ってきた。
もももぶどうも決して国内価格が安いわけではないが、海外へ輸出すると、輸送費等のコストもかかるため、国内価格からさらに2〜3倍程度の価格となることもある。しかし、これらの輸出額が好調に推移(図表1)し、岡山の認知度を高めている背景には、いくつかの理由がある。
一点目は、ももに関しては、早い時期から輸出拡大に向けた取組に着手しており、香港という新たな市場に早く参入できたことである。これにより、他の産地名と混同される前に「白桃の産地・岡山」を認知してもらうことができたと言えるだろう。
二点目は、ぶどうに関しては、日本国内の他の産地のシャインマスカットと差別化を図ることができたことである。香港の消費者は品質に見合う金額かをシビアな目で判断する傾向が強いとされるが、一方で商品の価値を理解すると、高値でも購入してくれるという特徴がある。そのため、日本国内の他の産地と比べて割高なその「理由」をきちんと伝えることが重要となるが、その際に先述の現地小売店のバイヤー招聘等の取組が有効となるだろう。また、シャインマスカットのブランド名を「晴王」とすることで他県のシャインマスカットとの差別化ができているだけでなく、岡山=「晴れの国」というイメージ形成にも貢献している。

 

 

香港から岡山県を訪問する
外国人旅行者と県の取組

岡山県における外国人旅行者の概況

岡山県の外国人旅行者(宿泊者数)は増加し続けており、2017年度には2013年度のおよそ3・5倍となる32・4万人となった。また、国・地域別では、香港は4・6万人と台湾、中国に次いで3番目に多く、全体の14・3%を占めている(図表2、3)。

香港の注目すべき点はその成長率である。2017年度の宿泊者数は2013年度のおよそ8・3倍となっており、直近5年間での成長率は、10国籍・地域中1位となっている(図表4)。
岡山県にとって外国人旅行者宿泊者数の成長率が高くシェアも大きい香港は、インバウンド誘客面においても重要な市場である。

果物の現地での流通が来訪時の関心にも影響

「岡山県多言語観光サイト」※2では、直近2週間を対象に、サイト内でアクセスが多かったページを言語別にランキング形式で公表しており、外国人旅行者が県内のどのような資源に関心を持っているのか、国・地域別に把握する一つの手がかりとなる。
主に、香港、台湾からの外国人旅行者が閲覧すると思われる繁体字ページ内のアクセスランキング※3には、県の主要な観光資源である岡山後楽園や倉敷美観地区と並び「もも狩り」や「ぶどう狩り」が5位以内にランクインしており、果物狩りへの関心の高さがうかがえる(写真3)。なお、「岡山県多言語観光サイト」が対応している7言語のうち、アクセスランキングの5位以内にもも狩りやぶどう狩りが含まれているのは繁体字のみ(図表5)となっている。先述の通り、香港や台湾は、県がももやぶどうの輸出拡大に取り組んでいる市場であり、これらの果物が日常的に流通していることが影響しているものと推察される。

ももやぶどうを活用して、香港の旅行者を
どう呼び、どう楽しんでもらうか?―

それでは、県ではももやぶどうをどのように香港からの誘客に結びつけ、旅行者はどのように果物狩りを楽しんでいるのか―。
岡山県では、海外プロモーションにあたり、主要市場にPRデスクを設置している。上海、ソウル、台北、バンコクに続き、2017年には香港に開設した。県の委託を受けた事業者が、現地の情報収集、県の観光情報の発信、現地プロモーション時のコーディネートや通訳等を行う。
PRデスクには、日本語での会話が可能なスタッフがいるため、最新情報を迅速に収集し、現地の商習慣を心得た上で、旅行会社等とのコミュニケーションを図ることができる。
PRデスクを通じて得た情報は各市場のプロモーションに活用されている。香港はももとぶどう、台湾は桃太郎、と各市場で岡山県を認知してもらうために最も効果的なコンテンツを見極め、これらを前面に押し出したプロモーションを実施している。例えば、昨年、香港では料理教室で白桃を使ったパフェ作り体験を行い、この様子をSNSで発信するプロモーションを行っている。
また、その他にも、香港の市場特性を踏まえた取組が行われている。香港はFIT※4の割合が高く※5、レンタカーで郊外まで出向き、果物狩りを楽しむことも多いようだ。香港では、自動車初回登録税やガソリン代、駐車場代等の維持費が高く、自家用車を所
有できるのは一部の高所得者層に限られており、海外旅行時に運転を希望する旅行者が多い。特に日本は香港と同じ左側通行であるためレンタカー利用率が高い。一方、岡山県では、特に北部を中心に二次交通の充実が課題となっていた。このようなニーズと課題を踏まえ、昨年度から岡山県は鳥取県・中国運輸局と連携し、香港のFITを対象とした「岡山・鳥取連携ドライブツアー定着事業」を実施している。香港で影響力の大きいブロガー、メディアや旅行会社を招聘した視察ツアーには、ぶどうの収穫体験も盛り込まれた。
また、団体旅行やパッケージツアーの利用率は低いものの、これらの商品の中には体験プログラムとして果物狩りが組み込まれていることが多い(コラム「香港の訪日団体旅行商品から」参照)。特に夏期の商品では、もも狩りができることをツアーの目玉として表記する商品もよく見られる。
こうした果物狩りの需要を受け止めるのが観光農園である。ウェブサイト等による情報発信、観光農園の説明、果物の収穫の方法等の現地での説明を英語や中国語を中心に多言語化する観光農園も増え始めており、こうした外国人旅行者の受入に積極的な施設に協力してもらい、ファムトリップやメディア招聘を行っている。

おわりに

岡山県では、10年ほど前から、特産品である果物(特に白桃)を香港で流通させ、特産品と産地名をセットで浸透させた。シャインマスカットは国内とほぼ時を同じくして香港に流通しており、白桃のようないわゆる先発優位ではないものの、「晴王」というブランドが数多ある他県のシャインマスカットとの差別化に貢献した。香港のスーパーに県産の果物が陳列され、産地である岡山県の認知度が高くなり始めた頃、我が国ではインバウンド需要が拡大し、岡山県でもこの需要を取り込もうと、香港で既に認知されているももやぶどうを主要なコンテンツとして活用し、誘客を行った。近年では、香港からの宿泊者数が急増し、岡山県滞在中には果物狩りが行われ、お土産として果物が購入される等、消費促進にもつながっている。また、わずかではあるが県内企業が香港へ進出する例も出てきている。
これらの成果は戦略的に生み出されたというよりは、市場の動向と県の施策が合致した結果とも言えるかもしれないが、今後、海外市場を視野に入れた取組を推進する自治体に参考となる部分は多い。
一般的に、消費者に地名を認知してもらい、関心を持ってもらう段階のプロモーションとしては、発地での新聞、雑誌、インターネット記事等への情報掲載や、広告(例:ラッピングカーや駅での広告等)、チラシやパンフレットの配布等がある。こうしたプロモーションは広く認知してもらうためには有効な手段である一方、継続的な実施が難しい。岡山県では、誰もが親しみを持つ果物を輸出拡大し、日常的に販売されている状況をつくりだしたことが、結果的に発地での継続的なプロモーション活動に結びついていると言えるだろう。また、誘客段階では、香港で既に広く認知されたももを主要なコンテンツとした施策を展開しており、ターゲット市場の嗜好と県の資源の接点を見つけ、分かりやすくアプローチしている点は示唆に富んでいる。
香港での消費促進と、香港から岡山を訪れる旅行者の県内消費の循環はできつつあるが、今後はさらに一歩踏み込み、滞在をきっかけとした旅行後(来訪と来訪の間)の消費需要を喚起し、これも含めた循環をつくり出していくことが期待される。

取材協力(取材当時)※6
岡山県産業労働部観光課海外誘客班 主幹・浦川靖弘氏
岡山県農林水産部対外戦略推進室 主幹・加藤高明氏

※1…全農の商標
※2…公益社団法人岡山県観光連盟が運営する外国人向けの観光案内を
目的としたウェブサイト。 英語、繁体字等7言語に対応。
※3…2019年2月現在
※4…Foreign Independent Tourの略。
団体旅行やパッケージツアーを利用せずに個人で海外旅行に行くこと。
※5…「訪日外国人消費動向調査平成29年年次報告書」(観光庁)によると、
観光・レジャー目的では72.3%が個別手配となっている。
※6…2019年1月
※7…https://www.okayama-japan.jp/tw/

 

 

事例2

熊本県  アンテナショップ「櫓杏」の取組

香港の繁華街・尖沙咀の商業ビルの28階に、熊本県産食材を活用した割烹櫓杏がある。対岸の香港島の夜景を一望できる店内には、およそ100の客席があり、6つのデジタルサイネージからは県内各地のイメージ動画が上映され、県産品の展示即売が行われている。また、櫓杏は飲食店としてだけでなく、時には県内の自治体や企業によるPRイベントや商談会の場となる等、多目的な空間としても活用されている。本事例では香港の「櫓杏」の取組を中心に、熊本県の県産品とインバウンド誘客の取組について紹介する。

櫓杏設立の経緯

櫓杏は肥後・鹿児島地域活性化ファンド※1が香港現地法人のレストラン運営会社C&Higo Dining社※2に出資し、出店したもので、肥後銀行の地方創生プロジェクトの一つとなっている(図1)。担当部署である地域振興部では、国・地方公共団体・公社等との総合的な取引推進、農業や観光等の地方創生全般に係わる戦略・方針及び施策の統括等、事業先の貿易及び海外進出等の支援等を主な業務としている。近年では、農業と観光を中心に海外市場も視野に入れた地方創生に関する事業を展開している。香港での
事業展開を決めた背景には、一人当たりGDPが日本を上回っていること、輸出面では検疫条件が緩やかで、日本の農林水産物の最大の輸出先であること、誘客面では訪日リピーターが多く、今後、九州にLCCも含めた新規就航が予定されていること等が挙げられる。2014年に熊本県・ヤマト運輸㈱と共同で「アジア向け熊本県産農林水産物等の輸出拡大に向けた連携協定」を締結したことを皮切りに、2015年には熊本香港事務所※3へ行員を1名派遣し、現地における農林水産物の流通状況や飲食市場の調査を行った。その結果、香港では共働きの家庭が多く、外食を好む傾向があることが明らかとなり、県
産品の輸出やインバウンド誘致を促進するためには、食材を小売店に卸すよりもレストランとして出店した方が効果的であると判断し、2017年4月に「櫓杏」を開業した。

 

 

熊本を伝える

食体験を通じて熊本を「伝える」

― 顧客とのコミュニケーションツールとしてのメニュー ―

櫓杏は、ディナータイムとランチタイムに営業しており、ディナータイムは会席料理、寿司、刺身、すき焼き、しゃぶしゃぶ等を中心に1000HK$程度、ランチは和定食や丼ものを中心に一人あたり客単価200HK$〜300HK$程度で提供している。ディナーのグランドメニューは年1度、会席料理は時季の食材に合わせて、ランチメニューは年数回、適宜見直しを行っている。いろいろなメニューや県産品を提供することで、香港での反応が良い場合には、他の飲食店に県産品を積極的に売り込んでいくための、いわばテスト・マーケティングの場としての役割も担っている。例えば、香港の人は脂が乗った肉や魚を好み、大トロやサーモンを好むため、天草地方で養殖する「南国サーモン」をメニューに加えている。
また、櫓杏のメニュー(写真1)には、食材の産地である県内の地名が明記されているものが多い。
香港では、県内の地名や特産品の認知度はまだまだ低いが、料理を味わうことを通じて、素材や産地に関心を持つ人も多く、スタッフとのコミュニケーションのきっかけや県内各地のみどころや特産品の情報提供に一役買っていると言う。
特産品を活用した誘客においては、特産品と地域名をセットで認知してもらうことが重要となるが、どちらか一方のみが認知されているケースも多く、海外市場ではさらにその傾向は強くなる。実際に、香港では「くまモン」の認知度は高いものの、くまモンと熊本県が結びついていないことが課題となっていた。このようなケースにおいては、大々的なプロモーションだけではなく、消費者に実体験をもって特産品と地名を認知してもらい、関心を持ってもらうことが重要である。櫓杏は、通常の調査やプロモーションではカバーできない、現地の嗜好の把握や、顧客との双方向のコミュニケーションを行う場としても機能していると言えるだろう。

― 安定的な県産品供給を実現する独自のシステムとネットワーク ―

食を通じて熊本を伝えるためには、熊本県産品の活用が不可欠である。櫓杏では常時、熊本県産の食材を6〜7割程度を使用※4している。しばしば、観光地の飲食店や宿泊施設で地場の食材を活用する際の課題として「安定供給」が挙げられることが多く、海外においては特に安定供給が難しくなる中、櫓杏では独自のシステムやネットワークを構築し、こういった課題を克服している。
一点目が、独自の物流システムである(図2)。
熊本県内の生産者や事業者は、肥後・鹿児島地域活性化ファンドも出資する福岡市の食品商社、A社※5へ出荷し、A社がこれらをまとめて香港に輸出している。A社に集積させることによりいくつかのメリットがある。第一に、輸送コストが抑えられることである(理由については後述)。これまでは輸送コストに見合うだけの一定以上の出荷量が求められたが、少量の生産物でもまとめて出荷することによって輸送コストを圧縮することに成功した。また、生産者や事業者にとっても少量の出荷が可能になり、輸出のハードルが下がったこと、これまで少量であることを理由に出荷できなかった質の高い生産物を出荷できるようになったことも大きなメリットである。
第二に、輸出に係る事務手続きを代行してもらえること、第三に、A社は日本企業であるため、生産者や事業者は為替変動の影響を受けずに収入を得られることである。こうしてA社に集められた県産品は空路(週6日)と海路(週1日)で、香港の食品商社B社※6に輸出され、櫓杏に届けられる。なお、日本からの輸送コストが抑えられる背景にはB社が香港やマカオに抱える顧客(飲食店)が発注した食材と混載して輸送できるためである。独自の物流システムによって、県内の生産者や事業者の海外輸出に対する心理的負担や手間が軽減され、質の高い生産物が集まりやすくなったと言えるだろう。
二点目は、関係者間のネットワーク構築である。
櫓杏では、料理長、県内の生産者、物流関係者間でLINE※7グループを作成し、生産から入荷までの流れを関係者間で共有できる仕組みを構築している。
このLINEグループには、生産者個人が参加している場合もあれば、球磨焼酎や地酒は組合が、野菜は地元の生産者とネットワークを持っている道の駅※8が、それぞれ生産者をとりまとめ、窓口となっているケースもある。また、発注から入荷の流れを共有できるだけでなく、関係者間で相互に情報交換を行う場としても機能している。例えば、生産者から旬の食材情報が提供されると、これに料理長が反応すれば、出荷に向けてすぐに関係者が動き出せるため、旬の食材を新鮮な状態で提供することができる。また、通常、地方で生産された農林水産物は、都市の仲卸業者や小売業者のもとに集まるため、生産地に直接発注することが難しく、生産地の利益が都市に流出してしまっているケースも少なくない。しかし、生産者とのネットワークが構築されたことにより、これまで都市に流出していた利益を最小限に抑え、結果的に生産地の経済効果向上にも貢献している。
櫓杏の料理長である園田氏も、主に地方である生産地への経済効果を意識し、メニューを工夫してなるべく県内の生産者に発注するよう心がけていると言う。

 

 

イベント体験を通じて熊本を「伝える」

櫓杏で行うイベントは誘客、県産品の輸出拡大に向けた実効力のある取組のきっかけとして機能している。
誘客面では、昨年5月に開催した櫓杏の開店1周年を祝う記念式典で、県内の各エリアを対象とした「地方発信プロジェクト」のスタートを発表し、その第1弾として人吉市のプロモーションが開始された。
当日は市長をはじめとする市内関係者や、香港の旅行会社や航空会社も参加し、盛大な式典が行われた。
櫓杏では、イベントはあくまでもプロモーションのきっかけであり、その後の効果が持続するようなさまざまな仕掛けを行っている。その具体的な取組として、イベント当日以降、「人吉球磨フェア」として開催し、1ヶ月限定で人吉球磨地方の食材を使った料
理と球磨焼酎を楽しむことができるフェアを開催した。櫓杏の強みは、イベントによる迅速な情報発信だけでなく、喚起した需要を現地ですぐに受け止める機能を合わせ持っていることである。また、誘客までの流れは、肥後銀行が出資する株式会社くまもと
DMC ※9(以下「くまもとDMC」)と連携した取組を進めている。くまもとDMCは記念式典に香港の旅行会社や航空会社を招待し、ネットワークを構築するとともに、熊本側でのファムトリップや旅行商品造成等を担当している。記念式典イベントの際も、航空会社や旅行会社とのネットワークを構築し、3週間後には球磨川や球磨焼酎の蔵元見学を実施する等のファムトリップを実現している。まだ発展段階ではあるが、イベントを活用した誘客までの流れを築きつつあると言えるだろう。
県産品の輸出拡大では、県内の自治体と香港の飲食店やバイヤー等の商談会を実施し、主に魚と野菜を取り扱っている。
継続性という観点から忘れてならないのが、先述の櫓杏独自の物流システム(図2)である。香港でも食品関連の商談会は数多く行われているが、物流システムがないため、生産者負担が多く、話がまとまりにくいという課題があった。しかし、櫓杏では独自のシステムを活用することによって、こうした課題を解決し、より現実的な商談を展開している。

櫓杏の取組から

櫓杏の開店から約2年が経過し、少しずつ取組の成果が現れ始めている。県産の農林水産物の輸出額が1割増の黒字となったことは大きな成果である。
また、県の補助金無しで櫓杏が自立的に運営している点は、これから海外にアンテナショップを設置しようとする自治体にとって参考となるだろう。また、先述の通り、イベントによる旅行会社等とのネットワーク構築と、商品造成等へのスムーズな流れがで
きつつある。こうした流れが定着すれば、送客数も徐々に増えていくだろう。
順調に取組を進めている一方で課題もある。香港は世界中から輸入されたさまざまな食材で溢れ、輸出する側にとっては、競争が激しい市場とも言えるだろう。例えば、同じ九州内では佐賀県が10年ほど前から佐賀牛の輸出拡大に向けた取組を行っており、
現地での認知度は高い。その他に、飛騨牛、神戸牛等、日本産の牛肉だけでもかなりの産地名が並ぶ。果物や水産物等についても同様の状況だ。
櫓杏の料理長の園田氏は、生産者とこれまで以上に近くなったことで今、後は熊本の食材を提供するだけでなく、生産者情報や生産者の思いなど、食材一つ一つに隠されたストーリーを伝えていきたいと強く感じるようになったと言う。香港のような競争が激しい市場においては、こうしたストーリーとともに伝えていくことが差別化という面においても有効となるだろう。

取材協力(取材当時)※10
肥後銀行地域振興部地方創生戦略室 調査役 本島知明氏
肥後銀行地域振興部地方創生戦略室 調査役代理 村上功時氏
肥後銀行経営企画部広報室 企画役代理 村山雄介氏
割烹櫓杏 料理長 園田 聖氏

※1…肥後銀行、鹿児島銀行、肥銀キャピタル株式会社、
鹿児島ディベロップメント株式会社が共同で出資・設立したファンド。
資本政策・成長戦略のための資金を必要とする企業に対し、
その企業価値向上、成長戦略、広域展開等を支援し、
地域経済の活性化に資することを目的として、
当該企業が発行する株式および社債を主たる投資対象としている。
※2…2016年に設立された櫓杏の運営会社。
飲食店の運営、食材販売、観光情報の発信等を行う。
※3…熊本県が熊本県貿易協会を通じて設置
※4…時期によって県内から食材を調達することが難しい場合は、
日本国内から仕入れている。
※5…2016年に肥後・鹿児島地域活性化ファンド等によって
B社のグループ会社として設立された食品商社。
※6…2008年に設立された日本食材の輸入・卸販売をする香港の
食品商社。 熊本県から紹介があり、本物流システムに加わった。
※7…LINE株式会社が提供するソーシャル・ネットワーキング・
サービス。 インターネット電話やテキストチャットが可能。
※8…「上天草さんぱーる」や「玉名市ふるさとセンターY・BOX」等が
窓口となっている。
※9…2016年に設立された食や観光の振興を担うDMO組織。
肥後銀行、熊本未来創生ファンド、熊本県が出資している。
※10…2018年11月