コロナ禍を経て取り組む、先行的研究…❻
人口減少社会における地域課題解決手段としての観光政策に関する研究
〜観光まちづくりの背景にある社会ネットワークを読み解く
観光地域研究部 まちづくり室長/主任研究員 吉谷地 裕
1.はじめに
昨今、温泉に代表されるような誘客力の強い観光資源を持ち、観光産業とともに発展してきた、いわゆる「観光地」と呼ばれる地域以外においても、観光は、地域が抱える諸課題の解決手段の1つとして注目され、大いに期待されている。
実際、各地の総合計画や観光計画等を紐解くと、地域経済の発展や、産業の誘致、雇用の維持・確保、移住・定住の促進、地域イメージの向上、空き家・遊休地の活用、地域交通の維持、学校教育や生涯学習の充実、郷土文化の保全・継承、健康の維持、高齢者の活躍、障がい者の活躍、自然環境との共生など、様々な政策が観光と紐づけられている。
私は、2018年4月から2021年3月までの約3年間、大分県津久見市の観光協会及び市商工観光部門に駐在し、観光政策や事業に関わる機会を得た。同市は、いわゆる「観光地」ではなく、(前述のような)様々な政策と観光を紐づけて取り組む地域の1つである。人口わずか1.8万人の小都市である同市は、「オール津久見」を合言葉に観光に取り組んできた。
本研究のきっかけは、この「オール津久見」に実際に交ざり関わる中で、活動の多くが、リーダーやその周辺メンバーの「人的ネットワーク」に依存していることを体感したことである。
職場・部署の同僚や関係先といった、業務を通じて形成されるものだけでなく、学生時代の仲間や先輩・後輩関係、地区活動の関係(消防団など)、スポーツ少年団(野球、剣道等)の関係(指導者、保護者など)、親戚・血縁関係といった、業務外での活動を通じて形成される「人的ネットワーク」が、分野・官民・地域を超えて連携する困難な業務を遂行する鍵となっていたのである。
約3年間の経験を思い返せば、優秀と思える人ほど、退勤後や休日も、家庭・地区・学校などの活動で多忙であるように見えたが、むしろ、そこで築かれた人的ネットワークこそが、困難な業務を遂行する鍵になっていたのかもしれない。
そこで、本研究では、ケース(事例)として大分県津久見市を単独で取り上げ、同市における観光まちづくりを担う人的ネットワーク構造の特徴を明らかにすることを目的とする。
2.研究方法
(1)依拠する概念
本研究では、人的ネットワークの観点から、リーダーシップとソーシャルキャピタルに注目する。リーダーシップは、森岡ら※1によると、「集団過程を規定する集団の目標達成および集団を維持するための機能の実現を図るべく、集団の成員に影響力を行使するとともに、それらの諸機能を先導的に遂行する過程」と定義される。また、ソーシャルキャピタルについて、パットナム※2は「個人間のつながり、すなわち社会的ネットワーク、およびそこから生じる互酬性と信頼性の規範」と述べている。パットナムは、ソーシャルキャピタルを同じグループ内における成員間のつながりを強める結束型ソーシャルキャピタルと、異なるグループ間をつなぎ合わせる役割を果たす橋渡し型ソーシャルキャピタルに大別している。これを八巻ら※3は模式的に図1のように表現している。
本研究は、これらの概念に基づいて、大分県津久見市の観光まちづくり活動を支えた人的ネットワークの特徴を明らかにする。
(2)対象地域の概要と観光まちづくりの変遷※4 ※5
● 大分県津久見市の概要
大分県津久見市は、大分県南東部に位置し、豊後水道に面した海沿いの都市である。臼杵市、佐伯市と境を接し、東西に28㎞、南北に12㎞、総面積は79.48㎢である。豊後水道に面した津久見湾を囲うように長目半島・四浦半島のリアス海岸が伸び(馬蹄型)、鎮南山、姫岳、碁盤ケ岳、彦岳といった600〜700mの山地が三方から馬蹄型に囲んでいる。有人の島嶼には、保戸島、地無垢島の2島がある。
歴史を紐解くと、戦国時代には大友氏の支配下にあり、キリシタン大名として知られる大友家21代義鎮(宗麟)は、晩年に津久見赤河内に居を移し、1587年に生涯を終えている。江戸時代には、北半分が臼杵藩、南半分が佐伯藩と市域が分断されていた。江戸時代以降、ミカン栽培や石灰づくりが進展し、大正5年の日豊本線臼杵・佐伯間開通を契機に、ミカンの栽培面積が拡大するとともに近代的なセメント工業が発達した。また、保戸島のまぐろ延縄漁業も大正から昭和にかけて南洋へ進出した。こうした鉱工業や農業・水産業の発展によって、現在の津久見市の産業の礎を築いた。現在も、日本最大級の石灰石鉱山と、石灰石・セメント産業の集積が見られる。
同市の人口は、昭和35年をピークに減少しており、平成27(2015)年現在は17969人である。
● 大分県津久見市の観光まちづくり
同市では、昭和26年に「つくみ港まつり納涼花火大会」の初開催後、昭和39年に「津久見扇子踊り大会」が初開催され、昭和46年に「津久見市ふるさと振興祭」が開催された。昭和62年に「津久見市民球場」が開場し、韓国プロ野球チームが合宿本拠地としていた。平成17年に人気施設「つくみん公園」が開園、平成20年に津久見港埋立地一帯が「みなとオアシス」に認定された。平成21年に津久見市観光協会が市役所内から駅前に移転独立した。
同市において「観光元年」と明記されているのは、屋外型体験施設「うみたま体験パーク『つくみイルカ島』」が開業した平成23年である。これを契機として、現在の当市も主力となっている観光商品「津久見モイカフェスタ(平成24年〜)」、「豊後水道河津桜まつり(平成25年〜)」「津久見ひゅうが丼キャンペーン(平成25年〜)」が開催されている。平成29年3月には「観光を通じた地方創生」を目指して「津久見市観光戦略」が策定されている。
(3)調査の対象・方法
本研究は、同市の観光まちづくり活動のうち、「津久見モイカフェスタ」を調査対象とする。本事業は、同市において、約10年前後に渡って継続開催されている。津久見市観光協会を中心に、市、商工会議所、漁師、漁協、卸、飲食店が連携して実施されていることや、企画に関係した主体が明らかであること、加えて、筆者が本事業に企画主催者側として関与し、現場の実情や関係者への理解があることから、人的ネットワーク構造が把握しやすいと考えられたためである。
また、本事業は、同市の代名詞的事業として認知度も評価も高いが、漁業資源の減少や漁師の後継者問題等と関連して岐路にあり、新たな企画や合意形成が求められていることから、研究サイドからその一助となることも意図している。
具体的には、「津久見モイカフェスタ」の企画における社会ネットワークの構造を把握するため、下記のような方法で調査を行う。
3.調査対象事業〜津久見モイカフェスタ
(1)津久見モイカフェスタの概要と特徴
2011年度より毎年開催されている食キャンペーンである。「モイカ」は、標準和名アオリイカの地方名であり、同市の特産となっている高級海産品である。津久見モイカフェスタは、漁業者(バッタリ漁協議会)と、漁協(大分県漁協津久見支店)、卸(地元事業者)、飲食店(津久見市観光協会会員)、事務局(津久見市観光協会)を中心に、市内の各団体・事業者が連携・協働して取り組んでいる。
市内約10店舗の飲食店でモイカ料理を提供するもので、スタンプラリー形式(飲食店+つくみイルカ島または市内菓子店のスタンプの合計2個で、お食事券やモイカ一夜干しなどが当たる抽選に応募可能)のイベントとなっている。津久見市観光協会がポスター、パンフレット、マスメディアなどを活用して集客する。市内商工関係者に強い人脈がある津久見商工会議所が市内企業に周知・宣伝することで、市外からの出張者などの利用も多い。
開催期間中、大分県漁協津久見支店が、バッタリ漁協議会に加盟する漁業者から、事前に取り決めた金額(期間中は固定)でモイカを買い取り、陸上水槽で畜養しておき、店から注文が入り次第、活締めにして出荷する。飲食店は、新鮮なモイカを料金を明示して提供する。こうした仕組みで提供している地域は稀有であり、「漁師×漁協×料理人の三位一体」が本キャンペーンの合言葉となっている。市場評価は高く、平均客単価や1日あたりの売上は毎年上昇傾向にある。新型コロナ感染拡大の影響下にあった2020年度も上昇した。
(2)本キャンペーンの企画背景
本調査に先立って実施した関係者へのヒアリング結果によると、2011年度に同市が誘致・開業した屋外型水族館「うみたま体験パーク・つくみイルカ島」の影響が大きいことが、多くの関係者から指摘されている。
2011年は、新たな観光施設を目当てに、市街地が渋滞するほどの観光客が来訪したが、飲食店等が多く立地する市中心部を素通りし、市内での観光消費が極めて限定的であったと指摘されている。また、屋外型水族館であるつくみイルカ島の冬期入場者数の底上げも課題であった。
更に、2008年度に、広域圏事業「ぶんご丼街道」を通じて開発した「津久見ひゅうが丼」が話題となり、マスメディア露出が増加するなど、市内飲食関係者の食観光への期待が高まっていたという指摘がある。また、漁業者も、観光による収入拡大機会への期待があったようだ。
旗振り役となった津久見市観光協会は、2009年に津久見市役所内から駅前に移転独立し、観光の取組強化への機運が高まっていた時期でもあった。こうした中で、農林水産部門経験がある職員を中心に、市内での安定供給が課題視されていたモイカが注目され、観光協会が主導して、漁師、漁協、飲食店などとの調整が図られた。
本事業を取り巻く組織同士の関係は図3のとおりである。
(3)今後の展開
本研究は着手したばかりであり、現在までに、津久見モイカフェスタの企画背景と概要、組織の関係を整理してきた。今後、これらを基礎として、関係主体への個別の調査を行い、津久見モイカフェスタの企画における社会ネットワークの構造の特徴を明らかにしていく。また、いくつかの事例について同様の調査を行うことによって、更に分析を深めることも想定している。
また、本研究の発展として、地域社会(地縁)が人的ネットワーク形成に与える影響や、外部からの人材獲得による支援や人材育成などが人的ネットワークの形成環境に与える影響を明らかにしていくことにより、津久見市のようないわゆる「観光地」ではない地域が、観光まちづくりの取組を進めるに際し、人的ネットワークが与える影響についても、研究を進めていきたい。(よしやち・ゆたか)
『コロナ禍を身近なファンづくりで乗り越える 大分県津久見市での取組』
大分県津久見市の観光の概要
私は、大分県津久見市観光協会の事務局長の紺田と申します。大分県津久見市は県南部に位置し、リアス海岸に囲まれています。福岡から車で約3時間、大分市内から車で1時間弱の場所にあります。当市は日本一の石灰石産出量を誇る鉱山を有しており、市民の7割ほどが石灰・セメント産業に携わるなど、重要な基幹産業となっています。主な観光資源として、リアス海岸の四浦半島沿いに咲く5千本以上の河津桜や、市が誘致した屋外型体験施設「つくみイルカ島」などがあります。
当市では、豊後水道の恵みを活かし食観光に長年取り組んでいます。近年力を入れてきたのは3つ。1つ目は「マグロ」で、独特の景観で知られる保戸島が、日本一のマグロ遠洋漁業基地として栄えた歴史を活かして、市内で様々なマグロ料理を提供しています。中でも「津久見ひゅうが丼」は、九州地域で広く知られる名物に育ちつつあります。2つ目は「モイカ(アオリイカ)」で、湾内でモイカが多く取れることから、漁師・漁協・飲食店が連携し、市内で料理を提供するキャンペーン「津久見モイカフェスタ」を開催しています。3つ目は「ミカン」で、日本最古の柑橘木で国指定天然記念物「尾崎子ミカン先祖木」を擁し、甘夏、青江早生の発祥地であることなどを活かし、ブランド化にも取り組んでいます。
こうした資源を活かした観光地域づくりの中核となっているのが当組織(津久見市観光協会図1)で、市観光戦略では「津久見版観光DMOの中核」として位置付けられており、小さな組織のフットワークを生かして日々奮闘しています。
新型コロナ禍における取組
新型コロナウイルス感染拡大の懸念が広がった2020年2月は、ちょうど「豊後水道河津桜まつり」の開催中であり、飲食店をはじめ関係者は敏感に影響を感じており、早期に危機感が共有されました。そこで、2月末から行政や事業者、まちづくり団体と議論、協働を重ねて、機を見ながら様々な取組を展開しました(表1)。
テイクアウトキャンペーン
中でも、特に力を入れたのが飲食店や地元企業と協働して取り組んだテイクアウトキャンペーン「TO GO OK! OITA つくみ!」です。当市の観光経済のなかで、飲食店における消費は特に重要(※消費額が比較的大きく、地元調達率も大きい)と考えていますが、新型コロナ禍により大きな影響を受けることが懸念されました。また、食観光は当市への最も重要な来訪目的の1つです。そこで飲食店組合や行政、地元事業者、まちづくり団体等と連携し、積極的にテイクアウトキャンペーンに取り組むこととしました。
振り返れば、日ごろの信頼の積み重ねがあったからこそだと思いますが、参加飲食店が多数集まり、地元大手企業等から弁当受注や、容器、消毒液、お花の提供など、多くの賛同・協力をいただきました。まちづくり団体がYouTubeで配信も行いました。日ごろお世話になっている地元タクシー会社と連携して弁当の配送を行い、高齢者や乳幼児のいる家庭などから助かったという声もいただきました。
結果的に、開始1月を待たずに食数1万食を突破しました。多くは市民の利用ですが、飲食店の存在周知につながり、隣接市の他、ビジネス出張者の利用などにも拡大していきました。現在も本キャンペーンは継続しています。
コロナ禍の経験を今後の観光まちづくりに活かす
● テイクアウトから「弁当」販売へ
観光協会では、テイクアウトを実施している飲食店を中心に、弁当や総菜商品の開発・販売の支援を新たに始めました。保健所の指導の下で食品表示についての研修を開催し、食品表示シールの有償作成、共同販売などの支援などを行っています。
当市では、数年後に市中心部に「街なか観光拠点(道の駅のような施設)」を整備する計画がありますが、弁当や総菜などを出品できる地元事業者は極めて限られています。新型コロナ禍のテイクアウトキャンペーンを通じて、事業者が手ごたえを感じ始めたことをふまえて、次のステップへの後押しをしています。
● 会員との連絡手段のデジタル化
新型コロナ禍で、会員との情報共有や、商材づくりのための情報入手は大変困難でした。そこで、比較的市内で普及しているLINEを活用し、LINEオフィシャルアカウント)で会員とやり取りする体制を構築しました。こうした状況下でなければ、導入への理解を得ることは難しかったかもしれません。
この体制ができたことで、会員への新型コロナ感染予防対策や支援情報や、会員とのやり取りがデジタル化され、会員に提供する情報の即時性が向上し、きめ細かいやり取りができるようになりました。このことからか、新型コロナ禍にもかかわらず会員数も増加しました。当協会の業務効率が大幅に向上したことも重要な成果です。
● 当協会の立ち位置の明確化
コロナ禍という状況下で、市行政と協働して対策の検討をしたり、具体的な施策の内容を調整・相談する機会が大幅に増加しました。当協会は、市の補助金を主たる財源とする「補助金団体」ですが、積極的な立ち位置へと変わってきたように思います。また、県観光行政(中部振興局ほか)や県観光協会(ツーリズムおおいた)、広域圏(日豊海岸ツーリズムパワーアップ協議会ほか)との事業でも、具体的な事業の窓口となることが増えました。
業務量が著しく増加したことは課題ですが、当協会職員の意識も変わり、また当協会に関係する周辺の評価も変わってきました。語弊があるかもしれませんが「存在感が増した」と感じています。実際、当協会に気軽に立ち寄っていただく方が着実に増えています。
まとめに代えて
津久見市は、春、夏の高校野球を制覇した高校を擁する「野球の町」です。私は、野球をずっとしてきましたが、今後、当協会に求められる役割は、ホームランバッターではなく、2番バッターのように、送りバントをきちんと決める役割ではないかと思っています。ホームランは事業者の皆さまに打ってもらい、我々はバントで着実に塁を進めます。
私たちは、組織も小さく体力もないチームですが、地域の皆様と協働し、地域の「地力」向上に向けて、奮闘していきたいと思っています。
(津久見市観光協会事務局長 紺田猛)
津久見市の事例から
津久見市の事例は、小さな地域が、新型コロナ禍において観光地域づくりに取り組む一例として取り上げました。
津久見市観光協会は、新型コロナ禍において、小さく脆弱な体制であることを逆手に意思決定や実行の速度を速め、補助金団体であることを逆手に取り市行政と協働して政策企画に関わり、事業者等との日ごろの信頼関係を積極的に活用しました。
そして、新型コロナ禍という緊急時に、小さな観光協会が地域の中での存在感を高めつつあることは、観光協会の今後のあり方を試行錯誤するうえで、大いに可能性を感じます。
(吉谷地 裕)