活動報告第23回
「たびとしょCafe」

「中山間地域における交流・観光〜久慈市〝ふるさと体験〞〜」を開催

 2021年3月26日(金)、「中山間地域における交流・観光〜久慈市の〝ふるさと体験〞〜」をテーマに、第23回たびとしょCafeを開催しました。
 岩手県北東部に位置する久慈市は、東側は三陸海岸に面し、西側には白樺林の平庭高原をはじめ森林が広がっています。2006年に海側の久慈市と山側の山形村が合併し、新・久慈市となりました。
 久慈市では、旧山形村時代から、豊かな自然や山村の生業・生活文化をテーマとした体験型教育旅行の受入を進めてきました。合併後は、海の資源も活用するほか、ジオツーリズム、エコツーリズム、ヘルスツーリズムといった新たな切り口に取り組み、子どもだけでなく大人を対象にしたプログラム開発にも積極的に取り組んでいます。
 今回は、長年にわたり体験型教育旅行に携わってこられた久慈市の二ツ神一洋氏をお招きし、中山間地域での交流・観光事業の取り組みをご紹介いただきました。
 後半の質疑応答では、ふるさと体験学習協会と行政との関係性、プログラムの磨き上げの方法、事業始動期の村の状況、外国人対応のあり方、教育旅行参加者のその後の久慈市との関わりなど、熱心な質問が多く寄せられました。

【第1部】話題提供

久慈市の概要

● 久慈市は、平成18(2006)年に山側の旧山形村と海側の旧久慈市とが合併して誕生した。人口約3万4000人、少子高齢化が非常に早く進んでいる。市域の65%は山林。
●『白樺ゆれる 琥珀の大地 海女の国』が久慈市の観光キャッチフレーズ。平庭高原の白樺林、天然の琥珀、北限の海女が代表的な観光資源となっている。
● 自身は、平成22(2010)年に観光交流課に配属され6年間交流事業を担当した。同時に、体験の受入専門組織である「久慈市ふるさと体験学習協会」の事務局業務にも関わっていた。

久慈市ふるさと体験学習協会の概要

● 平成12(2000)年、旧山形村時代に、第一次産業衰退や過疎化対策として、地元と首都圏の小中学生を対象に交流を目的としたキャンプ事業を開始。その後、体験型教育旅行に本格的に取り組むにあたり、平成16(2004)年に任意団体として「山形村ふるさと体験学習協会」を設立、合併を機に「久慈市ふるさと体験学習協会(以下、協会)」となった。令和元年に一般社団法人となった。
● 協会の目的は、「久慈地域と都市圏を中心とした周辺地域、団体又は個人との交流、連携を深めて観光及び体験学習旅行の受け入れ体制の充実を図り、交流人口の増大による地域の観光振興と活性化に寄与すること」。
● 協会事務局員4名と市観光交流課職員3名の計7名が総括事務局を務め、その下は大きく宿泊部門と体験活動部門に分かれている。宿泊部門には民泊体験も含まれており、現在山側の農家で70件、海側の漁家で20件、計90件の登録がある。体験活動部門には、106名の体験インストラクターが登録されている。

主な体験プログラム

□自然体験
● トレッキング、シャワークライミング、カヌー・カヤック、洞窟探検、スターウオッチングなど、大自然の中で行うアクティビティ。
● 一番人気は自然の沢をそのままフィールドにして楽しむシャワークライミング(写真1)。チーム同士で協力して上流を目指すもので、連帯感の醸成にもつながっている。

● 内間木洞探検は、観光化されていない自然の洞窟を探検するもの。通常、一般公開は年2回のみに限定されているが、教育旅行であれば教育委員会から許可を得て入洞が可能。

□生活文化体験
● 郷土料理づくり、豆腐づくり、魚さばき、塩づくり体験など、伝統的な農山漁村の暮らし、文化を活用した体験。
● 郷土料理づくり体験は、各地区にある地元のお母さんのグループがインストラクターを務め、各地区の公民館等を会場として受け入れている。

□農林漁業体験
● 久慈市の主産業である農業、林業、漁業といった第1次産業を活用した体験。農業体験、森づくり体験、炭焼き体験、畜産体験、漁業体験など。
● 漁業体験は、サッパ船と呼ばれる小型漁船に乗り込み、刺し網漁を体験するもの(写真2)。インストラクターは地元の漁師グループ。

□農林漁家民泊体験
● 1軒当たり4〜6人が民家に泊まり、田舎暮らしそのものを体験しながら、じっくりと交流を深める。1泊、2泊の短い時間でも、別れを惜しんで涙を流す生徒もいる。受入経験を重ねる中で各家庭では独自に工夫しておもてなしを行っている。
● このほか、琥珀採掘体験やキャンプファイヤー、方言講座などの体験もある。

受入人数の推移

● 平成17(2005)年度から正式に受入を開始、東日本大震災のあった平成23(2011)年度はキャンセルが相次ぎ受入人数は激減、その後、様々な事業を活用しながら、平成26(2014)年度にピークとなった。その後は減少〜横ばいとなり、現在はコロナ禍で厳しい状況にある。

様々な事業の導入

● 取り組みの拡大のため、これまでに様々な事業にも取り組んでいる。

□ジオツーリズム
● 久慈市は、青森県、岩手県、宮城県の沿岸16市町村で構成される三陸ジオパークに加入している。市内に6か所あるジオサイトの来訪者に対してジオガイドを行うほか、ガイドスキルの向上やガイド間の交流を図るための交流ツアーの実施、小中学校での出前事業、様々な組織との連携等に取り組んでいる。

□ヘルスツーリズム
● 国の地方創生推進交付金を活用し、平成27(2015)年度から取り組んでいる。教育旅行受入は児童、生徒が中心だが、一般のお客様も呼び込みたいという狙いで始めたもの。市民がこのプログラムを活用することで、市民の健康増進、医療費の削減につなげることも目的の一つ。
● 教育旅行用プログラムをベースに、子どもではなく大人が体験するという視点で再度地域資源を洗い出し、プログラムの磨き上げを行った。先進地視察の実施や、医科学的根拠の確認のため、モニターを募って健康効果の検証も行った。
● 健康増進のためには運動だけでなく食事も重要なため、市内の飲食店も巻き込んで健康食メニューの開発も行った。

□カケハシプロジェクト
● 外国人の受入も行っている。対日理解の促進を図るとともに、親日派を発掘して日本の外交姿勢や魅力を発信してもらうことで、対外発信を強化し、日本の外交基盤を強化することを目的とした外務省事業で実施したもの。震災直後に行われたもので、被災地に外国人に来てもらい、日本の復興の様子を自国に向けて発信してもらうという目的もあった。
● 外国人に日本や久慈を知ってもらうだけでなく、外国の文化を久慈市民が知る機会にもなった。

活動成果(住民への影響)

● 交流事業の取組は住民に様々な影響を及ぼしている。

□地域の魅力再発見
● 星空の美しさなど、市民にとってはあまりに普通で感動するものではない。しかし、外の人が感動する姿を見て、市民が久慈市の良さに改めて気づく機会になっている。

□地域住民の意識変化・意欲高揚
● 1回目の受入よりも2回目、3回目と、もっと良いおもてなしをしようという意欲が出てくる。うまくいかなかった点の反省を踏まえながら、それぞれが改善や工夫を重ねている。

□外貨獲得、地域経済の活性化
● 民泊家庭やインストラクターはボランティア活動ではなく、協会に支払われた旅行代金から、民泊体験料や体験指導料を支払っている。受入人数が多いほど収入も増えるので、大きなモチベーションになっている。

□地域コミュニティ活動の活性化
● 受入にあたっては本番前の打合せや終了後の反省会が必要になり、自然と地域コミュニティのメンバーが集まる機会が増え、コミュニティ活動の活性化につながっている。

□生きがい
● 年を取って仕事も退職してしまうと、普段は何もない生活が続いている。そこへ年齢の離れた児童や生徒がやって来て色々な話をするうちに、まだまだ頑張ろうという前向きな気持ちを持てるようになる。

行政との連携

● 市から協会に対して年間950万円の運営費補助を行っている。また、市の観光交流課職員と協会事務局員は同じ部屋で同じ仕事をしており、速やかな情報共有と意思決定につながっている。
● 市予算の他にも、様々な国や県の補助制度を活用し、様々な取組を展開してきた。そのひとつ、環境省による復興エコツーリズム推進モデル事業では、一般向けのプログラム造成に取り組んだ。

良かった点、苦労した点

□良かった点
● 山、川、里、海、洞窟、白樺といった地域資源が豊富で、様々なプログラムをつくることができた。
● 旧山形村は知名度のない村であったが、当時の村長が強いリーダーシップを発揮し、自ら仙台や東京に出向いてトップセールスを行った。小さい村だからこそ、機動的に動くことができた。
● 市村合併により、それまでの山に加えて、里と海というフィールドを活用できるようになった。現在では、山、里、海でそれぞれのプログラムが完成している。
● 地域リーダーを務める人材も豊富だった。

□苦労した点
● 一方で、リーダー以外にも多くの人が必要になるが、インストラクターや民泊家庭の確保には苦労した。
● 受入頻度や人数は、インストラクターや民泊家庭が受け取る収入の額に直結するため、偏りなく公平になるようにかなり気を使っている。小さい市だからこそコミュニティの関係性は濃く、誰がどこに何人泊まったかということもすぐに広まってしまうので、より一層気を使う必要がある。
● 市からの年間950万円の補助があっても大きな利益を出すほどではなく、運営財源の確保は難しい。そのため、様々な国や県の補助を活用している。

事前質問に対する回答

● プログラムの企画にあたっては、地元住民だけでは気づかない部分を的確に教えてくれる外部の意見は非常に重要。
● 地域との連携においては、地域に必ず入って、地域の人と話し、信用や信頼関係を築くことが一番の近道になる。生活文化という〝普段の暮らし〞を観光に活かす際にも、地域の人との対話は欠かせない。
● 漁業者との調整については、漁業体験のリーダーである市議会議員の強力なリーダーシップのもとでスムーズに調整が進んだ。
● 自然と親しむアクティビティは、親子教室や公民館事業で実施する他、帰省客もターゲットと考えている。スポーツ店にシャワークライミングのチラシを置かせてもらうなどもしている。
● 中山間地域にあって地域特性を活かすニューツーリズムという点では、可能性は無限大だと思う。地域が持つ資源を活用し、さまざまなツーリズムが今後も全国各地で展開できていくと思うが、全国との競争の中ではその地域にしかない唯一無二のものが必要になる。
● 震災記憶との向き合い方という質問があったが、久慈は他の地域に比べて人的被害が4名と少なく、久慈市の復興はほぼ完了しているため、あまりナーバスになる雰囲気ではない。
● 広域連携については、平成27(2015)年に神奈川県の高校生352名を受け入れたことがある。久慈市単独では不可能であり、隣の洋野町と連携して民泊と体験受入を実施した。
● 久慈市が他の地域に負けないための工夫ということでは、きめ細かに配慮したサービスの提供が挙げられる。旅行者の目的は多種多様であり、それに臨機応変に対応できる受入側のサービスが必要。
● 大人向け商品の開発にあたっては、PDCAサイクルに基づき、プログラムの質向上を継続して行っている。
● マーケティングはしているかという質問があったが、参加者アンケートの実施と結果の確認をする程度で、それ以上の詳細な分析は行っていない。
● コロナ対策については、旅行者側がすべきこと、受入側がすべきこと、緊急時の対応や方針など、2020年8月に方針を定め、現在も実施している。交流事業はオンラインでは限界があり、現地で体験してもらう必要がある。

まとめ(伝えたいこと)

● 久慈市はちょうどよい規模感の交流事業を実施していると感じている。久慈市はそもそも交通不便な場所にあり、どんなに営業をかけても数字はなかなか伸びない。人口は今後も減少し高齢化も進む中、移住や定住促進にも取り組んでいるがすぐには難しい。受入人数1万人という目標は達成していないが、あまり多くなりすぎると受入側は疲弊してしまう。5000〜8000人という人数は、獲得できる外貨の量と、受入対応に要する時間、時期、回数などとのバランスがちょうどよい。
● 交流事業における主役は地域の人たち。協会や観光交流課の役割は、地域の人たちが主役になれるようにコーディネートすること。必要なものは、「信用」「信頼」「調整力」だと考えている。これらは、住民に対してだけでなく、学校や旅行会社と関わるときにも必要な力。
● 非日常であることに対して旅行者は感動する。田舎にとっては当たり前のことでも、都会にとっては珍しく、そのギャップが大きな感動を生んでいる。
● いかに多くの地域資源を発掘するかも重要。地域住民だけでは気づけないので、外部の方の目線で教えてもらうことが大切。また、琥珀採掘体験と郷土料理のまめぶ作り体験は久慈市でしか体験できないもの。こうした唯一のものを探す必要がある。
● 数値目標は仕事をする上で必要。1万人という目標を掲げてきたが、自分の在任期間中には達成できなかった。この目標達成に協力したいという思いで、部署が変わった現在も個人的に手伝っている。

【第2部】意見交換

参加者…参加者の満足度はどうか。
二ツ神氏…参加者アンケートを実施しているシャワークライミングへのマイナスの意見はない。自然の川に入ること自体初めての方が多いので、川の冷たさを感じるだけでも満足してもらえるようだ。
 教育旅行では、民泊家庭やインストラクターへの生徒からのお礼の手紙に、「貴重な交流をした」「今まで経験したことがない体験ができた」といった感想が寄せられることが多く、満足度の高さがうかがえる。
参加者…一般客向けのプログラムの磨き上げについて知りたい。
二ツ神氏…先進地から講師を招き、実際に久慈市のプログラムを体験してもらったうえで、様々な具体的な指導を受けた。
司会…ヘルスツーリズムのプログラム造成について知りたい。
二ツ神氏…ヘルスツーリズムはウォーキングが基本。教育旅行で元々実施していた平庭高原やみちのく潮風トレイルのトレッキングプログラムに加え、まちなかの小さな神社を巡るコースをベースに、ウォーキングプログラムをつくった。
 医科学的エビデンスの収集にあたっては、モニターに、3か月間、週3日、1時間の運動をしてもらい、体調がどのように変化したかを検証した。
参加者…市の観光交流課と久慈市ふるさと体験学習協会とではどのように役割分担していたか。
二ツ神氏…当時観光交流課には、主に一般的な観光を担当する係と、主に教育旅行や体験型観光を担当する交流推進係との二つがあり、自身は交流推進係に所属していた。
 交流人口増加という目標達成に向けて、積極的に営業活動を行っていたが、まだまだ認知度が低いこともあり、任意団体である協会より市として対応したほうが効果的だった。一方、市としては公平性にかなり気を遣う必要があるが、協会の場合はより柔軟に行動することができた。
 なお、旅行会社からの支払いのやり取りは全て協会が行っており、市の予算は関わっていない。
参加者…旧山形村時代、体験型交流に取り組み始めたきっかけはなにか。
二ツ神氏…旧山形村は小さい村で人口も少なく、少子高齢化が急速に進んでいた。若者の仕事が村内にないため都会への人口流出も進み、財政基盤も危うく、このままでは村を維持できなくなるという強い危機感を当時の村長は感じていた。こうした状況への対策として始めたのが、キャンプ事業を皮切りとする教育旅行や体験型交流の事業。強い危機感を持っていたからこそ、村長自らが精力的にトップセールスに取り組んでいた。
参加者…自身は南房総の旅館に勤めている。首都圏から近いという地の利を生かすために、〝交流人口〞という概念が重要になると感じた。
二ツ神氏…体験料に加えて宿泊料が地域に落ちるため、日帰り客よりも宿泊客を増やしたい。朝の3時や4時に始まる漁業体験等、夜中、早朝といった時間帯に活動する体験プログラムを準備すれば、必然的に久慈市内に宿泊する。
 宿泊日数を伸ばすためには、一日では足りないくらいの見どころやプログラムを用意する必要があると考え、新たなプログラム開発にも積極的に取り組んだ。
司会…民泊受入を始めた理由は何か。
二ツ神氏…久慈市で民泊を行っている学校の多くは仙台市内の中学2年生。仙台市の教育委員会では、生徒のコミュニケーション能力育成を目的として、民泊をしながらの野外体験活動を中学2年生のカリキュラムとして実施している。こうした大都市仙台のニーズを取り込めるよう、久慈市でも民泊家庭を増やしてきた。
司会…民泊家庭はどのように増やしてきたか。
二ツ神氏…民泊受入を打診しても、抵抗を感じる人は多い。児童や生徒への対応はどうしてもお母さんが中心になることが多いため、お母さんの理解を得ることが重要。大きな家で部屋数も十分ある民泊受入に適した家庭には、何度も通って、お父さんではなくお母さん方を説得した。既に民泊受入をしている近所の方から説得してもらうことも有効だった。
参加者…外国人受入にあたっての工夫を知りたい。
二ツ神氏…普段の生活に必要な言葉を翻訳し、手帳にまとめて各民泊家庭に配布した。各民泊家庭には外国語を十分に話せる人はおらず当初は抵抗もあったが、こうした手帳の活用や、スマートフォンやタブレットのアプリを使う、スケッチブックに絵を描く、身振り手振りを使うなどしてコミュニケーションを取っている。言葉が通じないからこそ、お互いを理解しようと努力することでコミュニケーションが図られ、日本人とは違う交流ができて楽しかったという声も聞かれた。
 宗教上の理由などで食事に制限がある人の受入に際しては、肉を使わない料理を依頼するなど、民泊家庭に特別の対応をお願いすることもあった。
参加者…教育旅行終了後、参加者と住民の交流が続いた事例はあるか。
二ツ神氏…全てを把握できてはいないが、年賀状のやり取りが続いていたり、時々電話で連絡していたり、という話を聞く。学校卒業後に両親を連れて久慈を観光で訪れ、民泊家庭に再び泊まった生徒もいた。フィリピンの学生からクリスマスプレゼントが送られてきて、やり取りが続いているケースもある。一度限りではなく、交流が継続することを願って取り組んでいたので、こうしたつながりが続いているのは嬉しい。
JTBF菅野…元々旧山形村で始まった事業を、市村合併を経て市全体に広げていくにあたって、工夫や苦労したことはあるか。
二ツ神氏…平成18(2006)年の市村合併を契機に海側のプログラムや漁家民泊の開発に着手したが、自身は山側の出身であり、海側には詳しくなかった。そこで、旅行会社での勤務経験がある職員と、海側の旧久慈市出身で地元事情に詳しい職員の2名を採用し、海側で把握している様々な人脈を使って、集中的に海側のプログラム開発を行った。物事をうまく円滑に進めるためには、地域のリーダーや地域の取りまとめ役となっているキーパーソンを見極め、コミュニケーションを取ることが欠かせない。
司会…体験型交流事業を担当するなかで、最も印象に残っていることはなにか。
二ツ神氏…体験型交流は、民泊家庭やインストラクターを務めている地元の人たちが主役で、彼らがいてこそ成り立つもの。そのためには地元の人たちといい関係を築く必要がある。彼らとの信用や信頼を築くために、とにかくそれぞれの人のところへ足を運んだ。単に遊んでいるように見えても、茶飲み話をしながら対面で話すことが関係構築のために非常に重要だと考えている。こうした普段の関係性があってこそ、アレルギー対応が必要な生徒の受入など、少し困難な案件でも快く引き受けてもらえるようになった。
 担当からは外れたが、今でも農家や漁師の家に足を運び、おいしいご飯を食べさせてもらっている。交流事業をきっかけに築いた関係を、これからも繋いでいきたいと思う。

おわりに

 参加者の皆様からは、「具体的でリアルなお話が聞けて良かった」、「民泊受入先開拓の取組が、今後自分の地域で展開するに向けてのヒントになった」、「行政と協会事務局のバランスを取りながら従事されている方のお話が参考になった」といったご感想が聞かれました。
 久慈市は、私がJTBFに入社して初めて関わらせていただいた地域です。行政の方はどうしても数年で異動してしまいますが、地元の方と目線を合わせて真摯に話を聞き、「信用」「信頼」「調整力」をもって強い関係性を作ったからこそ、取組が引き継がれていくのだと感じました。

(文:観光文化振興部 企画室 副主任研究員 門脇茉海)


二ツ神一洋(ふたつがみ・かずひろ)氏
1972年生まれ。旧山形村出身。現在の役職は久慈市産業経済部林業水産課 課長。2000年に旧山形村役場に入庁。合併後、久慈市全域での体験型教育旅行受入拡大に向けて、漁業体験プログラム開発、漁家民泊受入、大人向けプログラム開発等に奔走。交流・観光事業の直接の担当を離れた現在も、インストラクターとして参加者と触れ合う。インストラクター名は「和尚さん」。