【座談会】…その一
ガイドは観光振興の主役となる可能性がある

プロのガイドとはどんな仕事なのか、ガイドツアーで伝えたいこと、経営者としての目線、地域への貢献と地域での連携、ガイド業のこれから、そしてコロナ禍で得た気づき

寺崎 こうして4人でじっくりお話しするのは久しぶり、初めてかもしれないですね。オンラインなのが残念ですが。まずはガイドをはじめたいきさつから。
松本 子どもを自然の中で育てるために東京を脱出しようと思い、1987年2月に初めて屋久島に来て、その年の10月には家族4人で屋久島に住んでました。その後、ダイビングインストラクターをしていたときに、環境省の屋久島事務所の「自然に親しむ集い」に海の講師として呼ばれ、山の講師は山岳ガイドをしていた小原が担当しました。これを企画し、二人に声をかけたのが自然保護官として赴任していた市川です。それから3人でよく山に行ったり海に行ったりと遊び歩くようになり、屋久島って山だけでも海だけでもないよね。すべてがあることが本当の凄さじゃないか。これを伝えるためのガイドシステムのようなことをやりたいよねっ、という話で盛り上がっていました。そして、この3人で1993年7月1日に屋久島野外活動総合センター、通称YNACをスタート。「エコツアー」と名乗ったのは僕らが最初です。当時は何やっても生きていけるっていう妙な自信がありましたね。
松田 私は知床の斜里町出身です。一時は外にでたのですが、地元で自然の仕事をしたいと思い、知床財団にはいりました。1993年のことです。保護活動や調査活動のスタッフを雇いたいという話でした。いわゆる自然観察会的なこともしました。参加費は500円から高いものでも1000円くらい。背景には行政の業務ということがあります。知床にはヒグマ対策という大きな課題があります。クマが出てきたら追い払うっていうことの繰り返し。解決していくには、やっぱり利用者を変えていかなければならない。もう一つは、そういう仕組みをつくっていかなければならない。それなりの人材も、規模もやっぱり必要になってくるんです。当時は個人でやることかどういうことかというのはあまり考えず、もうやるしかなかった。会社を作ったのは2006年です。マーケティングや経営も経済も勉強したことがないから、不安でした。一方で支持してくれる人たちが増えてきました。地域の中だけじゃなくて、結局はお客さんですね。ガイドがいてよかったとか面白かったとか。そうした声が支えになりました。
江崎 うちは鳥羽で旅館をしていました。1997年に旅館の経営不振を立て直すために、当時住んでいた東京から帰ってきました。旅館をしてて、修学旅行で来てくれるある学校の先生が、鳥羽は水族館とかスペイン村とかあるけど、伊勢志摩に行って釣りさせたいと言ってきたんです。竹の竿ぐらいはあるんですけど、旅館をしてるのでお客さんの安全を守るとか、快適性をまずは考え、ライフジャケットだけは全部買おうと思い、1人の先生が言っただけなのに、ライフジャケットを買ったんです。ところが、目の前の海に行ったら全然何も釣れなくて。私がちょっと目を離した10年ぐらいの間に、昔はいくらでも釣れていたのに全然釣れなくなって。それで、離島に連れてって、島の堤防で釣ることにしたらすごく釣れたんですよ。それに私自身20年ぶりに島に行ったらすごい感動したんです。島にお客さん連れてきて体験させることができたらめっちゃ面白いと思い、イメージは広がって10年後には日本一やなって思ってました。そうして2000年に海島遊民くらぶを作りました。

寺崎 皆さんのガイドツアーはどんな商品なのかを聞かせてください。屋久島には有名な縄文杉があって、屋久島に来る人の3分の1ぐらいが訪れていますが、松本さんのところでは縄文杉へのツアーは行っていないそうですね。

松本 屋久島の山、海、川をガイドが案内するツアーをやっています。最初はうちも縄文杉のガイドツアーをやってたんですよ。あるとき、小原が「縄文杉は屋久島の森の子どもだ」って言ったんです。森があるから生まれた子どもなんだと。確かに縄文杉は見ると感動的ですが、それを育てる森のすごさを伝えたい、見てほしいっていう思いが僕らの中に出てきたんですよね。
 屋久島ってすごく秘境みたいなイメージがありますが、僕らは山と海と川が凝縮された、日本の自然のモデル、縮図だと考えています。特別なものを見てもらうのではなく「昔、日本にはどこでもこういう風景があって、こんな森や海があったんですよ」という伝え方をしたかったんです。シンボリックなものを見て回る観光ではなく、もっと日本本来の自然を見てほしいという思いがありました。
松田 うちは、知床五湖やフレペの滝などの遊歩道を歩くツアーが中心です。個人向けガイドツアーは10名以下、コースの所要時間は3時間程度、歩く距離は3㎞以下ですね。複数のコースを組み合わせて参加する方も結構います。

 知床は今でこそ野生動物や原生的な自然環境が注目されているけど、象徴的なものがないので、意識したのは生態系や生き物同士の繋がりですね。自然に詳しい人もいればそうでない人もいるので、同じ場所を歩いても、話す内容は相手によって変えています。
 自然に詳しくない人には、自分たちでは気づかないもの、ただ歩いてるだけでは見逃してしまうものを見せて説明すると喜びます。
 例えば生まれてすぐの子ジカは、親と一緒に行動しないんですよ。敵に見つからないよう、走れるようになるまでは草むらでじっとしています。お客さんは気づかず通り過ぎちゃうので、子ジカがいる場所を教えてあげて、なぜそこにいるのかという話をします。
 自然に詳しい人には生態系の話になりますね。例えば、知床ではシカが増えすぎたために100種以上植物が減り、それによって昆虫や小動物も減ってしまっているといった現状をお話しします。
寺崎 そういう話は、自分のガイド経験をもとにして?
松田 それもありますが、知床には外から大学の研究者が調査に来ます。私が以前いた知床財団は格安で泊まれる宿泊施設を用意していたんですね。知床で調べたことは知床に還元することを利用条件にしており、「知床ゼミ」という講座を開催してもらってました。
 私は管理人を兼ねて宿泊施設に住み込んでいたので、夜、お酒を飲みながら研究者たちとよく話しました。その時の経験から、自分で自然の変化を見て、お客さんに伝えるのも必要だけど、研究者の専門的な知見をうまく引き出し、自分の物にして伝えることも大事だと思いました。
江崎 私は、地域の美味しいものをより美味しく食べてもらうためにガイドツアーを始めたと思います。
 うちの地域では海産物がいっぱい提供されるけど、本当はすごく貴重だったり、いろんな人たちが工夫して守っているというような、食の背景を伝えることでより美味しく食べてもらったり、「良かったね、ありがとう」ってお互いに思えるようなことを、観光でやりたかったんです。
 それはセルフで楽しんでもらうような観光のスタイルではできないので、ガイドというスタイルに結びついたというのがありますね。


寺崎 代表的なツアーを具体的に教えてください。
江崎 1〜3月は「ワカメ刈りと採れたてワカメしゃぶしゃぶランチツアー」があります。ワカメがどう育つのかをお話ししてから、漁師さんとすぐそばの漁場に行って、船の上からワカメを刈り取り、取れたての生ワカメを食べながら「ここが美味しい」とか漁師さんに聞いたりします。陸に戻ってワカメと海鮮のしゃぶしゃぶを食べて、お土産に持ち帰ってもらいます。

 離島の答志島に行く「船で行く!漁師町の島ランチツアー」は約4時間で、島の人が暮らしの足に使っている定期船に乗って島に行き、島の中を散策して、島のお祭りの説明を聞いて一緒に再現したり、仲買さんの説明聞きながら市場を見たり、海女さんとかと喋って、島の暮らしを見るというものです。
寺崎 そういうツアーでのガイドさんの役割は。
江崎 イメージとしては、地元の人と触れ合うようなテレビの旅番組です。普通の人は芸能人でもない限り、知らない土地で知らない人と喋ったりできないじゃないですか。自分がその地域に入り込んだと感じてもらえるよう、いい感じに受入体制を作っていくのが、私らガイドの仕事ですね。
 だからツアーで地元の人と実際に出会う前にオリエンテーションを必ずして、生活とか土地の背景を説明します。ガイドが自らお客さんに色々説明するというより、地元の人を生かすために間でうまく中立ちして、その距離感を測るみたいな役割かな。

寺崎 3人ともガイドツアー会社の社長なので、経営についても伺いたいと思います。ツアー価格や年間の取扱人数、売上なども教えていただけますか。
松田 ツアー価格は約3時間で5000〜6000円の価格帯が中心で、一番高いもので1日1万2000円です。1人で3、4コース参加する方もいるので、取扱人数よりも金額を重視しています。一番いいときの売上は、年間6000万円以上でした。
松本 カヌーもダイビングも山歩きも一律で1日1万4500円、半日8000円に設定しています。夫婦や家族割引、学割などの割引制度も設け、参加人数が多ければ割安になる形です。
 山岳ガイドは、道案内をしてくれる人を日当で雇うというのが料金についての考え方でした。一方、ダイビングは機材提供や安全確保、いろんな生き物を見せるというすべてが料金に含まれています。考え方が違う山岳ガイドとダイビングの料金体系が、同じ会社で混在することになってしまい、最初はちょっと混乱したんですね。
 それで話し合った結果「僕らがやっているエコツアーというのは情報産業であり、僕らは情報を売っているんだ」という結論に至り、すべて料金体系を一律にしたわけです。
 山歩きは最初、定員10人にしていましたが、山道で縦に1列に並んでしまうと10人目にはほとんど声が届かなくなってしまう。僕らは情報を売っているはずなのに、その情報を提供できなければ料金をいただくことができないですよね。
 ちゃんと情報が提供できる人数は6〜7人が限度だということで、定員を6〜7名、アクティビティによっては3名くらいに人数制限をして、きちんと情報提供できる体制をとることが重要だと考えました。
 売上については、屋久島が世界遺産になって人気が出てきた時、1人あたり最高1000万円ぐらい稼げていた時代がありました。3人なので年間3000万円ですね。でも、仕事が詰まりすぎて体力的に無理だと、その時に限界も感じました。
江崎 ワカメ狩りのツアーは7500円、答志島のツアーは6500円です。ツアーは長くて4時間、ほとんどは2時間くらいです。取扱人数は2019年は5000人でしたが、コロナ禍の2021年が7500人、会社をスタートしてから一番多く、過去最高でした。外で遊ぶニーズが高まっているからだと思います。

寺崎 皆さんにとってガイド会社の経営とはどういうものか、もう少し詳しくお話しください。
松本 立ち上げメンバーの3人でしばらく仕事をしていましたが、3人で3000万円は超えられないということで、新しいスタッフを増やしました。でも大学で自然について勉強していても、屋久島でガイドをするとなると、必要なのは自然の知識だけではないわけです。屋久島のいろんな情報を自分で学んでいかなきゃいけない。
 最初は1年ぐらいで育つと思っていたんですが、本当に安心して任せられると思うまでには大体3年ぐらいかかっています。そうやって人を育てる間、給料をだして面倒を見ているわけで、それなりの原価が生まれるわけですね。
松田 ガイド会社の経営も、他の仕事と同じで必要なのは、投資の回収ですよね。松本さんが言うように良いスタッフを育てるためには、それなりの投資もしていかないと難しい。今の金額以上をいただこうと思うと、やっぱり5年10年やっている人間じゃないと、単価を上げられないと思ってしまいます。
江崎 うちは女性スタッフばかりで、今6人いるんです。学歴は全く不問で、一番若い子は21歳で地元の水産高校出た子。三重大の大学院で生物資源を研究してた子もいます。いろんな子たちが助け合いながらやっているんですけど、途中で結婚して出産をする時期が必ずやってくる。みんなその時は休みますが、順番に子ども連れてきて、また仕事を始めるっていうサイクルができているので面白いですね。経営もみんなが働きやすい仕組みを、スタッフのライフサイクルに合わせて、だんだん確立してきていると思います。


寺崎 ところで、ボランティアガイドと、皆さんのようないわゆるプロガイドは何が違うのでしょう。
松本 いいものを提供しようと考えると、ガイドを育てたり、道具も揃えなきゃいけない。経費が当然かかってくるわけで、それを全部含めた上で、このツアーでは売上がどれくらい必要か、年間売上がどれくらい必要かみたいなことを考えていかないと、会社は動かないわけです。ボランティアガイドなら「今日、お客さんに地元のこといっぱい話して満足しました」でもいいのですが、プロガイドはそれだけではないということですよね。
松田 ボランティアガイドは、自分が楽しみたくてやっている面がありますが、プロガイドはお客様を楽しませることを一番にしなければならないと思います。
江崎 経営視点で決定的な違いを言うと、ボランティアガイドは原価がかかってないんですよ。ちゃんとしたレンタル用品をお渡ししたり、手を拭くタオルとかコロナ禍の今なら予備のマスクとか、お客さんが快適に過ごすためのちょっとしたものも色々用意しようと思ったら、お金を頂戴していないとできない。ずっと持ち出しでは無理なので、全部のツアーで平均すると30%ぐらいの原価がかかってますね。

寺崎 皆さんにとってガイドというのは、どういう仕事だと思いますか。
松田 私が一番意識しているのは、「時間と空間と瞬間の提供」です。楽しい時間と心地よい空間と感動の瞬間をどう届けられるか。自然って仕込めないというと変ですが、何が出てくるかわからないところがあり、お客さんによっても何に感動するかが違うので、何を伝えるか、どういう時間を作るか、お客さんを見ながら毎回意識しながらやっています。
 話をするだけじゃなく、その日の風が気持ち良かったら、景色がいいところでは立ち止まって静かに過ごす時間を多くとったりもします。「今日、こういうのを見られてよかったですね」「こういう気候でよかったですね」など、ツアーが終わるときに、お客さんに今日のツアーでよかったことを必ず話すようにしています。
江崎 外で活動する自由なエンターテイナーみたいな、私はそんなイメージです。ガイドには演出家とかプロデューサーとか、すごくいろんな役割があって、私は旅館業や飲食業もお土産屋も経験しましたが、観光業で一番総合力が必要なのがガイドだと思います。ガイドができたら他のサービス業、何でもできると思います。
松本 「自然相手の仕事でいいね」ってよく言われますけど、自然というのは僕らにとっていわば商品で、それを演出して買っていただくわけですよね。お客さんにどう楽しんでいただくかを考える必要があり、本当に人間相手の仕事だと思います。

松田 ガイドって地域のコーディネーターでもあり、宣伝マンでもあると思うんです。話を聞かなければ、地域のいいところがわからないこともありますから。私は地域のあらゆる情報を持っているのがガイドだと思います。

江崎 私の旅館は倒産寸前まで行ったのですが、その時に整理回収機構の方から「潰れそうになった会社を助けるかどうかは、同業他社にとって必要かどうかが大きな基準だ」と聞きました。
 例えば個人のカヤック事業者が急病で予約のお客様をお迎えできなくなったとき、同等以上のサービスを提供できる同業者が必要です。こうしたその場の助け合いだけでなく、例えば地域資源の研究を行っていることで将来性のある資源発掘を先進的に常に行い、他者をけん引する役割を果たしている場合など、客観的に大きな役割をしている場合もあります。ガイド業者も同
業他社にとって、必要な存在であることが大事だと思います。


寺崎 地域内の連携については、松本さんは屋久島でのガイドのネットワーク作りに腐心されてきましたね。
松本 60歳前後の僕ら第1世代が屋久島でガイドを最初に始めた頃は、ガイドというものが全く認知されていなくて、ガイドに不信感もあったりクレームがあったり、ガイドが増えれば増えるほど、そういうマイナス面が増えてきて、そういう中でガイドの地位を高めていくにはガイドの組織化だということが言われたんですよね。
 最初は行政が「悪いガイドを切り捨てろ」という観点で、認定制度とか言い始めたんです。だけど僕らはそうじゃなくて、ガイド全体のクオリティを上げていくための組織が必要だという考え方だったわけです。
 当初は行政とかなり意見の食い違いがあったんですが、第1世代の弟子として入ってきた第2世代の40代が今すごく頑張っています。個人ガイドもたくさんいるけど、ガイド業界全体をまとめて、評判を落とさないよう質を上げていこうという考え方でやってくれていています。
 屋久島町も当初の「悪いガイドを取り締まれ」みたいな考え方から、ガイドをちゃんと職業として認知しましょうということになり、町の条例で登録ガイド制度を作り、町がガイドというものを認めますというところまでようやく到達できました。
寺崎 ガイドは自然や地域の中に入り、地域の資源を使う仕事で、少なからずネガティブなインパクトをもたらすという見方をする人もいます。例えば、資源の保全活動などにも参加すべきだという声もありますが、皆さんはどうお考えですか。
松田 資源を浪費しているかどうかを、科学的に見るのか、社会的あるいは感情的に見るのかによっても変わってきますよね。一番必要なのは科学的に、本当に自然に大きなインパクトを与えているかどうかを測るべきだと思います。
 ただ、それだけだと納得してくれない人がいるのもわかります。自然の中に入るべきじゃないという極端な人もいますから。専門家も部分最適化しか見てないんですよね。私はリスクの最適化が必要だと思っています。要は資源を使うことのマイナス面もあれば、プラス面もあるわけで、我々としては後者を訴えていくしかないかなと。
 あとはガイド1人1人が勝手に動いても、自然にとってプラスになるかというと難しい。まず仕組みを作らないとだめだと思います。今、私が環境省の方と話しているのは、国立公園のガイドの登録制度みたいなものです。名簿を作って「何かあったらボランティアで協力してください」と呼びかけるなど、そういうことも方法としてあるかなと思います。
 一番大事なのは、地域にどれだけ経済貢献できるかどうか。ガイドがちゃんと収入を得て税金をしっかり払い、そのコミュニティをきちんと守っていかないと、自然も守れないし、地域医療や教育も崩壊してしまいますので、究極はやっぱりそこかなと思います。

江崎 ガイドツアーを始めた最初の時から資源の収奪にならないよう、すごく気をつけてきました。収入の中から協力金1人当たりいくら集めるみたいなこともやっていたんですけど、集めたところで数万円なので、漁協に渡したところでそんなに意味はない。だったら、別の労力をかけた方がよっぽど効果的になると思いました。
 例えば「島っ子ガイド」という取り組みがあります。島に修学旅行の子どもたちを連れて行くときに、島の人に挨拶をするとか、漁具に勝手に触らないとかのルールを決めてます。みんなそれをちゃんと守ってくれるので、逆に島の母さんたちが「島の子たちはあんなにちゃんと挨拶できひん」って不安になっちゃって。それで小学校の先生に声をかけて、通年でガイドのプログラム作りからガイドの練習まで行い、年に一度『島っこガイドフェスティバル』を行うようになりました。

 自分が面白いと思ったことを掘り下げて調べ、他人に興味を持ってもらえるよう楽しく伝えるために加工するという作業が、子どもたちにとってはすごくいい学習になるんですよね。全学年で取り組むようになってから、学力が向上し大学進学する子も現れ、今までは漁師のなり手がいなかったのに、漁師になる子が出て来たりして、20歳ぐらいで2000万円の船を買うたりしています。
 島の人たちもあんなに「漁師になるな」って言ってたのにそれが自慢になって。立ち上げは大変だったんですけど、ちょっとした種を植えただけですごく発展して、感謝されています。
松本 屋久島が世界遺産になって5年後ぐらいに、ある大学がアンケート調査をしたんですね。島民と山に入った観光客に対して「世界遺産になって屋久島の山はごみが増えましたか」という質問をしたところ、島民からは「ごみが増えてすごく迷惑してる」みたいな意見が圧倒的に多かったんです。ところが観光客からは「山はごみ一つなくてとても綺麗でした」という反応だったんです。
 マスコミが現地を見ずに「世界遺産になって観光客が増え、自然が破壊されごみが増えた」という報道をしていたのを、地元の人が信じ込んでしまっていたんですね。ところが屋久島の山の中は、ごみが本当にないんです。これはガイドが歩いてるときに、ちょっとしたごみをみんな拾っていくからです。
寺崎 ガイドがフィールドをモニタリングしているみたいですね。
松本 屋久島には屋久島山岳部利用対策協議会という、山のいろんな問題について協議する場があるんですが、役場の課長とか県の職員が集まるだけで、現場を見てないんですよね。僕らガイドは現場を見ているので現状を常に把握しています。
 ちょうどちょうど観光協会にガイド部会ができたので、「ガイドを会議に入れないでどうする」と言って、ガイド部会の部会長が必ず出席するようになりました。それで現場の様子がちゃんと伝わり、現場に即した対応をとることができるようになりました。
 江崎さんが言われたように、僕らのところでも一時期、ガイドの売上の何%かを協力金として還元するみたいな話が出てきました。しかし、例えばどこかの崖に階段を設置するとなれば、結構な額になるわけで、我々がちびちびと売上の一部を寄付しても、微々たるものなんですよ。
 そういう事業は国なり、町にお金を出してもらってやってもらい、ガイドはちゃんと現場の状況を把握して、その対策に知恵を絞る。僕らのフィールドであり商売道具ですから、大事にするわけですよ。
 そういう意識で自然をモニタリングして、行政に「ここはこうだからこう直してくれ」といった意見が出せるようになっていったんですね。行政が事業を行う時に何が必要で、どうあるべきかという意見をしっかりと述べることが、ガイドにできる地域貢献だと思います。


寺崎 ガイド業は地域の中で仕事として産業としてどう見られていますか。そして地元の子どもたちに継承していけるのでしょうか。
松田 北海道の他の地域は連泊率が1割ぐらいですが、知床では3〜4割程度の連泊率です。そこで「知床のガイドは儲かってる」と見る人もいれば、「ガイドがいるから知床の観光が成り立っている」と見る人もいます。
 ただ、ガイドが産業として見られているかどうかはまだ微妙ですね。松本さんが言ったように、会議などでガイドが発言するのも大切ですが、個人でやってる人たちにそうしたことをお願いしてもなかなかやってくれないんですよね。
 今、知床には通年で40人近くのガイドがいますが、ほとんどが1人2人でやってる感じです。いくつか会社が出てくると、産業として見られるようになるのかもしれません。
江崎 うちの地域では、ガイドを雇用している会社はまだ少ないです。最近では本業を持っていて、漁業なら養殖とか、真珠や鰹節作ってる人たちが、自分たちのやってることを伝えるガイドに進出するパターンが多くなってきました。海女さんが海女小屋をやるとかもそうですね。
 イメージは6次産業化みたいな感じかなと思うんですよ。手に職があって自分の技術を解説するって、付加価値をつけやすいんですよね。この5、6年ですごく進出率が高くなってます。
松本 屋久島は観光協会に入っているガイドが今130人、入ってない人も含めると200人ぐらい。このうち、外から来た人が7割ぐらいを占めていますね。当初は外から来た人ばかりでしたが、最近は地元の人の中からも、ガイドをやろうという人たちが出てきています。
 40代ぐらいの第2世代は家族を持ち、子どもたちはみんな地元の学校に入学してるんですよ。学校の中にガイドの子どもたちがたくさんいて、親はPTAの役員をやったり、本当に地域にガイドが根ざしてきています。
 最初は「ちょっと金儲けしたら出てっちゃうんじゃないか」と思われていたけれど、ちゃんと家族で暮らして子どもたちも育ち、ガイドに憧れたり、ゆくゆくは屋久島でガイドをやるんだという子もいます。実際に親の跡を継ぐ2世ガイドも出てきています。ちゃんと飯が食えてガイド業が成立しているから、2世が生まれてきているわけですよね。
松田 ガイドという仕事は可能性があって、まだまだ広がっていくと思いますね。地域からも求められるものが多く、例えば学校でガイドについて教えてやってくれと頼まれたりします。時間的に限界があって、全てをこなしていくのは難しいのですが。地域をより良くしていくために、ガイドの役割はいろいろありすぎるくらいあると思います。
江崎 私は、最初からガイドという職業に就く人をまず増やしたいという思いがあり、ライバル会社を増やしたいと思ってやってきて、実際に個人事業主は、だいぶ増えてきました。
 地元にエコツーリズム推進協議会をつくって、その時から「ガイドを産業化します」と言っていました。産業化するというのは、大きな塊として他の産業に必要とされるということでもあるので、塊として動けることを重視してきたんですよね。
 今、思うのは課題を解決するとか向き合うとか、みんながアイディアを出すという文化をちゃんと馴染ませることが、ガイドの世界では必要かなと思います。
 ガイドって最初、すごく個人プレイな感じがしたんですよね。ガイド同士のコミュニケーションが少ないので、協力し合うとか助け合うみたいな関係をわざわざつくっていかないといけないんじゃないかと。
 個人プレーでガイドするのではなく、まず小さなチームになる。その人たちがたくさん集まって業界になれば、違う産業と話ができたり連携できるようになる。それで初めて産業として認められるようになる。ガイドを個人プレーで終わらせないための手法みたいなことは最初からすごく考えてきたし、これからも考えていきたいと思います。
松本 最初に屋久島でガイドが増えていった時は、お互い様子を見る感じで、一時期はガイド同士の対立構造が生まれたこともありました。丁寧な議論を重ね、ガイドを組織化するための議論を非常に長くやってきたのが僕ら第1世代で、その背中を見て第2世代が育ってるんですね。
 先輩たちが対立したり、地元からのクレームを受けるのを見てきた彼らが今中心になっているので、本当に一つにまとまっているんですよね。ガイド同士のいざこざもなく、地元からもちゃんと受け入れられている状態で、最初は苦労したけれどもいい形でバトンタッチができているなという実感はあります。


寺崎 コロナ禍を経験して、ガイドについて何か変化や気づきはありましたか。
松田 海外旅行に行けない人たちが知床に来るようになって、客層が変わりましたよね。国内旅行中心の方は2、3泊ぐらい滞在して、連日ガイドツアーに参加するというのが多いんですが、海外旅行からシフトした人は1週間とか10日間滞在します。
 複数のガイドツアーに参加してくれるんですけれども、毎日続けてではなく、1日置いてとか、ペースがゆったりしているんですね。海外旅行が復活しても、こういうお客さんを引き続き逃さないようにできるかは、これからのガイドの頑張り次第だと思います。
江崎 キャンプや自然の中で遊ぶニーズが高まっているのはいいことやと思うんですけど、その反面、今までのガイドだけでは限界があるかもしれないっていう思いはあります。地域や自然にすごく密接に繋がらないとできないって思いすぎていたかなとも。あまり狭く考えず、「こうじゃないとあかん」っていう固定概念を1回外してみないと。
寺崎 もう少し詳しく、お話しいただけますか。
江崎 多分、これからはガイドがもっと細分化されてくると思ってます。今までは、大きく「自然系」「文化系」みたいな分け方だったと思うんですが、それだけじゃなく、もともと手に職や技術があるガイドさんとか、研究者タイプのガイドとか。これからガイドをやろうという人たちは、どういうタイプのガイドが自分に合ってるのか、やりながら模索していくしかないのかな。

 あともう一つ言えるのは、観光の世界だけではいいガイドにはなれないなという思いがあって。人生経験を積むというか、他のこともやってからガイドした方が、うちの地域では長くガイドができると思います。
松本 ほぼ2年間ぱったりお客さんが来なくなって、島からガイドが出ていったり倒産話が出てくるかと心配してたんだけど、意外とみんな耐え忍んでます。それまでが忙しすぎたんですよ。結構みんなのんびりしていて、ダイビングの連中は漁船にのったり、ポンカンやタンカンちぎりに農家に行ったり、土木工事の日雇いに行ったりとなんとか食いつないでいます。
 家族みんなが幸せに生きていくことが目的で屋久島に来ていて、そのためにガイドっていう仕事があったけど。ガイドで食えなくなってもアルバイトでもなんとか家族が生きていける分だけ稼げれば、割と幸せに暮らしていけるというガイドが圧倒的に多いですね。
 やっぱりそうなんだなあ、幸せに暮らすために屋久島にいるんだなと思いました。地元の人の「金儲けしたら出て行くんだろう」という予想とは違ったということですよね。
 屋久島で暮らすことがすごく重要だというのがコロナで再認識され「コロナ前の忙しさは異常だったな、もっと心の余裕を持ちたいよね」っていうのが、多分コロナ禍でガイドが考えたことじゃないかと思います。


寺崎 最後に、今後のガイド業はどうなっていくのか、皆さんの展望をお聞かせください。
松田 ガイド業は今みたいなスタイルも残っていくと思いますが、もっと新たな別の役割も求められてくると思います。
 もちろん役割として、地域と観光客を繋ぐという仕事はずっと続いていくと思います。ただ、その方法がいろいろ変わってきて、今のガイドという形だけではないと考えた方がいいと思います。社会が変わっていくと求められるものが変わりますし、技術も発達してきていますので、物を伝えるというコミュニケーションの方法も変わってくるのでは。どう変わるかはわかりませんが、そこは見ていくしかないのかなと思っています。
 昔は外から工場を誘致して、何か物を作るといったことが地域の産業の中心だったかもしれないですが、これからの地域の産業資源というのは、その地域ならではのものだと思うんですよね。
 その資源というのは、人だと思います。人というのはそこに住んでる人だけじゃなく、ガイドをする人自身も資源だと思うんですよ。ですから、これからの地域はその地域の資源を育てていく部分と、もう一つは地域の人間、そこに生まれ育った人も、他から来た人も育てるという、二つのことをやっていかなければ地域は生き残れないんじゃないかなと思います。
江崎 私が一番今気になってるのはコロナよりも気候変動なんです。地場産業が生き残ったり、観光業が生き残ったりしていくときに、すごく早い変化に対応できるのって、体験ものとかガイドぐらいしかないと思います。いつでも何でもネタにして展開できる手法を持っているのがガイドとか体験もので、変わり身早く変化を資源に変えられるところが、この気候変動の中で、生き残りの一つの糸口になるかなと。
 あとは、1次・2次産業が厳しい中で地場産業をどう維持させていくのかというときに、技術を見せてお金にすることで過渡期をしのげたり、収入を補填して地場産業を守ったり活性化することにも使えると思います。
 今後はガイド業の使い方をもっと多様に考えていくといいし、だからこそさっき言ったようにガイドの細分化も広がっていいし、ガイドは観光の世界だけでやっているよりも、いろんな経験をしている方が変化にも対応できると思います。教えてもらったことだけしかできないと、気候変動など時代の変化には対応できないということを私は今思っています。
松本 「屋久島は有名でいいですよね。うちはネームバリューがなくて」ってよく言われるんですが、世界遺産だから人が来るのではなく、屋久島の評判がいいから人気が出てきたんだと思います。
 名前が知られていたら観光に行くかというとそうではなく、行く目的がなければ選んでもらえない。だから名前を知られる云々の前に選んでもらえるよう、地域の宝を磨き上げて行くことを目的にしていかなきゃならない。それをしないでガイドだけ一生懸命育成しても、ガイドは食っていけないですよね。ガイドもしっかりと地域と一緒に組んで、地域の魅力を作り上げて売っていく。地域と一緒にガイドは頑張らなきゃいけないって思います。
 また、ガイドを育成しても、利用されなければ意味がないわけで、「現地に行ったらガイドをつけて楽しむと本当にいい旅になる」という文化がもっと定着してきたらいいなと思うんですね。
 僕はよく「エコツーリストを育てる」って言うんですが、いくらガイドがいてもツーリストがいないと困るわけで、地域をじっくり楽しむためにガイドツアーを利用する旅行形態を、もっと日本全体で広められたらと。
 そのために考えているのは、サイトなどで「この地域にはこんなガイドさんがいます」っていう情報提供ができたらいいなと。ガイド目当てに旅行するぐらいになればいいなと、思ってるところです。
寺崎 とかく課題にばかり目が行きがちですが、ガイドは観光振興の主役となる可能性がある、むしろ必然だということを感じました。素晴らしいメッセージです。

本日はどうもありがとうございました。


松本 毅 (まつもと・たけし)
有限会社屋久島野外活動総合センター(YNAC)代表取締役。


松田光輝 (まつだ・みつき)  
株式会社知床ネイチャーオフィス代表取締役。


江崎貴久 (えざき・きく)
海島遊民くらぶ(有限会社オズ)代表取締役。有限会社菊乃代表取締役
司会:寺崎竜雄 (公益財団法人日本交通公社・常務理事)