ガイドという仕事…❹東京・小笠原
いつまでも発展途上のガイドでいたい
須田泰臣(自然体験ガイドソルマル 代表)
小学2年生の時に書いた作文が実家から出てきた。成人した私は書いたことすらも覚えていなかったが、とても興味深かった。タイトルは『木と話せたら』。「木と話すことができる道具があれば庭や公園にある木と話してみたい、きっと楽しいと思う」と書かれていた。今のガイドという仕事をしていて頻繁に思うことを、小学2年生の時にも思っていたのが嬉しかった。
社会人としての経験を積んでから来なさい
私が初めて小笠原の土地を踏んだのは大学生の時だ。水族館のイルカショーのお兄さんになりたい夢を持ち、進学したのは動物全般を勉強する大学だった。父島まで当時片道25.5時間かけて行く船旅は、私にとって、とても新鮮だった。そして光る宝石のような小笠原の海を見て感動したことを覚えている。卒業論文の題材は小笠原に生息するマッコウクジラの個体識別と個体数だった。半袖・海パンで船に乗り、マッコウクジラを探すという日々がとても充実していた。大学卒業後の進路を真剣に考えたとき、自分が憧れていた仕事に就こうとしていた。在学中、夢であった水族館のスタッフになるために各地の水族館に研修に行った。水族館以外にもダイビングショップなどが候補にあがり、海外にも研修に行った。そこで働く先輩たちの背中を見て、益々自分も同じ場所で働きたいと思った。ところが、先輩たちのアドバイスは私の気持ち・行動にストップをかけるものだった。先輩たちからのアドバイスは「一度は社会人を経験してきなさい」というものだった。遊びにくるお客様は多くが社会人。お客様たちが如何に楽しみにしてこの場所に遊びにきているかを知るには、一度己が社会人になってみないとわからないと言われた。新卒という強みを使って、社会経験をしてきなさいというわけだ。今思えば、私はとても素晴らしい先輩たちに出逢えていたのだと思う。「やりたいこと」と「やるべきこと」の綱引きがはじまり、私は素直に先輩たちのアドバイスを受け、半袖・海パンから一転、スーツを着て就職活動をはじめた。どうせ入社するならば大手の会社で、組織の歯車のひとつになろうと思った。結果、めでたく大手旅行会社に就職でき、新宿まで満員電車に揺られて通勤する社会人となった。では、どのくらい社会人が続いたのかというと1年だ。私の予定では3年は務め、その後に海パン生活を送ると目論んでいたが、たった1年しか働かなかった。しかし私にとっては、とても充実した長い1年だった。おかげで社会人にとって休暇・休日はどれほど貴重なのかということを知り、いまの接客に活きていると感じる。
新宿で働きながら、小笠原でガイドの募集をしているという話を聞き、すぐにその店に電話し、会社に退職届を提出した。スーツを脱ぎたい一心だったからか、話はトントン拍子に進んでいった。その店が今自ら代表を務めている会社だ。後日談だが、当時の社長はガイド見習いが早急に必要と考えていなかったが、何かの縁と思って私を雇うことを決めたそうだ。
「想像すること」をサポートするのがネイチャーガイドの仕事
ツアーは主にトレッキングとシーカヤック。ご参加いただくお客様の年齢は0歳から80歳オーバーと幅広いが、小笠原諸島・父島までの旅は東京・竹芝より1000キロの海原を片道24時間かけて行く船旅のため、ご来島いただくお客様は旅好きでとてもアクティブな方が多い。
海洋島である小笠原は、島が海洋中に成立して以来一度も大陸・本土と地続きになったことがない。私たち人間もふくめた多くの陸上生物にとって広大な海域は移動の障壁となる。海を乗り越えて島に到着したごく限られた動植物が祖先となり、その後の独自の進化を経て、大陸とは異なる自然が形成された。しかし、小笠原の自然の特徴は万事が地味である。そのため、小笠原の自然を楽しむには豊かな想像力が必要となる。5000万年におよぶ長い年月をかけて造られてきた島の地質的な変遷、それに伴って動植物が海を越えて定着し独自の進化を遂げた歴史、大きさ数ミリから数センチのカタツムリが多様な環境に適応して100種あまりにも分化した進化の道筋、そして人間が定住して以来の破壊と再生を繰り返しながら築きあげられた人と自然の関係などを想像しながら、現在の小笠原の自然を目の当たりにすることで、本当の小笠原の姿を感じ取ることが出来る。私のネイチャーガイドという仕事のメインはお客様の想像をサポートすることだ。
お客様のリクエスト・興味は多様であり、また私がガイドとしてお客様へのアプローチの仕方も多様だ。私が仕事をしていて面白いと感じる事は、マニュアルがない事だろう。お客様がどのような想いをもって旅行先に小笠原を選び、何を期待し、何を小笠原でしたいのか。初めてお客様と繋がった瞬間から私の仕事ははじまっている。そして、お客様が期待していた以上の充実した時間になったときはガイドとる冥利に尽きる。現在コロナ禍となり、根底にあった安心・安全を再度見直してツアーを行っている。今までは気にも留めていなかった動きに制限がかかり、出来なくなった事も多々あるが、当たり前だった安心・安全をいまや前面に出してツアーを行うことはお客様から得られる一つの評価に繋がると考えている。以前のツアーと比べると、私もお客様も手間が増え、そしてとても不自由だ。なにより充実した時間にしたいにもかかわらず、お客様に制限を求めることがガイドとして心苦しく、また正解なのかわからなくて不安だった。そんなコロナ禍のツアーでも、お客様から頂くお礼の手紙やSNSでのコメント・クチコミを見て、ガイドとしての仕事が出来ていたのだと安心した。今現在もツアーが行えているのは、そんなお客様からの応援やアドバイスのおかげだと思う。
今後も私の仕事の取り組み方は変わらないだろう。小学2年の時に書かれていた私の作文のように、お客様にも想像してほしい。なぜ今あのクジラはジャンプをしたのか。この木はどうやって海を越えて小笠原にきて、いまなぜこの形の花を咲かせているのか。海から山まで、大きなクジラから小さな花まで、小笠原の自然の営みの素晴らしさを感じていただき、その体験がお客様自身の普段の生活の中で、少しでも身近な自然の営みに目を向けるきっかけになればとても嬉しい。お客様へのアプローチの仕方は私の経験や道具の発展にともない、さらに新しいアプローチが生まれ、多様になるに違いない。ネイチャーガイドにマニュアルがないからこそ、「これが完璧なツアーだ」という最高のツアーを見つけたい。そうすれば、さらに良いものを見つけようとするだろう。いつまでも発展途上のガイドでいたい。