⑤ サステナブルツーリズムの概念の分解と再構築(リコンストラクション)
「サステナビリティ」の拡大
新型コロナウイルス感染症の多大な影響は国内外の観光を巡る環境を一変させ、欧州に始まる政情不安によって正常化へのシナリオは混迷を極めている。それでもなお、サステナビリティは観光を含めた産業界にとって最大のテーマであり、SDGsの普及によって日常生活の中でその用語を目にする機会も急速に増えつつある。旅行や観光を考える上では、その視座を旅行者、地域、あるいは産業のいずれに置こうとも、当面は感染症や戦争といった観光における既知の「リスク」と、サステナビリティという人類共通の「ゴール」の二正面作戦を強いられる。むしろ、昨今ではそうしたリスクへの備えやそこからの復興・回復を包含して、サステナビリティが語られることも多い。
他方でそうしたサステナビリティの包容力が、その実像を時に見えづらくする。サステナビリティとは対象の議論なのか、つまり「持続するもの」を問うているのか、あるいは「持続のさせ方」のようなプロセスや方法論を問うているのかは、実はよく分からない。今日日(きょうび)、サステナビリティという看板を掲げることへの反論は多くないだろうが、その袂に何を置くべきかの議論は尽くされているとは言いがたい。SDGsの盛り上がりを見れば、サステナビリティの運動論としての成功は間違いない。ところが、それを実質化、実装し、政策や事業で具体的な成果を生み出そうとすると、途端にその存在が朧気になる。さらにインバウンド観光が復興し、顧客や投資者としての「世界」に対面することを考えれば、サステナビリティに対する解釈の「ガラパゴス化」はもはや許容されまい。世界が、地域が、何をサステナビリティと称し、どうとらえているのか。本稿では、その思考実験に挑んでみたい。
Sustainability on TourismかTourism on Sustainabilityか
サステナブルツーリズムは、文字どおりサステナビリティ(持続可能性)とツーリズムの2つの用語によって構成されるものである。サステナビリティが争点化した背景には言わずもがなブルントラント委員会による「持続可能な開発」の議論がある。他方で、観光は控えめに見ても21世紀のグローバルフォースであり、「開発」を主として経済的な側面から牽引し得る産業として、多くの発展途上国でその推進が目指されてきた。サステナビリティとツーリズムが20世紀末に「遭遇」したことは、ある種必然だったと言えるかもしれない。
サステナブルツーリズムについて、世界観光機関(UNWTO)は「現在および将来の経済、社会、環境面のインパクトを十分に考慮し、訪問者、産業界、環境およびホスト・コミュニティのニーズに対応する観光」と定義している。こうした定義の根幹には「観光は、地域社会に経済的および社会的に利益をもたらし、環境保全に対する意識と支援を向上・拡大させるために非常に特別な立場にある」(UNEP & Wor ld Tour ism Or g a niza tion 2005)という考えがある。
しかしながら、こうした観光をある種、特別視する論調には多くの批判的考察がなされてきた。例えばTourism Area Life Cycle理論で知られるR・W・バトラーは、主として地理学におけるサステナブルツーリズムの議論が、「全体論的な視点でマルチセクターのアプローチを採用する持続可能な開発の概念とは相容れないものである」と指摘している。つまりサステナビリティとは、本来は観光を含めた様々な産業、アプローチによって実現されるものであるにもかかわらず、サステナブルツーリズム論では観光が目的化されることによってサステナビリティが矮小化されてとらえられているという批判である。
こうした「主客の逆転」は、サステナビリティと観光の関係性が未整理であるが故に生じるように見える。エコツーリズムをはじめとして、サステナビリティとの関係性で定義される観光形態は数多く存在し、今なお、新たな用語が増え続けている。例えばエコツーリズムやアドベンチャー・ツーリズムは観光実践の「内部」にサステナビリティを見いだそうとしているとも読める一方、レスポンシブル・ツーリズムやリジェネラティブ・ツーリズムは観光によって実現されるべき目標や目的として、言わば観光の「外部」にサステナビリティが位置づけられている。
サステナブルツーリズムは言葉としての構成のシンプルさゆえに、サステナビリティとツーリズムの関係性に様々な解釈を生む余地を内包しているように見える。この曖昧性は運動論としての拡張可能性ともとらえられる一方、趣旨の逸脱や曲解につながる危険性をはらんでいるとも言えよう。さらに、観光政策の実践においては、政策目標と政策メニューや施策の乖離にもつながりかねない。今日日(きょうび)、サステナビリティの追求に反論はなかったとしても、観光政策の一環にそれを位置づけるためには、改めてその全体像を把握し、地域がどこに向かうのかという「航海図」を手に入れる必要があろう。
NISTツリーによるサステナブルツーリズムの素因数分解と再構築
他方で、前述のように概念的な拡張性や曖昧性を備えるサステナブルツーリズムを、総体としてとらえることは極めて難しい。地域によって三者三様の解釈、理解が存在し、またそれを許容してきたのがサステナブルツーリズムの実態だからである。したがってその全体像を理解するためには、サステナブルツーリズムを複合体としてとらえ、それを構成する要素に分解する必要がある。言わばサステナブルツーリズムを「素因数分解」することで総体ではなく構成のパターンとして一般化するのである。その上で、地域の実情や特性に合わせたサステナブルツーリズムに再構築(リコンストラクション)することで、初めてサステナブルツーリズムの輪郭が見えてくると考えた。
そこで以降ではサステナブルツーリズムを、政策の課題やその射程に基づく「マインドセット(mindset)」と、その結果、策定され実行される「施策(measure)」とに分けて考察する。そしてそれぞれを政策としてのサステナブルツーリズムの「ルーツ(roots)」と、幹の成長とともに刻まれる「年輪(rings)」からなる樹木構造のモデルとして整理、統合する。本稿では、僭越ながら執筆者2名とサステナブルツーリズムのイニシャルを付してこのモデルを「NISTツリー」と呼ぶこととしたい。
なお、サステナブルツーリズムに限らず観光は官民の様々な取り組み・参画に基づく総合的で有機的な産業であり、その意味ではサステナブルツーリズムの実践においても多様な主体と視座が設定され得る。本稿では論点を絞るために、以降、産業界や個別の民間事業者ではなく、地域総体を取り組みの対象や現場として設定し得る政策立案者(policy maker)を主体として設定し、整理を行っている。
試論:ルーツ・モデルによる「分解」(マインドセット)
1つ目のマインドセットについては、政策立案者による政策課題の設定とその射程の2軸で整理を行った(33ページ図❶)。いわゆる樹形図の様相を呈しているが、樹形図が枝幹からの葉の展開を模した図であるのに対し、この図はむしろサステナブルツーリズムという枝幹の元にある課題設定を示していることから、根(roots)として表現したい。これをサステナブルツーリズムの「ルーツ・モデル」と呼ぶことにする。
まず、政策課題を把握する際に重要なことは、その課題がどの分野のサステナビリティを追求するものかということである。サステナビリティ論では気候変動や生物多様性など自然環境分野の諸課題が特に強く認識される傾向にあるが、例えばハワイ州のDMOであるHawaii Tourism Authorityはサステナブルツーリズム推進の目的として、自然環境の保全だけでなく、コミュニティの参画による永続的なハワイ文化の発展やサステナブルな観光産業の実現をも謳っている(Hawaii Tourism Authority)。つまり自然環境、社会、経済からなるトリプル・ボトムラインそれぞれに政策課題が見いだされているのである。
次の論点としては、政策課題が特定の問題の解決を目的としたものか、あるいはある種のビジョンの実現のような創造的なものか、という「動機」である。例えば、同じヨーロッパでも、オーバーツーリズムの社会問題化によって本格的に観光政策の中にサステナビリティ概念を導入したスペインのバルセロナは、明らかに「オーバーツーリズムの解消」という問題解決を目的とした政策構成となっているが、デンマークのコペンハーゲンは「ローカルフッド」という概念の具現化にあたってサステナブルツーリズムを用いている。前者は「問題解決型」、後者は「ビジョン追求型」として類型化できよう。実はSDGsも注意深く見ると前者と後者の組み合わせで構成されている。例えば「貧困をなくそう(No Poverty)」は貧困という具体的な問題の解決が指向されている一方、「すべての人に健康と福祉を(Good Health and Well-being)」は問題事象ではなく理想的な目標像が掲げられている。詳細は後述するが、前者は比較的長期的な構想に結びつくことが多く、大きなビジョンや目標観で施策が設計される傾向にある。一方後者は目前の問題をいかに解決するかという具体的で緊急性の高い課題に根ざした政策立案であり、総じて短期での成果・効果が追求されるため、強制性の高い制度設計となることが多い。
もう1つの分析軸は、これらの政策目標がどの程度の問題・ビジョンを「射程」として設計されているか、という点である。例えば、バルセロナにおけるサステナブルツーリズムでは、市内のオーバーツーリズムの解消という比較的狭い空間における政策課題が設定されているが、同じヨーロッパの都市でもコペンハーゲンでは冒頭からグローバルな目標へのコミットメントが謳われている。
そこでルーツ・モデルでは、政策の射程を特定のエリアや施設のようなかなり限定されたものから市町村単位のものまでをローカル(local)、複数の市町村から都道府県レベルの単位までをリージョナル(regional)とし、次いで国レベル(national)、国家間(international)、最終的には世界的なものをグローバル(global)として垂直方向に配している。樹木が土壌の深部に根を張るように、モデルの下部ほど政策の射程や効果も広がりを見せる構造になっている。無論、実際の「射程」は明確に区分することはできず、これらの中間領域や複数のカテゴリーにまたがるものなど多様に存在しており、グラデーションとして表現する方が適切かもしれない。ただし前述のとおり本稿では政策立案者の視座に基づいたモデル化を目指していることを踏まえ、あえて5段階で整理している。すなわち市町村や地域DMOの政策立案者は一義的にローカルを、都道府県や地域連携DMO、広域DMOの政策立案者はリージョナルやナショナルを、そして国の政策立案者はナショナル、あるいは国際貢献の観点からインターナショナルやグローバルな目的や動機に適合することを想定している。
このように整理した上で政策の背景にある指向性に基づいて類型化を試みると、「ビジョン追求型」は、比較的小さな射程で「環境」分野の目的を追求する「エコ・マインド」、「社会」分野の目標を追求する「まちづくり・マインド」、「経済」分野の目標を追求する「グリーンマーケティング・マインド」の3つ、「課題解決型」も小さな射程で「環境」分野の動機に基づく「資源保全マインド」、「社会」分野の動機に基づく「ソサイエタル・マインド」、そして「経済」分野の動機に基づく「プロプア・マインド」の3つの計6つのマインドセットに分類することができる。
例えば沖縄県では、自然環境の再生や世界自然遺産登録を契機とした生態系保全への取り組みのようなビジョンを追求する中でサステナブルツーリズムを政策課題として位置づけている。もちろん個別には様々な問題や危機意識に根ざした議論はあろうが、具体的な課題を解決するための方法と言うよりは、沖縄における観光は「こうあるべき」という未来志向の議論の中でサステナブルツーリズムが浮上したと解釈できる。これはルーツ・モデルではローカルやリージョナルで自然再生や生態系保全を目的化させた「エコ・マインド」の事例と言えよう。
一方で、同じ島嶼部、同じ世界自然遺産でも、例えばエクアドルのガラパゴス諸島が追求するサステナブルツーリズムは随分と趣が異なる。ガラパゴス諸島は観光客数の増加やそれに伴う移民の増加、外来種の侵入などによって2007年に危機遺産リストに登録され、それを契機にサステナブルツーリズムを推進するようになった。観光が島にもたらす負のインパクを抑制し「危機遺産からの脱却」、あるいは「生態系回復」という具体的な課題解決のための「資源保全マインド」のサステナブルツーリズムと言える。
なお、ルーツ・モデルでは、国家間(international)とグローバル(global)な射程の根拠については、「問題解決型」と「ビジョン追求型」を一体的にとらえ「SDGsマインド」とした。これは国際機関など一部の例外を除き、多くの政策立案者は国家間やグローバルな射程でのサステナブルツーリズムを目標と課題の区別なくとらえていることが想定されるためである。気候変動や温暖化対策、マイクロプラスチックの削減などが最たるものであるが、意義のスケールが大きくなればなるほど、その根幹にあるのが問題の解決なのか、ビジョンの実現なのかは曖昧になる。前述のとおり、SDGsが「問題解決型」と「ビジョン追求型」の混在を許しているのもそのためだろう。
地方公共団体やDMOがサステナブルツーリズムに取り組む際の「根拠」と「射程」は、政策目標とその達成のための手段・方策の妥当性を継続的に検証する際に極めて重要である。前出のようにサステナブルツーリズムそのものの定義に一定の曖昧性が内包されている以上、一義的には政策立案主体自らがその大義を主体的に設定する必要がある。ルーツ・モデルを通じてサステナブルツーリズム推進の根源的意義を自覚することは、政策の継続性や戦略性を高め、同時にその意味を客体化することに貢献しよう。
試論:リング・モデルによる「分解」(施策)
次にマインドセットに基づいた、政策・施案レベルでサステナブルツーリズムを分解するためのモデルが、年輪状の「リング・モデル」である(35ページ図❷)。リング・モデルではUNWTOが提唱するVICEモデル(Visitor,Industry,Community,Environment)に基づいて政策・施策の効果が期待される対象が4方向に配置されている。このような軸を設定すると、デスティネーションにおける観光対象やその舞台などの「利用環境の保全」、「自然環境の保全」、サービスの「利用水準の保持」、「地域経済の維持」、住民の「生活環境の向上」、「地域文化の保全」という6つの取り組み効果の分類を、図中に領域として可視化することができる。
例えばバルセロナが取り組む「都市計画に基づく宿泊キャパシティの制限」は、コミュニティ(community)と観光産業(industry)の双方によって住民の「生活環境の向上」を実現することが期待された政策として位置づけられる。
その上で、サステナブルツーリズムの取り組みを、円の中心から外周に向かって強制性の高いものから自主性の高いものにグラデーションになるように配置する。こうすることで取り組みの期待される効果は同じ領域であったとしても、それが何らかの規制や法的な枠組みによる強制力を持ったものなのか、取り組み対象の自主性に基づくものなのかという制度上の「幅」を表現することが可能になる。前述のバルセロナは強制性の強い「都市計画に基づく宿泊キャパシティの制限」であるため円の中心に近くなる。他方で、例えばコペンハーゲンは、バルセロナ同様に民泊の拡大や混雑といった都市型デスティネーションの代表的な問題に直面してはいるが、バルセロナとは異なる政策的対応をとっている。具体的には、観光計画の中で従来の観光振興との決別を謳い、「ローカルフッド」という概念を提起した上で、独自の都市型サステナブルツーリズムを標榜している。これは事業者や住民の取り組みを推奨・喚起することを通じて観光の質的変容を促す施策であり、より自主性の強い取り組みとして円の周縁に近い場所に位置づけられる。同じような政策アジェンダが設定されていても、それに対してどの程度、強制性、換言すれば制度的な硬直性の高い施策が採用されるかは事例によって異なるのである。
このように整理すると、サステナブルツーリズムの具体施策とされている多種多様な取り組みや事業が、実はVICEモデルを原則とした6つの領域に分類され、それらの中でいかに制度的硬直性の高い政策・施策を選択するかという議論に収斂することが分かる。サステナビリティというグローバル・イシューを取り上げているがために、ややもすれば「誰に向けた政策か」という最も重要な論点を等閑視しがちであるが、実は「誰にどのような効果が生まれることを期待して採用する政策なのか」という問いに置き換えることで自ずと政策・施策の全体像、そしてどこまで制度的な硬直性を高めるべきかが明らかになる。裏を返せば、サステナブルツーリズムの推進という大義のみを掲げ、他の地域から単に政策をコピーするだけでは、地域最適な取り組みにはつながらないということでもあろう。
NISTツリーによるサステナブルツーリズムの6タイプ
本稿ではサステナブルツーリズムをマインドセットと施策という2つの視点から分解し、それぞれを「ルーツ・モデル」、「リング・モデル」として概念の整理を行ってきた。最後に、「ルーツ・モデル」におけるマインドセットの分類を、「リング・モデル」に統合する形で、NISTツリーを完成させたい。
まず「リング・モデル」では、「ルーツ・モデル」の「問題解決型」マインドセットの3つは円の中心に、反対に「ビジョン追求型」マインドセットの3つは円の周縁に配置される。円の中心はより緊急性が高くしたがって短期的、具体的な成果が求められるため制度的硬直性、すなわち一種の強制性を伴う施策になり、そこから円の外側に向かって徐々に制度的な硬直性が緩和される構造である。「ビジョン追求型」のマインドセットでは、あくまで目前の問題解決ではなく、理念やビジョン、世の潮流といった中長期的で総じて大きな目標の実現が目指されるため、より自主性に委ねるような施策が選択される。政策立案者の視点でより主観的に述べれば、「問題解決」を目指す政策立案者は円の中心をめがけて政策を検討し、逆に「ビジョン追求」を指向する政策立案者は外側に向かって最適な政策を検討するのである。なお、NISTツリーでは、「SDGsマインド」は最も外側に位置づけている。これは文字通りSDGsの達成という
グローバル・イシューへの取り組みに強制性を持たせることが難しいと解釈されるためである。
このように整理すると、今日のサステナブルツーリズムがどのような要素で構成され、またどのような施策が何を目的として実行されているのか、その全体像を描くことが可能になる。前述のとおりサステナブルツーリズムはサステナビリティとツーリズムという極めてシンプルな構造でありながら、両者の関係性に曖昧さを抱え、さらにはNISTツリーによる検証からも明らかになった通り、かなり広範で多様な要素を内包する。観光政策推進に取り組んできた地域において、サステナブルツーリズムの推進が反対されることは想定しづらいが、総論としての賛意の後には政策実践の具現化に伴う困難に直面する。本論は、漠然と把握され議論されてきたサステナブルツーリズムの全体像を朧気ながらも示し、どこからどこに向かうべきか、あるいはそこに向かうためにはどの方向に進むべきかをモデルとして提示することを目的に考察を重ねてきた。
その上で、地域総体のマネジメントの方向性を示す意味では、どのようなデスティネーションを目指すのかというゴールのイメージについても類型化し、それがいずれの「素数」に依って組み立てられ得るのかを論じたい。これこそが「リコンストラクション」である。
・「コレクティブ・シティ」
オーバーツーリズムなど、地域の社会的側面に与える観光の負の影響を解決することを目的に、観光を地域の中でコレクティブ(集合的)に位置づけようとするタイプである。ヨーロッパの都市に多く見られ、最たる例はバルセロナである。産業としての観光、観光客を独立した存在としてとらえず、都市という生態系の中で位置づける発想だ。都市住民の生活に直結する問題に直面していることも多く、NISTツリーでは「ソサイエタル・マインド」に重点が置かれ、比較的強制性の高い施策が採用されることも少なくない。例えば、プラハでは、交通事故の抑制や騒音、温室効果ガス対策として中心市街地への車両乗り入れが禁止されているほか、バルセロナと同じくオーバーツーリズムの「メッカ」であるヴェネツィアではやや自主性の高い「Enjoy Respect Venezia」キャンペーンを通じて観光のマナー向上等に取り組んでいる。
・「クール・ルーラル」
従来の都市・大型観光地の対案(オールタナティヴ)として拡大している魅力的な農村である。伝統的にはルーラル・ツーリズムと呼ばれ、スローや地域、食などもキーワードとなる。従来のルーラル・ツーリズムとの差異を見いだすとすれば、「都市ではない」ことによって客体化されてきた農村をより概念的にとらえ直そうとする部分である。すなわち、観光実践に伴う資源やサービスがより地域に根ざしており、結果的にフットプリントの少ない観光形態が実現する。しかもそれが高度なデザイン性や快適性と共存する点が「クール・ルーラル」の特徴だ。
リング・モデルでいうところの「利用環境の保全」と「利用水準の保持」の両立が目指され、「エコ」や「グリーンマーケティング」といった指向性を持つデスティネーションが多い。取り組みは強制性の低いものが一般的であり、「環境認証制度の取得促進」や「エコツアー商品の開発」などが事例としてあげられる。ニュージーランドで初めての「持続可能な観光憲章」を策定しマオリの先住民観光や温泉観光で知られるロトルア、また2020年から始まったUNWTOによるBest Tourism Villageなども「クール・ルーラル」を後押しする枠組みと解釈できよう。
・「グリーン・アイル」
資源の消失等に対する危機意識に端を発する形でサステナブルツーリズムに取り組む事例である。主として自然環境への取り組みに重点が置かれ、資源賦存量の減耗や質的劣化への危機意識が芽生えやすい島(アイル)のほか、温暖化による少雪への対策に取り組む山岳デスティネーションなどもここに該当するだろう。
主として「資源保全マインド」であることが多く、取り組みも一定の強制性を伴う。ガラパゴス諸島で上陸する観光客数が強制的に制限されている例が代表的であろう。なおハワイ州は「グリーン・アイル」でありながらその政策・施策の対象に文化を重点的に位置づけている点が非常にユニークである。
・「ダヴ・ビレッジ」
住民参加型で、地域への経済波及効果の拡大を目的に取り組まれることが多く、総じて過疎地域、小規模な村落等での事例が多い。コミュニテイ・ベースド・ツーリズム等が代表的な事例であり先進国というよりは新興国、発展途上国に多く見られる。平和や社会的公正の象徴である鳩(ダヴ)を冠して、「ダヴ・ビレッジ」と名付けたい。
具体的な例でまず思い浮かぶのは、観光客に1日200ドルの観光税を課しているブータンだろう。コミュニティ・ベースド・ツーリズムでも知られる小国は、かなり早い段階から観光客の量的拡大ではなく質的向上を掲げ、住民の幸福、社会的公正、経済的発展に資する観光形態を追求してきた。200ドルの観光税はブータン国内の観光人材の育成等の財源になっている。
ルーツ・モデルの「グリーンマーケティング」や「まちづくり」、「SDGs」といったマインドセットが起点になっていることが多く、リング・モデル上では「地域経済の維持」を中心に「利用水準の保持」から「生活環境の向上」まで一定の幅がある。そのため特定の強制性の高い取り組みが実行されるというよりは、「ツアーの開発」や「地元産品購入の場の設置」など自主性の高い施策が目立つ。
・「エシカル・リゾート」
観光地などでエシカル・トラベラーの取り込みを意識した施策が民間事業者の間で展開され、サステナブルツーリズムのイメージが付与されるタイプである。近年では「世界のエシカル・リゾート・トップ10」や「ハネムーンで行きたいエシカル・リゾート」などの切り口でメディアを賑わすことも多く、総体的に高価格帯のホテル等が「エシカル」をコンセプトに新興国や発展途上国、島嶼国などで事業展開することが多い。したがってマインドセットとしては「グリーンマーケティング」や「エコ」、そして「SDGs」に分類される。
特徴としてはリング・モデル上の「地域経済の維持」を指向するタイプと「利用環境の保全」を指向するタイプに大別されることである。前者は、地元の職人を雇用して伝統的な建材や建築方法によるリゾート施設整備、地場食材の提供などを掲げた高級リゾートなどであり、近年、北米の富裕層から注目されているトゥルム(メキシコ)などが好例である。また、後者はシックス・センス・フィジーの「100%太陽光発電」が最たるものである。
・「エッジー・キャピタル」
自国や世界をリードするべく、先進的、革新的な取り組みを掲げてサステナブルツーリズムを謳う事例である。具体的な取り組みというよりは政策の潮流の転換点となるようなビジョンを掲げることで、基準設定や中長期的な政策の方針決定に影響力を持つ。ヨーロッパでは「観光の終わり」というショッキングなタイトルの観光戦略を掲げたコペンハーゲンが代表的な事例であり、都市ではなく国全体でサステナブルツーリズムの認証制度をいち早く導入したスロベニアも「エッジー・キャピタル」に分類されるだろう。また日本国内では釜石市が取り組む地場産業や食文化、被災地としての歩み等を統合的にプロデュースした体験プログラム「オープン・フィールド・ミュージアム構想」などが該当するかもしれない。
ルーツ・モデル上のマインドセットは、「エコ」から「まちづくり」まで幅広く、近年ではこれらを包含して「SDGs」マインドにまで広げている事例も多い。とがった(エッジー)な取り組みを常に打ち出すことでその先進性や固有性を外部に発信し、観光政策の新しい価値観の構築を目指しているようなデスティネーションである。
北海道大学大学院 国際広報メディア・観光学院 准教授
石黒侑介(いしぐろ・ゆうすけ)
1982年東京都生まれ。専門は、観光政策と観光組織(特に、インバウンド・ツーリズムやデスティネーション・マネジメント)。横浜国立大学国際社会科学研究科国際関係法専攻修了(修士・国際経済法学)。公益財団法人日本交通公社にて観光分野の中央官庁・地方自治体の調査事業・研究に従事。2014年、北海道大学観光学高等研究センター特任准教授、同准教授を経て、2021年4月より現職。2017年9月よりスペイン・バルセロナ大学ホテル・観光学院連携客員教授を兼務。
公益財団法人日本交通公社 観光地域研究部 環境計画室長/おきなわサステナラボ ラボ長
中島 泰(なかじま・ゆたか)
【脚注】
本稿の分析・考察では、以下にあげる各サステナブルツーリズム推進に関する戦略や計画を参照している(ハワイ州政府観光局「Strategic Plan 2020-2025」、バルセロナ市「Turisme 2020 Barcelona」、デンマーク首都圏DMO「Tourism for Good」、バンクーバー観光局「Vancouver Tourism Master Plan」、釜石市「釜石市観光振興ビジョン」、沖縄県「第6 次沖縄県観光振興基本計画」、プラハ市「Prague Destination Management: Putting Prague First」、ガラパゴス特区政府審議会「Plan Galápagos: Plan de Desarrollo Sustentable y Ordenamiento Territorial del Région Especial de Galápagos)
参考文献
United Nations Environmental Programme and World Tourism Organization, 2005, Making Tourism
More Sustainable: A Guide for Policy Makers
Butler, Richard W., 1999, Sustainable tourism: A State of the Art Review, Tourism Geographies, 1:1,
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