活動報告 第27回 「たびとしょCafe」
「和のスキーリゾート 野沢温泉とスポーツイベント」を開催
2022年3月22日(火)、「和のスキーリゾート 野沢温泉とスポーツイベント」をテーマに、第27回たびとしょCafeを開催しました。
2021年夏、2022年冬と、二つのオリンピックが連続して開催され、選手たちの活躍に多くの人が熱い声援を送りました。長野県の北東部に位置する野沢温泉村は、古くから温泉とスキーの村として広く知られ、数多くのスポーツイベントを手掛けることで地域を発展させてきました。1923年の野沢温泉スキークラブの設立以降、「地域振興は人材育成から」を理念に掲げ、スポーツを通じて〝人材〞を育成しています。選手も引退後は大会運営や人材育成を行う側にまわって、地域の発展に貢献するという循環が行われています。
今回は、家業の旅館経営とともに、長年にわたりスキー大会の運営に携わっておられる、旅館さかや代表取締役で野沢温泉スキークラブ理事長の森晃氏をお招きし、野沢温泉の地域づくりの取り組みをご紹介いただきました。
【第1部】話題提供
和の滞在型スキーリゾートの形成
● 自身が社長を務める旅館さかやは明治時代の創業。2009年には別の旅館を買収して離れとした。本館と離れを合わせて、年間2万人強の宿泊客、約4億円の売り上げがある。2020年には、それまで改修して利用していた離れを解体工事し、新築した。
● 北米のスキー場は、スキー場にふさわしい山を見つけ、資本を投入してスキー場を建設し、その後に街をつくる、という流れが主流。一方、ヨーロッパや日本のスキー場は、最初に街がありその裏山にスキー場を建設するという流れなので、デザインがうまくいかず不便であることも多い。
● 海外のスキー関連の展示会や商談会などには、フランス、カナダ、アメリカなど世界中のスキー場が参戦している。野沢温泉のライバルはこうした世界のスキーリゾート。
● 海外のスキーリゾートに日本のスキーリゾートが負けないためには、日本独自のスキー文化と日本の村で差別化を図る「和の滞在型スキーリゾート」の形成が不可欠。雪質の良さだけではなく、日本ならではの温泉街やお祭りも大きな魅力となる。国の観光戦略実行推進会議で発表した後、スキーリゾートに対して出国税を原資とする支援が行われ、野沢温泉では英語WEBサイトの一元化や人工降雪機の設置などを行った。
● アメリカの山岳リゾート会社であるVail Resortsが発行しているエピックパスは、世界中でかなり大きな存在感を示し始めている。これは、Vail Resortsが買収したり連携している世界中のスキー場で使えるリフト券で、WEBサイト上でシーズン前に販売することで来場者の囲い込みにつながっている。また、ここで得られた顧客情報を用いて精力的なマーケティング活動を展開している。
● 海外スキーリゾートが運営しているWEBサイトは販売が大きな目的になっているが、日本のスキー場や観光地が運営しているWEBサイトの多くは情報の一方的な発信が中心。WEBサイト内でお客様を誘導し予約へつなげるという意識を高める必要がある。そのためには、顧客のデータを蓄積してしっかり共有することが重要。自分たちさえ売れればよいという発想ではなく、日本全体として成長していくという視点が必要。
野沢温泉とスキーの歴史
● 野沢温泉にスキーが伝わったのは、日本にスキーが伝わった1年後の1912(明治45)年。その約10年後に野沢温泉スキー倶楽部が設立された。設立時の会則には『スキー普及心身ノ錬磨及当温泉ノ発達ヲ図ル』とあり、「スキー人口を増やし心と身体を鍛えること、そして野沢温泉の発展を図ること」が活動目的とされた。スキー客が大勢やってくることを見越して、スキー客の受入を通して野沢温泉を発展させようという考え方であり、現在取り組んでいる〝スポーツイベントの誘致により地域経済と人材を育てる〞という発想が100年前に既に生まれていた。
● スキークラブ設立後、大学のスキー部をはじめ多くのスキー客が野沢温泉
を訪れるようになり、初年度には345人泊だったものが、4年後には5093人泊に急増した。それまでの日本の寒村の冬は、雪に閉ざされ農作業はできず内職をしたり出稼ぎに出るしかなかったが、スキーをきっかけに冬でも村内で商売ができるようになった。
● 1930(昭和5)年にスキーの全国大会を誘致し、1948(昭和23)年には国民体育大会の実質的に第1回目の冬季大会スキー競技会が開かれた。
● 野沢温泉スキー場の4本のリフトは、スキークラブが中心となり村民がお金を出し合って建設したもの。1963(昭和38)年、スキーブームの到来により野沢温泉スキー場の利用者が急増すると、単独では管理しきれないと判
断したスキークラブは、4つのリフトを無償で村に移管した。その代わり、スキー場が続く限りスキークラブの運営費を拠出する取り決めになっており、移管から約60年が経つ現在でもその関係は続いている。
● 野沢温泉では国際大会も多く手掛けている。1995(平成7)年に開催された第15回インタースキー(世界スキー指導者会議)野沢温泉大会の際には、35カ国から1200人を超える宿泊客を受け入れた。この一大イベントにあわせて補助金制度を立ち上げて、和式トイレの洋式化など様々なインフラ整備を進めた。1998(平成10)年には長野オリンピックが開催された。白馬と志賀高原が中心だったが、野沢温泉はバイアスロンという、鉄砲をかついで走って打つ、ヨーロッパで非常に人気のスポーツの会場となった。
● 2020年には最新型のゴンドラを導入した。360度ガラス張りで景色が良く、非常に評判となっている。
近年の入込状況
● 野沢温泉スキー場の来場者数は、1992〜93年あたりがピークで年間110万人が来場していた。2008年にピーク時の約30%である31万人まで下がると、その後は様々な努力の甲斐あって42万人まで盛り返した。しかし、コロナ禍にあって2021年は22万人まで落ち込み、2022年は30万人あたりではないかと予想している。
● 2018〜2019年シーズンには、野沢温泉スキー場は42万人の利用があり、内13万人泊はインバウンドだった。繁忙期には1日平均2000人を超えるインバウンドが訪れ、8割位の方は宿の外で夕食を食べるため、夕方になると街中は外国のような雰囲気になった。野沢温泉、白馬、志賀高原、妙高高原で行っている共同プロモーションの成果が表れていた。
● インバウンドの内訳は、約60%がオセアニア、約25%がアジアとなっている。中国本土は約4%で、他の日本の観光地に比べて非常にボリュームが小さい。
野沢温泉スキークラブの活動
● 野沢温泉スキークラブは、スキー大会の誘致・開催、会費収入、補助金、ボランティア等を収入源として活動している。1971年から2020年までの約50年間の収入は、10億円を超える。
● 長野オリンピックの際、当初野沢温泉は競技開催予定地ではなかったため、代わりにオリンピックに向けた選手育成に力を入れた。村からの委託事業としてスキークラブが選手強化育成事業を請け負い、約10年間で約3億3000万円の予算がついた。その後、12年間でオリンピックに10名、世界選手権に12名が出場し、全日本選手権では16名の選手が優勝した。その後、予算が大きく減ってからは、16年間で2名のオリンピック選手しか出ていない。つまり、オリンピックでメダルを獲得するようなハイレベルの選手を育てるためには、それなりの金額をかける必要があるということ。
● 野沢温泉スキー場の日影ゲレンデは、昼間は一般客も滑れるが、夜はナイター施設を完備して地元選手専用になる。海外遠征には、まだ出場できない若い選手たちも応援に連れていくことで、世界で戦うとはどういうことか、若いうちから感じさせている。このような環境を整えることで地元選手を育成し、選手たちは「NOZAWA」とつけたユニフォームを身に着けて世界の舞台で活躍している。
スポーツイベント誘致と人材育成
● 野沢温泉では、11年連続で全国中学校スキー大会を開催している。高校球児にとっての甲子園のように、全国のスキー選手にとって野沢温泉は憧れの聖地として記憶に刻まれている。
● 2016年と2020年に新潟県の苗場を会場にしてスキーアルペンのワールドカップが開催された際は、英語を話すことができて国際レベルの大会運営ができる手腕を買われ、野沢温泉からもスタッフを派遣して一緒に大会運営を行った。コース整備や大会当日の対応も含め、野沢温泉のスタッフが指揮を執って対応した。世界大会の運営を通して、世界基準のコース整備、選手や来場者のもてなし方など、様々なことを学ぶことができる。
● 野沢温泉にとって、スキーの中心地
であり続けることが非常に重要。野沢温泉=スキーのメッカであり続けることがお客様に対する大きなマーケティングとなる。全国中学校スキー大会の開催はその代表的な取り組み。また、野沢温泉がスキーの中心地であり、常にスキーやスキー大会が身近にある環境をつくることで、世界レベルの大会で活躍できる選手や世界レベルの大会運営を牽引できる人材の育成につながる。
● こうした人材はスキー選手引退後も、海外留学をしたりヨーロッパの観光局職員になったりと世界で活躍しており、こうした人脈の存在が効果的な海外プロモーション活動にもつながっている。つまり、スキー人材の育成が、村の将来を担う人材の育成にもつながっている。
海外プロモーション事例の紹介
● 日本の他のスキー場では、英語が話せるという理由だけで外国人にプレゼンテーションをさせるケースが多いが、私たちは愛情を持って自分たちの言葉で伝えることが効果的なプレゼンテーションになると考え、全て自分たちで行っている。オーストラリア、香港、ロンドン等、12〜13年の間に約40回の海外プロモーション活動を行った。
● 海外プロモーション活動は、長野-新潟スノーリゾートアライアンスの予算で実施している。構成団体は、JR東日本、白馬村、志賀高原の山ノ内町、野沢温泉村、妙高市、新潟県、長野県。現地でのプロモーション、海外の旅行エージェントやマスコミの招へい、広告掲載や情報発信を行っている。
● 非常口サインのピクトサインを「Mr.Escape」というキャッチ―なキャラクターに仕立てて、忙しくてストレスフルなMr.Escape が、野沢温泉でリフレッシュして元気になって帰っていくというストーリー(図参照)でプレゼンを行っている。
● プレゼンでは、野沢温泉は日本最大規模のスキー場で、累積積雪量の年間平均が12mを超えるほど雪が豊富であること、伝統的な温泉の町で大湯と呼ばれる共同浴場や道祖神祭りもあり、日本ならではの体験ができること、温泉街は非常にコンパクトかつバリエーション豊かな飲食店やショップがあり散策が楽しめること、宿のタイプも様々であること、温泉は美肌や若返りの湯として有名であること、温泉街とスキー場は動く歩道で結ばれていること、スノーモンキーパークも非常に近い場所にあること、などを紹介している。
おわりに
● 100年前のスキークラブ創設時に掲げた『スキー普及心身ノ錬磨及当温泉ノ発達ヲ図ル』という目標は、スキーを利用してお客様を誘致し、地域経済と人材を育てるというかたちで、現在に至るまで引き継がれている。
● 自身は現在53歳だが、次の世代の人材も育ってきている。きちんと責任を持たせて仕事をさせれば、人はどんどん育つ。地域を活性化させることで人を呼び、人材を育成し、次の世代につなげていくこと、を肝に銘じながら活動している。
【第2部】意見交換
参加者…野沢温泉村の人口、宿泊事業者の割合はどのくらいか。
森氏…野沢温泉村の人口は現3500〜3600人。世帯数は三百数十軒あり、このうち宿が約240軒。約80軒は海外の方の所有になっているが、転売など大手企業による派手な動きはほとんどなく、基本的には個人の住宅や宿として活用されている。村が急激に変わっていくという様子は今のところない。
スキー選手を目指して移住を希望する方は一定程度いるが、村内には空き家がほとんどなく、不動産屋さんもないため、移住者の希望に添えずにいる状況。
参加者…雪のない夏のシーズンには、どのような活動をしているのか。
森氏…一般的に、温泉旅館は冬がオフシーズンでそれ以外の季節がオンシーズン。野沢温泉には約25軒の旅館があり、一般的な温泉旅館と同様のサイクルで営業している。また、山がありゴンドラなどの設備もあるため、温泉とこれらを組み合わせたプログラム等を提供している。世界中のスキーリゾートは夏の集客に非常に苦労しているが、野沢温泉もスキーの印象が強いためか、夏のイメージが弱い部分もある。
参加者…国際大会の運営にかかる準備やスタッフ数はどのくらいか。また、スタッフには選手経験者が多いのか。
森氏…苗場で開催されたスキーのワールドカップは、2日間のレースで選手の輸送なども含めた予算が約3億4000万円で、関係者数も膨大になる。一方、全国大会やインターハイの予選規模だと、40〜50名ほどで回している。
雪上での作業はある程度スキー技術がなければ不可能。コース設営時には、棒や旗などを数十本抱えた状態でアイスバーンの急斜面を滑るということも必要だが、こうした作業は一般人には難しく、元スキー選手が担当している。また、テント設営など、スキー技術と直接関係ないことでも、伝統あるスキー場の人たちの方が熟練しているように感じる。
参加者…野沢温泉には全世界の様々な国からスキーヤーが訪れているが、住民への影響はどのような形で見られるか。
森氏…村の子どもたちは、約10年間にわたって外国人が街にあふれている状態を当たり前のものとして見ており、外国人を身近に感じている。小学校にも様々なルーツを持つ子どもたちが通っている。まだ英語ができないので直接のコミュニケーションが完璧とはいかないが、外国人を見て怯(ひる)んだり気後れしたりすることは非常に少ない。
国際的な交流が日常的である一方で、昔ながらの文化も残っている。温泉、道路、水路を管理している「野澤組」と呼ばれる組織は、昔は日本中どこにでもあった惣(そう)の一つで、現在は野沢にしか残っていない。
変えるところと変えないところ、その両方が現在の野沢温泉を形づくっている。
参加者…冬に野沢温泉を訪れる日本人客は、スキー客がほぼ100%なのか。温泉目的の方もいるのか。
森氏…スキーをしない宿泊客ももちろんいる。たとえば、昨日の宿泊客は3世代家族7名で宿泊され、祖母とその息子はスキーをせずに温泉巡りを楽しんでいた。
旅館さかやでは、冬場はスキー客以外のお客様をなるべく取らないようにしている。温泉旅館は、基本的に冬場はオフシーズンであり、オフシーズン市場に打って出ることは非常に大変なため、オンシーズンのお客様をしっかり取ることを重視している。また、ヘルメットやスキーウェアを着て温泉街や旅館内をぶらぶらしているスキー客と、静かな雪見の温泉宿を目指して来た客層とでは、求めるものがかなり異なってくる。温泉メインの方には春以降がおすすめとお伝えするなど、ミスマッチを未然に防ぐ工夫をしている。
参加者…買収した宿の解体リニューアルを決めたきっかけは何か。
森氏…50年前につくった建物で、アスベストの問題など、いつかは処理をしなければならない状態だった。新型コロナウイルス感染症の足音は聞こえていたが、まだ行動制限などが始まる前のタイミングであり、コロナ禍とは直接関係なく実行した。コロナ禍が本格化する前に着工したため、コロナ禍における各種支援メニューは適用できず、宿泊需要も回復していないので苦しい部分はある。一方、木材が高騰しておりタイミングが少し遅れたら工事費用はもっとかかっていただろう。
参加者…プロモーション活動以外で、他の温泉地やスキー場と連携することはあるか。
森氏…スキー関係では、Mt.6(マウントシックス)という団体が昔から続いている。老舗スキーリゾートである草津や蔵王もメンバーに入っており、情報交換の場づくりやヨーロッパ視察研修などを行ってきた。
参加者…Vail Resortsのエピックパスについて詳しく知りたい。
森氏…エピックパスを購入しておくと、日本の白馬とルスツを含む様々なスキー場が約10万円の負担で利用できる。一方、シーズン中にベイルの窓口で1日券を購入すると、それだけで2万円を超えてしまう。つまり消費者は、シーズン中に窓口で現金で購入するのではなく、シーズン前にネット上でキャッシュレス決済するように誘導されている。
キャッシュレス決済を導入するメリットは、顧客情報を把握し様々に活用できること。たとえば、アメリカ東部のスキー場はコンディションが悪くても、中央部や西部のコンディションが良ければ、そうした情報を顧客に提供し、満足度を下げないように対応ができる。
スキー場側には売り上げの約7割が支払われるシステムになっているが、顧客情報は全てVail Resortsに集約されてしまう。スキーリゾートに限らず日本のDXは非常に遅れている分野であり、世界に遅れないように取り組む必要がある。
参加者…野沢温泉スキー場の客層について詳しく知りたい。
森氏…大会出場選手と関係者については受益者負担として1人300〜500円を宿経由で徴収しており、その収益から逆算する形で受入人数の把握は容易。また、野沢温泉には競技者専用のコースがあり、そのリフト利用人数も把握している。
インバウンド客数は日本のスキーリゾートで最も正確に把握していると思う。各宿に対して、観光協会のスタッフが電話で聞き取り調査を行い、発地別に人数をカウントしている。
実効性のあるマーケティング活動のためには、人数を正確に把握することが不可欠。正確な人数や属性を把握するためには、窓口での購入者データの積み上げや電話による宿への聞き取り調査では、推計値にならざるを得ず正確性に限界がある。クレジットカードであれば、流入経路や居住地など、様々な情報を正確に把握できる。
参加者…自身は白馬に移住して宿泊業に携わっているが、後継者不足が課題となっている。野沢で育った子どものうち、野沢で仕事に就く割合はどのくらいか。
森氏…後継者不足という問題には、自業自得の部分が大きいと感じている。野沢温泉では、バブル期に110万の利用客があったのが30万人まで下がっている。そうした状況にあって、親が子どもに対して「スキーでは儲からないし借金ばかりで大変だ。都会に出て就職した方がよっぽど楽だ」などと話してしまうこともあっただろう。自分の生まれ育った土地にビジネスチャンスはないと聞かされて育った子どもたちは、大人になっても地元に帰ってこない。そのため、自身の活動では、いかにこの村が魅力にあふれ、帰ってくる価値や人に自慢する価値があるかを、小中学生に伝えることを重視している。
野沢温泉で育ったスキー選手たちは、スキー選手ではない人に比べてUターン率が非常に高い。他のスキーリゾートに比べても、スキー大会の運営やスキー指導者として地元に戻ってくる人数が突出している。これは、野沢温泉がスキーのメッカであり、その特別な場所で自分がスキーをしているのだと小さい頃から実感して育ち、村やスキー場に対して誇りを持っているから。地元に対する誇りを育む教育が重要。
参加者…繁忙期と閑散期がある中で、どのように人材確保をしているか。
森氏…コロナ禍の現在、サービス業や宿泊業の求人数は少ない状況にある。野沢温泉で求人を出したところ日本に留学している外国人を中心にかなりの応募があった。今後、留学生も日本への入国ができなくなったり、景気が回復すれば他産業へ希望者が流れてしまう可能性を考えると、今のうちに少し無理をしても人材を確保する方が良いと考えている。将来的に、日本人人材が宿泊業に流れ込むということは想定しにくく、外国人人材も積極的に採用する必要がある。日本人でなければサービスが提供できないという既成概念を捨てて、取り組んでいくべきだと思う。
おわりに
参加者の皆様からは、「現場感のあるお話で面白かった」、「データ蓄積のためにもキャッシュレス化が重要という部分がよくわかった」、「父親がスキー好きで自身もスキーに慣れ親しんで育ってきたので、スキー集落の取り組みを知ることができて勉強になった」といったご感想が聞かれました。「スキーを通して地元の良さに触れながら大きくなった子どもたちは、大人になってからも地元に対する誇りを持ち、街にとって欠かせない人材になる」というお話が印象的でした。温泉地やスキー場に限らず全国のどの地域でも、自分の地域に誇りを持ち地域を愛することが、あらゆる活動の基盤になると感じました。
(文:観光政策研究部社会・マネジメント室 副主任研究員 門脇茉海)
Guest speaker
森 晃(もり・あきら)
1992年米国コロラド・マウンテン・カレッジ スキー場運営学部卒。現全日本スキー連盟アルペン委員会副委員長、長野県スキー連盟競技本部長、野沢温泉スキークラブ理事長。2016・2020年アルペンスキーW杯苗場大会競技委員長を務める等、スキー大会運営のスペシャリスト。「旅館さかや」の代表取締役をはじめ、野沢温泉旅館組合理事、全国旅館組合青年部副部長、日本旅館協会クレジットカード委員会委員長等を歴任した旅館業界活動の他、野沢温泉観光協会インバウンド部会長として海外誘客事業にも従事。