ケーススタディ2
「生活と観光の両立〜地域への共感を生み出す空き家活用〜」
山梨県富士吉田市
1.富士山信仰と織物のまち
山梨県の南東部、富士山の北麓に位置し、郡内地域と呼ばれる富士吉田市は、海抜約750mの高地に市街地が広がる。吉田口登山道の起点のまちとして富士山信仰と深い関わりを有するとともに、「郡内織物」と呼ばれる織物産地としても長い歴史と高い技術力を持つ。東京都心部から100km圏内にあり、新宿駅からは特急で約1時間半。近年は、郡内織物をテーマとした産業観光や体験型観光、ナイトタイムエコノミー、ワーケーションなど、観光振興も盛んに行われている。
2022年4月に合同会社OULOを立ち上げた赤松智志氏は、空き家再生、移住促進、イベント企画、プロモーションなど、学生時代より10年以上にわたって富士吉田市のまちづくりに取り組んでいる。今回は、赤松氏の経験や視点を通して、富士吉田市における観光と生活の両立、その中での不動産の役割について話を伺った。
2.赤松氏と富士吉田市との出会い
赤松氏と富士吉田市の出会いは今から約11年前、大学2年生の時にさかのぼる。所属していたゼミの活動として、上吉田にある御師のまちの活性化プロジェクトに参加したのがきっかけだった。最初はゼミ生としての調査研究のために2〜3ヶ月に1回の頻度で来市していたが、友人ができたり若手の市職員と仲良くなるなど、富士吉田での交友関係が広まるにつれて、プライベートでも毎週のように遊びに来るようになった。
そうした日々を過ごす中、「自分が好きな富士吉田のためにもっと何かしたい」という気持ちが高まっていった。とはいえ、大学のゼミを通して得られる知識や経験だけでは、地元に求められる人材にはなれないと感じた赤松氏は、大学を1年間休学して日本各地でコミュニティデザインを手掛ける会社でのインターンシップという修業に出た。
修業を終えた1年後、復学してゼミ生として再度富士吉田に関わろうと思っていたところ、地域おこし協力隊の制度が始まることになり、在学中から地域おこし協力隊として活動を始めることになった。
3.生活と観光の両立
1年間のインターンシップ期間中、日本各地での実践を通して地域と向き合う姿勢やスキルを学んだ赤松氏は、「まちづくりとは、生活者目線でまちのあり方を考えること」と話す。市民の暮らしやすさであったり、まちに対する愛着やシビックプライドの醸成といったことがまちづくりの基本であり、大きな経済効果を生み出すことは最優先事項ではないと考えている。しかし、まちに関わる人の多様化が進み、何を望ましい姿とするかが人によって大きく異なるようになった現在、まちづくりは以前と比べて難しくなったという。それは、観光の場面でも起こっている。
生活と観光の両立、住民生活に配慮した観光振興の必要性が指摘されて久しい。サステナブルツーリズムの文脈でも、Visitor(観光客)、Industry(産業)、Community(地域住民)、Environment(環境)の全てを重視する「VICEモデル」が見られるように、持続可能な観光振興において、地域住民の満足度は不可欠の要素である。
富士吉田をはじめ郡内地域のシンボルである富士山は、言うまでもなく日本を代表する観光資源でもある。しかし、この富士山は富士吉田観光のコントロールを難しくさせるという側面も併せ持つ。富士山の類まれなる存在感の大きさや特異な美しさが、〝インスタで見たきれいな写真が撮れればそれで満足〞というレベルの観光客をも惹きつけてしまうからだ。その結果、商店街に人があふれて住民が日常の買い物をしにくくなったり、インバウンド客が文化の違いやマナーへの理解不足から道路にはみ出して撮影してしまったり、など、市民生活を実際に損ねている現状がある。そしてまた、観光客が訪れ続けるという状況は、必ずしも住民本位ではないビジネスも惹きつけ、雑多な状況を生み出しているという。「富士吉田も観光で成り立っているまちだが、生活と観光をいかに両立させていくかが課題」。
4.必要なのはまちへの共感
富士吉田は、隣接する富士河口湖町や山中湖村とは異なり、観光地として大規模な開発がされているところではない。以前は、富士吉田市を訪れる観光客といえば富士急ハイランドの入園者と富士山五合目の見学者を指しており、まちなかを訪れる観光客はあまりいなかった。織物生産もOEM生産が中心であり、富士吉田の名が織物産地として知られているわけではなかったため、地元製品を購入できるショップもほとんどなかった。富士吉田はあくまで生活の町であり、市民が利用する日常使いの店が多いため、河口湖や山中湖の住民が買い物に訪れるような場所だった。
そんな富士吉田が目指しているのは「富士吉田の日常を外の人にも感じてもらう」観光だ。元々が生活の町であり、狭い路地が延びるようなまちのため、大型施設を新設して観光バスをたくさん受け入れることはそもそもできない。「富士吉田では全国展開のチェーン店の進出も中心市街地にはそこまで目立っておらず、昔ながらの個性あるまちなみがキープされている。そこを魅力と捉え伝えることが重要だろう」。
赤松氏が富士吉田のまちづくりのお手本として挙げたのが黒磯(栃木県那須塩原市)、善光寺(長野県長野市)、真鶴(神奈川県真鶴町)といったまち。「これらの地域は、市場に受けるものにあわせていくのではなく、自分たちのやりたいスタイルを貫いて、結果的にそこに共感する人たちに来てもらえれば良いというスタンスだと感じている。そうしたスタンスを持つある事業者が先陣を切って取り組み始めたところ、その姿に共感する若手が次々に集まって新たな店が増えている。一つの取り組みがいい形でまちに波及しており、いいまちに育っていると感じている。富士吉田も〝富士吉田のこんなところが好き〞〝こんな富士吉田にしたい〞という思いに共感してくれる人が訪れる場所に育てていきたい」。
魅力的な富士山があるがゆえに、富士山が見えればそれで満足してしまう観光客、富士山しか目指していない観光客はまだまだ多い。「本当の富士吉田、富士吉田の本質的な部分を観光客にも体験してもらうには、観光体験の導線設計や情報発信の仕方を工夫しなければならない」。
5.不動産を通して地域の意思を発信する
不動産は観光においてどのような役割を果たせるだろうか。
地域おこし協力隊1年目から空き家の再生に取り組み、富士吉田市内でいくつもの空き家再生を手掛けた赤松氏は、「不動産の活用においては、何かしらのストーリーがあることが欠かせない」と話す。
「初めての空き家再生は、自分自身が使いたいと思える物件を市内で探すところからスタートした。最初に手掛けたのは下吉田にある築約80年の六軒長屋で、元々は1階が立ち飲み屋さん、2階が立ち飲み屋さん店主の居室として使われていた建物だった。織物取引が行われた市とそこで得た収入を持って楽しんだ繁華街という下吉田らしさを今に伝える物件であることが惹かれた理由の一つ。そして、富士吉田に来て初めてゼロから地道に信頼関係を築き、その後も良き応援者になってくれた大家さんとの思い出がその建物には詰まっている」。現在この建物は「ハモニカ横丁」と呼ばれ、短期滞在者向けのシェアスペースとして利用されている。
ハモニカ横丁の隣にある「HOSTEL SARUYA」も、同じ大家さんから紹介してもらった物件だ。場所は本町二丁目交差点の南西角。日本橋から富士山頂まで通じる富士山道が南へと進路を変え、富士山の真正面へと延びていくまさにその場所にある。2階には個室とドミトリー形式の部屋が配置され、1階部分にはシャワールーム、洗面所、自炊のできる台所の他、広いサロンスペースがある。シンプルで清潔な内装でありながら、木材を多用し、古い道具と新しい道具が混在する空間には、この場所に積み重なった時間や生活の手触りが感じられる。決して背伸びしていない〝等身大の暮らし〞と言えるだろうか。また、宿泊客に限らず、地元の人も含め様々な人がここを利用し、和気あいあいと過ごしている。それは、この建物が人と人との出会いを生み出すことを目指してデザインされているからだ。
赤松氏は、「旅に人とのコミュニケーションは欠かせない」と話す。「人とのコミュニケーションが生まれると、まちの記憶がより特別なものになり、まちに対する愛着も増していく。人に会いに行くというのは旅の根源的な面白さであり、だからこそブーム化せずに残り続けている」。人との出会いは偶発的なものであり、あらかじめ計画や想定ができない観光のスタイル。生きたものだからこそ素晴らしい。「様様なものがお膳立てされた、いわゆる〝観光地〞化はしたくない」。
この建物を通して赤松氏が大家さんと出会い、富士吉田との関係を深めていったのと同じく、HOSTEL SARUYAを訪れる人たちは、ここでの経験を通して富士吉田の暮らしや人のあたたかさに触れているのだ。
観光地における不動産は、そこでの滞在を通して、地域のメッセージを視覚的・体験的・立体的に伝えることのできる絶好の情報発信装置であると言えるだろう。その役割を果たすためには、明確なコンセプト設定に加えて、それを他者に伝えるデザインの発想が欠かせない。「デザインは目的達成のための手段。デザインがなければ、自分たちの意思やメッセージを伝えることができず、外の人に「このまちいいな」と共感してもらう土俵にすら立つことはできない。一般的には『ブランディング』と呼ばれるものだと思うが、地域の中にあっては『意思表示』と言えると思う」。
6.富士吉田に集まる人たち
富士吉田市には、その時々に必要な人材が移住してきている印象があると言う。約10年前の第一次移住者と言われる赤松氏の世代は、富士吉田というまちのために何かしたいという思いでやってきた人たち。そこでまちの雰囲気や信頼関係ができると、行政案件を進めるうえでもクリエイティブなスキルを持った人材が必要となって、デザインやイベントの企画ができる人材が集まった。最近ではコロナ禍という影響もあり、IT系人材が増えている。
なぜ、富士吉田市では移住者が活躍できるのか。富士吉田市の人口は約4万8000人。この適度なコンパクトさゆえに、市長や部長クラスの市職員とも距離が近く、自分のアイディアを市のトップに伝えられる風通しの良さがあるという。また、若手に任せる度量があることも特長で、お互いに信頼関係があれば、実現するために事業化の相談に乗ってもらえたり、補助金の情報を提供してくれることも多い。こうした「やれる環境」があるからこそ、多くの若手がどんどん集まってきている。まちづくりは行政との連携が不可欠だが、それが富士吉田市にはあるのだ。
観光客も移住者も増えている富士吉田市にあって、赤松氏は両者の関係を「地域との関係性の強さを軸としたグラデーション」と表現する。「富士吉田に来てもらいたいのは、富士吉田というまちの本質に共感してくれる人。観光客か移住者かという分類ではなく、まちとの関係性の濃度によって、一見的な観光客からリピーター、移住者までグラデーションになっていると捉えている。最初のきっかけは観光だったとしても、何度も足を運び、地元の人とのコミュニケーションを重ねるうちに、自分とまちとの関係性が変わることがある。そうした人の中から、一緒にまちの未来を考えられる仲間が生まれることもある」。
赤松氏は2022年4月に合同会社OULOを設立した。「まちに対して市民一人ひとりが異なる思いを持っている。OULOはそうした生活者の思いを拾い上げ、状況に応じて適切なプロと連携しながら、課題を解決していくという役割を果たしたい。最初から専門家に任せてしまうと、自分の専門分野の狭い領域でしか解決方法が考えられなくなるケースもある。そのため、OULOが彼らを〝つなぐ〞役割を担えたらと考えている」。
地域から相談ごとがなくなるその日まで、地域の相談ごとを解決するために奔走する。
(取材・文:観光政策研究部 副主任研究員 門脇茉海)
赤松智志氏プロフィール
千葉県柏市出身。合同会社OULO代表、かえる舎副代表、ふじよしだ定住促進センター理事。学生プロジェクトや地域おこし協力隊を経て、富士吉田市に根を張る。HOSTEL SARUYAの共同創業や、NPO法人かえる舎の共同設立を経験し、2021年までは3年間ふじよしだ定住促進センターのスタッフとしても従事。2022年4月に合同会社OULOとして独立し、地域の相談ごとを形にしていく日々を送る。
● 山梨県富士吉田市プロフィール
人口………………47,289人(2023年1月現在)
面積………………121.740 ㎢
年間延入込客数…3,426,299人※
※ 出典:令和3年山梨県観光入込客統計調査報告書
○ 取材協力/合同会社OULO 代表・赤松智志氏
所在地…〒403-0009 山梨県富士吉田市富士見1-1-5