はじめに
多くの旅行者にとって、日常に似た旅先の風景からは何も感じませんが、自分の日常とかけ離れた風景や異文化との出会いは大きな感動につながります。イギリスの社会学者ジョン・アーリはこの理由を観光者の「まなざし」の違いとして説明しています。長らく関わってきた観光プランナーの経験と、現在勤務している「旅の図書館」の図書を眺めながら、この「まなざし」について考えてみました。
イザベラ・バードの日本への「まなざし」
近年、日本への関心の高まりとともに、訪日外国人旅行者数も1,000万人を超えるまでになりました。今、日本を訪れる外国人旅行者は、歴史・伝統文化や代表的な自然風景のみならず、ラーメンやアニメ、さらには正確に運行する鉄道や満員電車など、「今の日本」ならではの文化や日常生活にも関心は広がっているようです。
では、かつて日本を旅した外国人は、どのような旅をして、そこから日本の何を見たのでしょうか?
明治の初めに日本を旅した著名なイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは、『日本奥地紀行』の中で、日本で訪れた地の町や村のたたずまい、人々の暮らしぶりを、緻密な挿絵(スケッチ)を交えて紹介しています。そこからは、交通が未発達な日本の旅の厳しさの中でも、バードが常に好奇心を失わず地域を見、文明という点では当時の欧米とは大きな開きがある東北各地の人・生活・文化を驚きと敬意のまなざしで見ていたことがうかがえます。
観光対象から見えるものを左右する観光者の「まなざし」
イザベラ・バードの旅と、現在日本を訪れる外国人の旅とでは、変わらずに見えているものもあれば、ずいぶんと異なって見えているものもあるでしょう。当然、国によっても様々だと思います。
アーリ(前述)の表現を借りれば、こうした違いは、人による「観光のまなざし」の違いということになります。つまり、「ある特定の景色へのまなざしは、その個人の体験や思い出によって決まり、その枠組みは規範や様式で決まり、また流布しているあれこれの場所についてのイメージとテクストにもよる。こういう「枠組み」は、決定的な動機、技法、文化的なメガネとなって観光者が、具体的な物や実態的な場所を「面白い、いい感じ、美しい」と見るより先に、先行してそう見えるようにしてしまっている。・・・見方が異なってしまうことで、モノとしての、構築された世界はいかようにも違って見える。」(『観光のまなざし(増補改訂版)』ジョン・アーリ、ヨーナス・ラースン著、加太宏邦訳、法政大学出版局より)ということです。
「ディスカバー・ジャパン」の背景にあったもの
「観光のまなざし」とは、「見る対象の外にあるもの」、つまり「自分の側の有り様」ということですが、これは単純に「同じ国・社会的な環境の中で育ってきた人であれば、訪れた地から見えるものもまったく同じになる」ということでもありません。自分の生まれ育った環境・経験を通して、どのような価値観やものさしで地域を見ることができるかによって、地域の見え方も違ってくるということではないでしょうか。
1970年代、日本では「ディスカバー・ジャパン」が大きなブームとなりました。航空時代に危機感をもった国鉄(当時)のこの一大キャンペーンは、鉄道を利用した「美しい日本の再発見」ということと同時に、日本人が高度経済成長に支えられ物理的・経済的な豊かさを追い求める時代を背景として、旅を通して自己を見つめ直そうという「ディスカバー・マイセルフ(自己発見)」がコンセプトに込められていました。「地域から見えるもの」とは「そこから見える自分」・・・なるほど。旅先で出会う風景に何を感じるかというのは、つまるところ、自分がどのような「地域を見る眼」を持っているかということでもあるのだとあらためて気づかされます。
観光プランナーに必要な「リスペクトして地域を見る眼」
地域の観光振興の仕事に長年関わってきましたが、「うまくいく」ときもあれば、自分では頑張ったつもりでも「うまくいかない」ときがあります。自分の経験を振り返ると、前者は「地域の良いものが見えた(地域の魅力を少しでも多くの旅行者に伝えたいと思えるものが見つかった)」ときであり、後者は、「地域の良い部分が見えない(自分がその地域を高く評価できなかった)」ときであったことが多かったように思います。
観光地づくりの主体である地域の人たちと協働して取り組もうとする場合、それを支援する観光プランナーが忘れてはいけないことは、客観的に地域を評価する眼や課題を解決する技術の上に、地域を少しでも理解しようとし、自分の日常にはない価値やすばらしいと思えるものを見つけ出しそれをリスペクトしようとする「地域へのまなざし」をもつことであり、その良さ・価値を地域の人たちときちんと共有することなのではないでしょうか。