料理は「美味しい」を超えた!? [コラムvol.112]

 「美味しく創るのは簡単です。決まった組み合わせはわかっています。でも私は完成手前で味を一つ引いたりします」。ここは山形県鶴岡市、全国から食通が押し寄せて予約がとりにくくて有名な、レストラン「アル・ケッチァーノ」。
 オーナーシェフ奥田政行さんの言葉には心底驚きました。料理人が目指す最上級は「美味しい」ではないの!? なぜわざわざ引くの? 疑問は次々湧いてきます。「そうすると食べ手は、その素材の中に入っていくんです。その先の伸びしろはその人がどう解釈してもいいんですよ」。

 確かに、最初の一口は「物足りない・・・?」と感じたお皿もありました。食べたのは「白菜で煮た寒ダラとじゃがいもとバジルのピューレ」。
 もっと塩味がほしいな、と思いながらも白菜の味に集中してみたら、畑の風景と土や空が目に浮かんできました。そういえば庄内浜の寒ダラが高価な理由がシェフのエッセイに書いてあった。確か「ここの海は、タラが最も心地いいと感じる水温で、塩分も1年中安定している・・・」。シェフはタラの気持ちで料理を考えるらしい。こちらも、すいすい泳ぐ楽しいタラの気持ちに。なんだか空と海を自由に駆け抜ける爽快な気分、愉快です。

 テレビや雑誌の多くは、アル・ケッチァーノを地域活性化や地産地消といったキーワードとともに紹介します。地域固有の在来作物を生産者と共に育み、料理を通じてその想いを全国に発信してきたからです。しかし実際に訪れてみて、人々をこれほどまでに惹きつける理由が「美味しい」を超えた、もっと奥深いところにある気がしてきました。
 まず驚かされるのは、奥田シェフの食材とのかかわり方が、特別個性的だということです。

 たとえばアル・ケッチァーノの冬のメニューに欠かせない、米沢在来の雪菜。秋にいったん収穫してから土の上で束ね、雪が積もるのを待って育てます。これは、雪深い冬でも栄養価のある新鮮野菜を家族に食べさせたいと農家に伝わる300年の知恵。「雪菜は積もった雪の中で呼吸し温度を上げ、自身の外側の葉を溶かして栄養源にするんです。中にある茎の部分は透き通った白い姿に変身します」と奥田さん。そこで、藁室で静かに春を待つ雪菜を想い、猪の肉と組み合わせた「雪菜の住みか仕立て」という料理を考えました。まさに雪菜になった気分のレシピです。

 シェフは赤カブの気持ちになることもあります。最近まで幻の存在だった藤沢カブ。最後の種を守ろうと一人で栽培を続けていた後藤さんに出会った奥田さんは、初めてカブ畑を見に行った時の、その斜面から振り返って見た風景が忘れられないと言っています。「小さな藤沢カブたちが見ているのは、パノラマの庄内平野と美しく光り輝く日本海」。そこで焼き畑を連想してカブの表面を炙り、ローストした豚肉に添えて「藤沢カブと山伏ポークの焼き畑風」の誕生です。

 どのように料理したらいいのか、「あなたは何が言いたいの?って、魚にも聞きますよ」と奥田さん。「なかなか弟子に説明するのは難しいんですが」と笑顔の真顔。自ら聞き取り、読み取った素材が語る物語だからこそ、料理に独創的な迫力が生まれるのでしょう。伝えたいことがたくさんあるから、奥田さんの料理は「美味しい」で終わらない、感じて考える忘れがたい体験になります。
 「庄内を”食の都”にしたい」と夢を持ち、気候風土や歴史はもちろん、土質や風の通り道までも調べて、野菜や魚の気持ちになって広げた奥田ワールド。「あれっ?」と驚かせたり考えさせるのも仕掛けのうちで、食べ手に”参加し探して”もらうため。こうしてシェフの人柄と料理観に引き込まれた旅人は、庄内の歴史や文化への興味をかき立てられていくのです。
 旅行動機に関するアンケート調査で必ず上位にあがる「美味しいものを食べたいから」。調査の回答はそうであっても、期待しているのはお皿の上の美味しさだけではないはずです。

 「レストランは幸福論にあわせて動くところ」と奥田さん。その人が何を大事に生きているのか、どういう時に幸せを感じるのかにあわせて役に立つのがレストランだと。「笑顔の人たちの中にいれば私も笑っていられますからね」。
 庄内の特徴を調べるうちにわかった土地の歴史や人々の想い、応援してくれる人からのメッセージを受け取って、アル・ケッチァーノはもはや単に料理を出す店、食べる場所を超えた存在になっています。
 藤沢カブの後藤さんは家族を大事にする人だからと、カブが届けば、替わりにケーキを届けたり、家族で食事に来てもらったり。魚が好きな小松菜の井上さんには、ブリの頭を届けます。なんとレストランで使う野菜の多くが生産者との物々交換(幸せの交換)でお金のやりとりがないのだそうです。

 夏場は遠来のお客が多いものの、冬は地元客で賑わうアル・ケッチァーノ。小さな赤ちゃんからおじいさんまで揃った大家族のテーブルの近くで奥田さんが楽しそうにおしゃべりしています。きっと野菜づくりの達人一家に違いありません。隣の賑やかなテーブルは、近所の主婦たちの”打ち上げ”でしょうか?
 この幸せ感に充ち満ちた雰囲気の中に身をおく喜びがある。訪れてわかったもう一つの発見です。アル・ケッチァーノへ食べに行きたくなる理由は、こうした何気ない日常の幸福を互いに喜びあう場所だからなのかもしれません。

参考(お薦めします):
 『奇蹟のテーブル』(「奇蹟のテーブル」刊行委員会、2007)
 『庄内パラディーゾ アル・ケッチァーノと美味なる男たち』(文藝春秋、2009)
 『田舎町のリストランテ、頑張る。』(マガジンハウス、2009)

レストラン「アル・ケッチァーノ」
レストラン「アル・ケッチァーノ」
入り口には生産者の写真
入り口には生産者の写真
雪菜の住みか仕立て(今日は豚と一緒です)
雪菜の”住みか”仕立て(今日は豚と一緒です)