戦前・戦後の観光計画から学ぶ [コラムvol.189]

 今日、多くの自治体では観光計画(ビジョン、戦略、アクションプラン等々)を策定しています。しかし「観光」に取り組み始めたばかりの自治体では、観光計画を策定するプロセスにおいて、試行錯誤を繰り返すことも少なくありません。

 今回は、戦前・戦後の観光計画を紹介しながら、観光計画の本質的な役割について考えてみたいと思います。なお、本文中の人名については、敬称を省略させていただいています。

●戦前・戦後の観光計画

 観光計画は、我が国の国立公園法(昭和9年施行)が施行される前後、大正末期から、戦災復興や国際観光による外貨獲得等が盛り上がる戦後初期にかけて多く策定されています。特に林学家・造園家である本多靜六(1866年~1952年)、田村剛(1890年~1979年)、そして、当財団の評議委員を務める鈴木忠義(1924~)らによるものが代表的なものとして知られています。
 当時、京都等の都市部では都市計画の一環として観光について触れられることはありましたが、観光単独の計画としては、温泉地や自然公園、歴史的なまちといった観光政策が地域の発展において重要であった地域において、策定されていました。

図 本多靜六、田村剛、鈴木忠義による主な観光計画
年代 計画名
1914年(大正3年) 日光風景利用策(本多靜六)
1924年(大正13年) 由布院温泉発展策(本多靜六 ※講演録として)
1926年(昭和元年) 県立榛名公園計画(田村剛)
1927年(昭和2年) 妙高大公園計画(田村剛)
1949年(昭和24年) 別府国際泉都計画(田村剛)
1949年(昭和24年) 草津温泉観光計画(田村剛)
1968年(昭和43年) 草津温泉観光開発基本計画(鈴木忠義)
各種資料より筆者作成

●戦前・戦後の観光計画の目的と内容

 「草津温泉観光開発基本計画(1968年(昭和43年))」は、草津町の依頼を受け、当時東京工業大学土木工学科助教授であった鈴木忠義と助手、学生らが中心になって策定したものです。鈴木忠義は計画の意義や目的を「この報告書のねらいは草津の総合的開発を考究し、観光者のみならず、草津町全市民に満足を与えうる草津の将来あるべき姿を提示する」と述べており、観光客に受け入れられ、かつ住民の満足や将来につながることが、観光計画の本質的な目的であることを指摘しています。

 また、当時の草津温泉のビジョンは「伝統的な温泉街の雰囲気を残す市街部(現在の湯畑広場を中心とするエリア)と手つかずの高原部の開発による高原温泉保養都市」として既に示されていましたので、計画の主題は急速な環境変化(自家用車の急増、観光客の急増、民間資本による開発の急増等)に対して、どのように戦略的・計画的にビジョンを実現していくかにありました。

 具体的には、基本方針として以下の7点を示しています。現在の観光計画にもよく取り上げられる「観光客視点の観光環境の整備」「地域資源を活かした観光環境の整備」「観光客数の平準化」「交通問題」「観光容量論」「計画的実行と態勢づくり」が、当時から計画の中心として論じられていることがわかります。

図 草津温泉観光開発基本計画の基本方針

基本方針 詳細(一部筆者加筆・抜粋)
① 広く国民大衆の利用を図る 各種施設を用意し、高原観光活動を享受させる
② 魅力の造成をはかり、多様な観光志向に対処し、温泉保養地としての地位を確立する 自然環境尊重の都市づくり、温泉療養センター、会議場、湯畑の園地化、湯川の復活
③ ウィンターリゾート利用をはかり、シーズン利用の平均化をはかる スキー客による観光客の平準化
④ モータリゼーションに対処する 自家用車増に対応した交通体系、歩行者と車の分離
⑤ 観光優先主義による土地利用 資源の絶対性、観光立地(優位性・特異性)の見地から観光優先的土地利用
⑥ 容量論による適正規模開発 オーバーユースの規制、環境維持、計画収容人口の設定
⑦ 計画目標年次と段階的実施計画の提示 目標年次を昭和50年として基本的態勢を整える

図 草津観光基本計画案1968(表紙及び基本方針)  

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●戦前・戦後の観光計画から学ぶこと

 近年の観光計画は、地域政策における観光の重要性の増大、役割の多様化の結果、その内容、目的も多岐に渡るようになりました。例えば、観光とまちづくりの融合、観光消費や滞在時間の拡大、地域の自然・文化・町並み・景観の保全と活用、観光客の満足度向上、住民の満足度向上、マーケティング、プロモーション、インバウンド対応、MICE対応等、戦前・戦後のいわば創成期の計画から大きく変化したように見えます。
 しかし、観光計画の役割は本当に変化しているのでしょうか。むしろ、多岐にわたる個別の課題解決に追われてしまい、本来の目的や論ずべき内容を見失ってしまっているようにも思います。

 観光計画の役割を考えるモデルとして、UNWTO(国連世界観光機関)の「A Practical Guide to Tourism Destination Management」の中に「The VICE Model」として紹介されている、観光地域づくりの概念モデルがあります。
 このモデルでは、観光地は自然環境や歴史・文化(Environment and Culture)をベースに、観光客(Visitor)、観光客を迎え入れる地域社会・住民(Community)、観光客にサービスを提供する地域産業(Industry)それぞれの視点から考えることが重要であり、観光を計画するにあたって「その取り組みは観光客にとって良いことか?」「観光産業はもちろん、農業や漁業等の地場産業を巻き込めているか?」「地域社会にとって良い結果につながっているのか?」「自然や文化を壊していないか?悪い影響を与えていないか?」を常に意識することが重要と指摘しています。
 こうした視点は、1968年に策定された「草津観光開発基本計画」で論じられている観光計画の目的と、何ら変わらない視点ではないでしょうか。

 今回、紹介した戦前・戦後の観光計画は、ほんの一部です。しかし、観光計画を考える際に、必ず立ち戻るべき視点が、我が国の観光発展史の中にもあることを、もう一度見直して行きたいと思います。

  図 VICEモデル
出典:UNWTO「A Practical Guide to Tourism Destination Management」
(出典・参考文献)

  • 中野文彦・十代田朗(1999):「観光地・リゾート地において「観光地・リゾート地としてのマスタープラン」が果たし役割に関する比較研究 -群馬県草津町と新潟県湯沢町を事例として-;日本建築学会計画系論文集第522号
  • 岸本史大・十代田朗・中野文彦(2002):田村剛による「公園計画」「温泉地計画」の特徴に関する事例研究;日本造園学会誌ランドスケープ研究Vol.65
  • UNWTO(2007):A Practical Guide to Tourism Destination Management