インバウンドが感じる「わかりづらさ」とは何か? [コラムvol.402]
JRPで乗車可能な「こだま」の方向幕(出典:https://unsplash.com/photos/4CVR9EbMr_8, public domain)  日本語はすべて英訳されている 京都を目指すインバウンドは、東京駅でこの列車に躊躇なく乗車できるだろうか?

 2017年07月から2018年06月にかけて、(公財)日本交通公社は東京都台東区谷中の「澤の屋旅館」との共同研究により、同旅館に宿泊したFITの日本国内における動態について調査を行った。FIT(Foreign Independent TourもしくはFree Individual Traveler)とは、団体旅行やパッケージドツアーを利用せず、個人手配によって海外旅行を行う方法、または旅行者を指す。

 本調査の結果については、プレスリリース・調査報告書が当サイトで公開されている。調査の概要、特性と位置づけ等については、下記リンク先(※1)を参照されたい。回答者のプロフィールについてのみ摘要を述べると、本調査の有効回答は727サンプル、日本滞在日数の平均は17.3日であり、個人手配により訪問した欧・米・豪の長期滞在者を中心に構成される。訪日旅行経験回数の平均値は2.61回(※2)であり、回答者の約半数は「初めて」の訪日旅行である。

 本稿では調査結果のうち、特に日本の公共交通に対する訪日外国人旅行者の意向に着目し、彼らが感じる「わかりづらさ」について考えてみたい。

※1:FITの動向と志向に関する調査 -東京・谷中「澤の屋旅館」を事例として-(https://xb069601.xbiz.jp/news/newsrelease-fit-trend2019/”)
※2:今回の旅行を1回とした場合の相加平均。

FITの訪問先と移動手段

 まず前提として、FITは日本のどこを、どのように旅行しているのだろうか。回答者が日本国内で訪問した / する予定の場所について、自由記述・複数回答形式で回答を求めたところ、671人から全241箇所、合計2,860件の回答が得られた(※3)。訪問先の回答数は回答者によってばらつきがあるものの、単純計算すると、回答者1人あたりの平均訪問箇所数は4.26箇所であった。回答者数に占める訪問率を地点別に見ると、京都が6割超と突出していたが、その他にも大阪、広島、金沢、箱根、福岡、札幌、長崎など、訪問先は全国各地に分布していた。

 では、これら全国各地に散らばる訪問先へ、FITはどのように移動しているのだろうか。日本国内で利用した交通機関について複数回答形式で質問したところ、671人から回答が得られた。結果は下図表の通りである。

図 日本で利用した交通機関(MA, %, n=671)

 JR、新幹線の選択率が6割を超える一方、私鉄は27.6%、飛行機は21.3%、レンタカーは7.2%に留まった。東京都心部の宿泊施設という調査地の特性を考慮する必要はあるものの、FITの都市間・長距離移動手段としては、鉄道が多くのシェアを占めるようだ。

 本コラムの主題からは外れるが、この結果について、訪日外国人旅行者にその経済性・利便性が高く評価されるJapan Rail Pass(以下、JRPと表記)の存在を無視することはできない。本調査では回答者の56.2%がJRPを利用していた(※4)。2017年には訪日外国人向けの全国高速道路乗り放題パスJapan Expressway Passが発売され、また航空各社も、JALの“ Japan Explorer Pass”のように訪日外国人向けの料金プラン等を設定するなど、各界から巨人JRPへの挑戦者が名乗りを上げつつあるが、勢力図の塗り替えには今しばらくの時間を要するものとみられる。

※3:調査地が東京都内であることから、「東京」にはすべての回答者が必ず1回訪問する。「東京」を除いた場合、回答項目数は240、回答件数の合計は1,960である。
※4:日本で利用した鉄道パス等に関する設問(複数回答)の回答者651人を母数とした選択率。

ストレスの要因は?

 さて、鉄道に代表される公共交通を利用し、日本各地を渡り歩くFITであるが、彼らはその途上で一定の困難にも直面しているようだ。本調査で「日本滞在中にストレスを感じた状況」について複数回答形式により質問したところ、ストレスを感じる状況のトップは「公共交通機関」、次いで「標識・看板」であり、この2つの選択肢のみ、回答者数に対する選択率が2割を超えた。結果の詳細は下図表に示す通りである。

図 日本滞在中にストレスを感じた状況(MA, %, n=625)

 こうした「ストレスを感じる状況」に関して、本調査では下記のような自由記述回答がみられた(カッコ内は回答者の国籍)。

  • ①新幹線駅では、行き先の都市名が目立つように表示されないので、正しいホームにたどり着くのが大変だった(アメリカ)
  • ②東京の地下鉄の表示と情報はもっと改善できると思う(フランス)
  • ③JRパス、地下鉄パス、列車チケットをいつ使用するのか、分かりにくい(フランス)
  • ④地下鉄のシステムを英語で説明する書面があれば、我々が自分で切符を購入する際の助けになると思う(オランダ)
  • ⑤日本の習慣を説明するパンフレットを発行する。人々が電車や地下鉄で話さないのはなぜか(オランダ)

 ①や②に指摘されるように、ストレスを感じる状況としての「公共交通機関」と「標識・看板」は複合的な問題であり、公共交通機関の利用時に、表示や案内の点で不便さを感じている状況が示唆される。

 また、言及されているのが新幹線や東京都内の地下鉄であることから、彼らが利用した駅等の施設に、英語をはじめとする外国語の表記がなかったとは考え難い。「目立つように表示されない」「もっと改善できる」といった表現からは、英語が併記されていても分からない状況があったことが伺える。

 なお、訪日外国人旅行者全体を対象とした観光庁の調査(※5)では、「旅行中に困ったこと」として「困ったことはなかった」の選択率がもっとも高かったものの、「公共交通機関の利用」は16.6%、「観光案内版・地図等」は16.4%と、いずれも上位の選択率を示した。この結果は本調査と類似する傾向が認められる。すなわち、FITを含む訪日外国人旅行者は、ストレスや困ったことを経験せずに日本国内を旅行する場合が多数派である一方、公共交通機関利用時における表示や案内に対しては、一定数の旅行者が不便さや困難さを感じていることが推察される。

※5「訪日外国人旅行者の受入環境整備に関するアンケート」結果: < http://www.mlit.go.jp/common/001281549.pdf >, 2019/07/11 閲覧

わかりづらさの所在を考える

 外国人旅行者にとって「英語が併記されていても分からない」とは、どのような状況だろうか。

 卑近な例を挙げて考えてみると、我々が東京駅から新幹線で京都駅に向かうとき、目指すホームの表示は「名古屋・新大阪方面」である。日本人が咄嗟にこのような判断を行うとき、逐一意識されることはないものの、その背後には、“東海道新幹線とはおおよそどのようなルートで敷設されているのか”、“京都駅は名古屋駅と新大阪駅の間にある”、という前提知識が隠れている。

 そのような前提知識を持たない外国人旅行者は、日本語の表示が多言語化され、日本人と同じ情報量の表示を見ても(この場合はfor Nagoya, Shin-Osaka が併記されていても)同じ理解に到達することは難しい。外国人旅行者が感じるわかりづらさは、一定数がこのような前提知識の差異に起因するのではないだろうか。

JRPで乗車可能な「こだま」の方向幕
 日本語はすべて英訳されているが、京都を目指すインバウンドは、東京駅でこの列車に躊躇なく乗車できるだろうか?

(出典:https://unsplash.com/photos/4CVR9EbMr_8, public domain)

 ここで先に示した自由記述回答を再度見てみると、③、④および⑤のコメントからは、外国人旅行者は駅名や路線名といった最低限の情報に留まらず、利用上の慣習や作法にまで関心を示している。この点からも、外国人旅行者は日本国内を旅する途上で、日本人が意識することのない前提知識を求めていることが伺える。

新大阪駅の事例

 日本人が必要とする情報のレイヤーと、外国人旅行者が必要とする情報のレイヤーは異なっており、その差異が外国人旅行者の「わかりづらさ」を生んでいるようだ。これを解消するためには、日本語表示の多言語とは別の、今ここで動いているシステムの全体像を提示するようなアプローチが求められる。

 一方で現実問題として、日本語での案内をベースとして設置されている標識や案内板の空きスペースには限りがあり、前提となるすべての情報を多言語化して併記すること――先に上げた東京駅の例で考えれば「名古屋・新大阪方面」の下に、for Nagoya, Kyoto, Shin-Osaka, Himeji, Okayama, Hiroshima… を延々と並べること――は困難である。

 ここで一例として、JR新大阪駅の案内表示を紹介したい。この案内表示は在来線コンコース内の券売機横に設置されており、新幹線と在来線を乗り継ぐ乗客の目に留まるよう掲出されている。


 これらの表示は、新幹線から在来線に乗り換える乗客や、近隣の空港から到着した乗客を想定して作成されている。注目すべきポイントは、描かれている路線図が「今、ここで(新大阪駅で)必要な範囲にのみ」限定されている点である。これは必要な情報の取捨選択によって慎重に作成されており、よく駅の券売機上に掲出されているような、管内の路線すべてを網の目のように網羅した路線図とは、その明瞭さ、分かりやすさにおいて一線を画すると言えるだろう。

 さらに、上記の表示がある在来線コンコースから階下のプラットホームに移動すると、ホーム中央の柱には下のような表示が現れる。

 ここでは先ほどの路線図からさらに情報が厳選され、「今から乗る路線」に関係する項目だけが記載されている、利用者は到着した列車に安心して乗り込むことができるだろう。関係者にお話を伺ったところ、作成にあたっては現地で乗客の対応にあたる駅職員に、外国人旅行者から頻繁に尋ねられる事項について聞き取りを行い、その内容を踏まえて内容を検討したとのことであった。

 これらの表示は日本語ベースの案内に併記するのではなく、表示そのものをはじめから外国人向けに作成することによって、スペースの問題をはじめとした諸般の課題をクリアしている。

「わかりづらさ」へのアプローチ

 本稿では公共交通機関の標示案内を切り口として、訪日外国人旅行者が感じる「わかりづらさ」について検討してきた。

 わかりづらさの要因が前提となる知識や常識の差異であるとすれば、解決策の検討にあたっては日本人としての前提を外して考えることが必要になる。しかしながら、前提となる知識や常識は無意識に活用されており、その機能や役割を自覚することは難しい。日本人の担当者にとってみれば、「外国人旅行者にとって、何が分からないのか分からない。英語、中国語、韓国語も併記しているのに……」といった事態にもなりかねない点に、この問題の難しさがある。また、表示の設計にあたっては言語だけでなく、ピクトグラムの活用なども検討する必要があるだろう。

 言うは易く、行うは難しの作業であるが、本調査で取り上げたFITに代表されるように、昨今の外国人旅行者が日本各地を旺盛に旅行し、さまざまな楽しみ方を発見していること、さらには各地域がそれらを受容し、新たな日本像を提供する伸びしろを有していることも事実である。5年後、10年後の日本が、訪日外国人旅行者にとって「どこにでも行ける国」になっていることを期待したい。