インバウンドも視野に入れた観光需要の回復に期待が寄せられる中、オーバーツーリズム再燃を懸念する声が時折り聞かれる。新型コロナウイルス感染症の影響により問題現象は収まりを見せたものの、オーバーツーリズムのすべてが自助努力によって解決されたわけでないとすると、今後も同様の問題が生じる可能性はあるだろう。オーバーツーリズム時代に試行された具体策に加えて、今後の技術革新等により問題解決に至る場合も勿論あると思われるが、ここでは、京都市を入口に異なる観点からオーバーツーリズムについて考えてみたい。
「京都は観光都市ではない」
これは、オーバーツーリズム時代に、京都から幾度か発せられた言葉であり、市民生活との調和に向けて京都市が観光政策の舵を切る、その前置きとなるフレーズでもあった。ただ、ここで引用しているのは、今から半世紀以上も前、1961年の記事からである。当財団の旅の図書館で公開している雑誌『旅』の京都・奈良特集の記事の一つである。旅行者向けの記事がラインナップされる中でひと際目を引くのが同タイトルである。執筆者は大阪市立大学助教授(当時)の梅棹忠夫氏1)である。今のところ、筆者が確認する限り「京都は観光都市ではない」の初出は同記事である。文量は5ページにものぼる2)。
■観光は多面的な大都市京都の一側面に過ぎない
梅棹氏は、同記事の最初に、自身も他の地域に行けば同じかもしれないと前置きした上で、一般の京都市民の立場から観光客をどのような目で見ているか、そして、京都の観光についてどのように考えているかを観光客に知ってもらうのはお互いに必要なことだろうと述べている。その中で、筆者の印象に残ったのは、次の2点である(以下、一部筆者の解釈を含む)。
①「京都は観光都市である」が与える誤解と主客転倒
おびただしい数の観光客が来訪している事実から、京都は観光がさかんな都市ではあると認めつつも、観光は多面的な大都市京都の一側面に過ぎないこと(学問の都、美術の都、工芸の都、宗教の都、商業都市、工業都市)。一国の首都として発展してきた様々な要素を含み、複雑な構造を持つ都市が京都であり、「観光都市」という一面的な呼び方やその考え方は、危険でお互いに誤解を生ずるもととなる、と考えていた。
観光客からの批判(無知、無理解によるものも含む)に対する対応の根底には、「お客は王さま」という考え方が垣間見えるが、観光に従事していない市民にとっては王さまでも何でもない、と述べる。そして、観光客に対しては、「観光都市」という名に誤られて、観光客は何か特権があるかのように誤解しているフシがある、京都は観光都市だからサービスするのが当然だと思っているような発言が聞かれることから、「京都は観光都市ではない」と旅行雑誌において主張したようである。当時の京都観光の現状を案じ、京都文化の全面開放を恐れ、観光による主客転倒を懸念した梅棹氏のまとめの一節は以下である。
「もっともおそるべきことは、観光地とよばれる土地に住む人が、観光を意識することによって、みずからその土地と文化の主人公であることを忘れて、何ものか、えたいの知れぬ連中に奉仕しはじめることである。」3)
自らの地域を観光地だと最初から捉えて、旅行者も観光を構成する一主体である、と地域住民等と同等に捉えてよいかについては、わが国の観光に関する議論の文脈を調べ、もう少しさまざまな見方、意見を収集した上で検討すべきだろう。京都は、観光客本位で造られてはいないのである。
②所有と使用の権利は国民全体、管理と保護は市民の責任という構図に対する疑問
また、梅棹氏は、観光客からの批判として大いに警戒を要するのが「京都の文化財は、日本民族全体の共有物であって、京都市民だけが独占すべきものではない」という発言だという。所有と使用の権利だけは国民全体という、「不特定無責任」なものに保留する一方で、管理と保護だけは京都市民に押し付ける構図に対して苦言を呈していた4)。同文章の前には、観光税に加えて、入市税をとっても良いのではという発言も確認されるが、前後の文章も含めて解釈すると、使用(利用)時の負担、責任だけではなく、「非使用時」においても京都の文化財が存在し(続け)ている。その価値を国民全体が享受しているのだとすれば、国民全体はどのような責任を今負い、そして今後どのような責任を負うべきなのか。昨今問われる利用者負担や責任ある観光より、より広い土俵で国民の一人として観光を考える視点を梅棹氏は提示していると言えよう。
■折りあるごとにゆきたくなるようなところであってこそ、真の観光地
では、梅棹氏は、どのような観光のあり方を望ましいと考えていたのか。否定的なフレーズは印象が強く注目されがちだが、いざ物事を進めるときは、どのような未来像を描いているのか、望ましいあり方を「肯定的」に提示していく必要がある。
梅棹氏らは、1961年から十数年の時を経て出版された『日本人の生活空間』(1974)において、「折りあるごとにゆきたくなるようなところであってこそ、真の観光地であるはずだ」とし、「ところが、日本では、客が一度しか来ないことを前提とした観光地ばかりである。つまり一見観光地である。」と考えを述べた5)。そして、この背景として、観光を営む事業主が、本来の商人ではないことを挙げている。
■近江商人の倫理、近江八幡の気品、静寂と観光
さて、観光を否定的に捉え表現しつつも自ら肯定的に観光を定義してきた地域と言えば、滋賀の近江八幡だろう。まちづくりを進める中で、当初から「観光目的ではない」、「観光都市ではない」としつつも、半世紀をかけて観光の概念を固めてきた。「究極の観光とは何か」、「観光は崇高なもの」と観光を取扱注意で丁寧に扱っている、「観光地の本望とは何か」を考えている、そんな地域がどこにあろうか。その詳細は、参考文献(9)~(11)に譲るが、実は、梅棹氏は、「京都は観光都市ではない」と寄稿した翌1962年に近江八幡を訪れている。そして、参考文献(8)では、以下のような言葉を残している。
「いまは京都においても失われつつある気品と静寂が、この町には残っている。人通りはほとんどない。」
「しかし、凍結されたままで、町がすっかり時代から残されていると考えるなら大間違いである。かれらは、外観・内容ともになまはんかな都会の人よりはるかに近代的であり都市的なのである。」
「人口四万人の都市に喫茶店が1軒もない、という驚くようなことが起こるのである。」
「表構えはつつましやかでも、奥のほうは随分立派な住宅が多いということである。」
梅棹氏は、京都と同様にそのまちの特性、特徴を踏まえた上で、同文献の中で、近江八幡が「三流観光地」とならないように、(当時の)工場誘致と観光をお寒い発展策と揶揄し、「全くたいした倫理体系を作りあげたものである」(1954)と言わしめた近江商人の商いを機軸にしたまちの方向性について提言をした。京都と近江八幡、まちの規模は異なるものの、この二都市からオーバーツーリズムを考える幅広い論点が提示されていると筆者は考えている。
【注】
- 1)民族学・比較文明学を専門。1920年京都市西陣生まれ、京都大学理学部卒業。1949年大阪市立大学理工学部助教授、1965年京都大学人文科学研究所助教授、その後、同大学教授を経て、1974年に国立民族学博物館初代館長に就任。2010年に逝去。京都市名誉市民。
- 2)小見出し一覧:ただの市民の立場/祇園祭のチマキ/観光都市ではない/観光客はマナーを守るべし/おのぼりさん概念の確立/隔離の原理/一元さんお断り/権利と責任/だれのための大文字か/観光返上
- 3)参考文献1),p.45。梅棹氏は、同文献の中で、文化に対しては、「京都の文化は、京都市民のためのものであって、観光客のためのものではない。」(p.43)、「もし旅行者が京都市民とともに、京都の文化の一端を享受しようと思えば、高くつくのは当然だ。」(p.43)、「これはどこまでも市民の生活、市民の文化を中心に考えてゆくべきものである」(p.44)、「文化というものは、それをになう主体が、その文化に確信と誇りをもった場合にだけ、さかんにもなるし、つづきもする。」(p.44)とも述べている。
- 4)京都市民による管理と保護の例として、市中にある文化財を守っている消防組織は人も設備も京都市民の税金で賄われていることが挙げられている。
- 5)参考文献6),p.104-110。同図書では、観光については「娯楽であるとともに、教養のための行動である」と述べている。観光旅行には、さまざまな制約もあるため、一度しか訪問できない場所も多い。また、人生で一度は訪れておきたい場所もあるので、同点についてはさまざま意見があるだろう。
参考文献
■京都について
- (1)梅棹忠夫(1961):京都は観光都市ではない 観光客のために存在しているとは困る!,旅,35(10),日本交通公社,pp.41-45
- (2)梅棹忠夫(2004):梅棹忠夫の京都案内,角川ソフィア文庫
- (3)梅棹忠夫(2005):京都の精神,角川ソフィア文庫
- (4)中井治郎(2019):パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市,星海社新書
- (5)広原盛明(2020):観光立国政策と観光都市京都,文理閣,pp.32-33
■観光について
- (6)梅棹忠夫・上田篤・多田道太郎・西川幸治(1974):日本人の生活空間,朝日新聞社
■近江商人・近江八幡について
- (7)梅棹忠夫(1954):近江商人(知性,1(2)),pp.32-34
- (8)梅棹忠夫(1962):風土記’62 近江八幡,pp.76-84
- (9)後藤健太郎(2021):地域におけるまちづくりと観光の関係に関する研究—近江八幡における川端五兵衞氏の観光に関する言説を通じて—,観光研究,Vol.33(1),pp.49-62 (外部サイト)
- (10)村井幸之進(2022):修養のために訪れる地、それが近江八幡―ここには見本となる “生き方” “生き様” がある(ヒアリング記録3)
- (11)田中宏樹(2022):訪問者が背筋を張って生きていける、その後押しになれるようなことが観光地としての本望(ヒアリング記録4)