我が国の将来を考えた時、地域における観光が様々な意味で重要であるのは、多くの人が納得するところかと思います。地域住民が足元にある資源を磨いて観光振興に活かしていく。また、地域経済の活性化の視点から、外からの観光客の来訪を通じて観光消費を地域に取り込んでいくなど、地域によってその目的もそしてそれに対応する戦略も様々かと思います。
ただ、”地域”で観光の方向性を議論する時、忘れがちなのが「観光は双方向である」ということかなと思っています。
他の地域があってはじめて旅行ができる
従来から観光地でないところは、地域で観光振興をと言ってもそれ程多くの取組イメージが湧かないかもしれません。しかし、旅行者としての視点は誰しもが備えていると思われ、自らの体験は語り易くはあります。皆で議論する入口として観光はある意味敷居が低く、何かしら観光との接点を見出して参画できるものと言えるでしょう。
ただ、私が必要だと思うのは、単に旅行者としての視点ではなく、また、地域としての視点だけでもなく、「『他の地域』があってはじめて自身が豊かな旅行ができる、豊かな時間を過ごせる」という基本認識です1)。
「誰もが観光客になり得る」
これは『カリブ観光教本』(国際観光サービスセンター 訳・編集の最初にある「観光客の定義(観光客ってどんな人?)」で最初に上げられる定義の一つです。
地域での観光教育と言うと、地域の人が自らの地域の魅力を見つめ直し、他者に伝えられるようになること、そして、お客さんにおもてなしの心を持って接すること、あとは観光が地域に与える正負の影響や効果を理解することなど。ある時まで私はそのような認識でいました。
(これはこれで間違ってはいないとは思いますが)しかし、この言葉を知った時、私は観光を考える上での基本認識が十分でないまま、何となく仕事をしていたのかなと思うようになりました。
-程度の差こそあれ、誰もが観光客として他の地域を訪れている。
それはどのような地域の人も同じではないかと。観光地もそうでないところも。
地域への観光の負の影響が大きく取りざたされていた時代は、地域の暮らしや共有財産を守る視点から、観光客が観光するにはルールが必要、マナー教育が必要など、観光客の行動に対して何かしらの制約を課す、節度を持つこと促す、あるいは地域側でコントロールできるよう手立てが必要、そのような考えでした。その視点は、無くなるというものではなく、その後もその視点から様々な対応がなされましたし、これからも必要な視点だと思います。
ただ、今振り返ると、それは、見方によっては一部は片方向のものではななかったか、そんな気もしたりしています。お互いがお互いの地域に行き来するかもしれない時代において、観光に取り組む地域に住む人自身は、相手の地域にとって本当に好まれる消費者(観光者)なのか。自らは他の地域、観光地に行ったときに、相手の地域に不快を与える、相手の地域の価値を損ねるような行動はしていないか、していないと言い切れるか。。。自らの地域の中(うち)で起きている現象だけを捉え切り取り「私は地域の人」と立ち位置を決めていなかったかと。
次回以降に向けて
実は、今回はコラム「まちづくりと観光事業の間にある壁③・④」で書いた内容をもっと掘り下げて、以下の二つの違いとその関係について書こうと思っていました。
-【地域の中(うち)で観光を捉えて行う活動】
*地域で起こる観光現象や地域課題に向き合い対応する観光など
-【地域と市場(そと)との”間”で観光を捉えて行う活動】
*市場志向で一定程度行動を決定して行う観光など
ただ、納得できる整理がまだできなかったこともあり、今回はその前提となる考えや姿勢を先に述べておくことにしました。そのため、取りとめのない内容となっています。また、改めて整理してお伝えしたいと思います。引き続きどうぞよろしくお願いします。
注
1)「双方向」というと、地域住民と観光者(市場を含む)が相互に対話し、双方の意向やニーズを刷り合わせていくなどを思い浮かべられるかもしれませんが、今回のコラムでは別の意味に焦点をあてています。
【参考】
(1) 観光地づくりオーラルヒストリー<第3回>前田 豪氏