●9月上旬の尾瀬
9月上旬に尾瀬(尾瀬国立公園)を訪れる機会があった。尾瀬というと高山植物の宝庫、本州最大の湿原として有名であるが、訪れたのは高山植物のシーズンが終わって、紅葉が訪れるまでの端境の時期であった。そのこともあって、観光客で賑わうというよりは登山者が思い思いに集まってくるといった様子。近年の登山ブームもあってか、中高年層に紛れて若いカップル、山ガールもおり、アジア系の外国の方、小・中学生の団体(後述の「尾瀬学校」参加者)も見られる等、様々な方が尾瀬を訪れていた。
私の歩いたコースは、尾瀬ヶ原に最も近い鳩待峠登山口から、尾瀬ヶ原を通って竜宮付近(群馬県と福島県の県境)までを往復するもので、所要6時間程度であった。時折雨に降られながらも、まずまずの秋晴れの中を自然ガイドの方と一緒にゆっくりと歩き、高原植物の盛りの時期が終わり緑豊かな夏から、少しずつ秋へと移り変わる自然の細やかな変化を体感することができた。湿原を歩く中で木道以外の人工物が目に入らない自然の中に浸り、一日だけでは体験しきれない奥行きのある自然、尾瀬ならではの魅力を楽しむことが出来た。
●尾瀬の歴史
尾瀬は、戦前からの水力発電への反対運動からはじまり、ゴミ持ち帰り運動の発祥(1972年~)、マイカー規制(1974年~)、尾瀬保護財団の発足(1995年~)等、日本の自然保護運動が盛んに実施されてきた地であり、「自然保護の原点」ともいわれている。
しかし、1990年代後半に尾瀬の一大ブームが起こった時期がある。そのピーク時には一日2万人以上、年間60万人以上の登山者が訪れ、トイレは1時間待ち、通常1時間のところ4時間以上かかる等、「人の渋滞」が起こった時もあった。こうした状況に対応するために、地元の方や全国の尾瀬ファンによるボランティア活動をはじめ、研究者による適正利用のあり方に関する研究、環境省(当時:環境庁)や地元行政による様々な対策等が講じられてきた。そして、現在は年間30万人後半から前半程度の入山者数で推移している。
観光史的に見れば、尾瀬の歴史の特徴として、開発(水力発電)と反対運動の時代から、過剰利用(登山・観光)とその対策の時代、そして現在へと推移しているといえる。そうした現在の尾瀬では、どのような取り組みが行われているのだろう。
図 尾瀬入山者数の推移 |
出典:環境省 尾瀬国立公園入山者数調査公表資料 |
●自然ガイド
尾瀬には200人以上の「自然ガイド」「登山ガイド」が活動している。これは、尾瀬サミット2003に現・尾瀬ガイド協会会長塩田氏の「尾瀬にガイド認定制度が必要」という提言からはじまり、認証制度が生まれた。第1号ガイド(自然ガイド)の認定まで6年かけて創り出された制度となっている。
今回、自然ガイドの方と一緒に尾瀬を歩いたのであるが、その方のガイドがすばらしかったのは、一言で言えば「また尾瀬に来たい」と思わせてくれたことだ。
ガイドの技術として、初心者である私に合わせたゆっくりペースを保ちながら、余裕を持って帰れる時間配分※1といった安全への配慮、自然環境の解説や保全への配慮はもちろんなのであろう。しかし、それだけでは「また来たい」とは思わせることはできない。ちょうど秋へと変わる尾瀬の細やかな変化を、草花のちょっとした色づき、目立たないがまだ残って咲いている夏草、動植物の小さな食事の跡などなど、一人で歩くだけでは気づかない様々な尾瀬の変化を、静かな語り口で伝えてくれた。そして「尾瀬の魅力は「静けさ」」と語りながらその雰囲気を楽しませてくださった。また、尾瀬の良い点ばかりではなく、尾瀬の自然と開発・保護の歴史、現在の問題点やその取り組みなど、尾瀬の現状と努力を語ってもいただいた。
※1 尾瀬で事故の要因として、時間的な余裕がなくなり帰路を急ぐことから起こる場合が多いとのこと。
写真 静かな尾瀬を自然ガイドの方とゆっくりと歩く |
写真 雲が映る。夏から秋に変わる尾瀬 |
写真 ヒツジソウ(ヒツジグサ) |
写真 オゼコウホネ |
●尾瀬学校
写真 木道のベンチでくつろぐ尾瀬学校の参加者
尾瀬を歩いていると、小中学生のグループが次々とやって来る光景に出会った。群馬県が推進している「尾瀬学校」である。「尾瀬学校」は、群馬県内の小・中学生が質の高い自然体験を経験する制度とのことで、8~10人程度のグループに尾瀬の自然ガイドが必ず一人付き添う。ちょうど昼食時で湿原の中の休憩所で思い思いにくつろいでいた。
この制度も近年の尾瀬サミットの中から生まれたと聞く。子どものころから「質の高い自然体験を経験する」ことは教育の場としてもすばらしいことであるが、そのためには博物館の解説ではなく、自然ガイドの方々がその折々の自然の魅力と、その自然を誰がどのように守ってきたのかを直接語りかけることによる効果は大きいだろう。何より、こんなにも多くの人に愛されている尾瀬が自分たちの故郷に存在していることを強く認識して誇りに思って欲しいと感じた。
●尾瀬の魅力
短い時間ではあったが、私が今回学び感じた尾瀬について、まとめたい。
観光文化、観光史的な観点から見ると、尾瀬は「開発と保護」「利用と規制」といった時代を経て次のステップへと深化していると思う。それは、自然と開発(観光)、住民と観光客、行政と住民、国と地域といった一方向的、ともすれば対立的な関係性から、「登山・観光に訪れる方、住まう方、働く方、ボランティアの方、行政などの様々な関わりが、ゆっくりとではあるが噛み合いはじめ、自然を核にしながら尾瀬という一つの世界観のある地域を創っている」といった感である。
つまり、現在の尾瀬の魅力は、世界の観光地と比較しても遜色ないと感じることができるものであったし、それは自然の貴重さ、美しさだけから得られたものではないということである。尾瀬には長く人々が保全のために活動してきた歴史があること。訪れた際に長年尾瀬を守り続けるボランティアの方、群馬県内から訪れる小・中学生を案内する等、活躍する自然ガイドのの姿が常に見られること、貴重な自然を守ってきた歴史や現在の活動を体験することができることは、自然の魅力を守り育んできた日本の観光文化※2の一つのモデルとして、誇りを持って海外に発信していくべきものではないだろうか。
※2 公益財団法人日本交通公社は「観光により人々の生活や地域を豊かなものにしていくこと、そして、その生活スタイルや地域のあり様を広く「観光文化」と捉え、観光文化を振興すること」をその役割として活動している。