新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の流行以前と比べて、人気が高まっているのが「温泉」です。当財団が実施している「JTBF旅行意識調査(2021年5~6月調査)」の結果によると、今後1~2年間に行ってみたい旅行タイプとして「温泉」がコロナ禍前(同調査・同設問における2017~2019年の3ヵ年平均値)から約7.5ポイント上昇し第1位(選択率約60%)となりました。他の旅行タイプと比較して特に温泉の選択率が伸びたことから、温泉人気の高まりが伺えます。
温泉は日本の「伝統的な」観光資源ですが、それがコロナ禍を経てなぜ人気が高まっているのでしょうか。また、「温泉旅行に行きたい」という需要を取り込むには、どのような点に意識を向ければよいのでしょうか。今回は筆者が温泉に浸かりながら考えた、ウィズコロナ時代における温泉の強みとこれからについて、書き記してみたいと思います。
温泉の根源的魅力:非日常性
イギリスの社会学者ジョン・アーリは、観光を「日常生活からの一時的な離脱と、非日常体験によって特徴づけられる行為」と捉えました(※1)。これを援用し、日常と非日常の差異が大きいほど観光の価値が高まるとすると、コロナ禍において温泉旅行の「非日常性」が相対的に高まり、温泉人気が上昇したのではないかと感じています。
新型コロナが蔓延し、私たちは社会的にも心理的にも、気軽に旅行に出かけることができなくなりました。日本国内居住者1人が1年間に行う国内宿泊観光旅行の平均回数は約1.4回(出典:観光庁「旅行・観光消費動向調査(2019年暦年確報)」)ですが、年1~2回のお楽しみが奪われてしまったという方が多いのではないでしょうか。コロナ以前までは非日常を満喫する機会であった旅行が、行きたくても行けないという状況になり、「非日常」というより「非現実」に近づいたように思われます。心理学では、禁止されるとかえってそのことをやりたくなってしまう現象を「カリギュラ効果」と呼ぶそうです。温泉旅行に限った話ではありませんが、旅行そのものが強く制限される中で、非日常的な旅行に対する人々の欲求の高まりが、温泉人気上昇の前提にあると考えます。
では、コロナ禍を経て高まった温泉旅行ならではの非日常性は何かというと、温泉旅行や入浴行動を構成する根源的な様式そのものではないかと感じます。例えば、いまや日常の一部となった社会生活におけるマスクの着用ですが、入浴中は衣服を脱ぐのと同じくらい当たり前にマスクを外して「解放感」に浸ることができます(※2)。もちろん以前とは異なり「黙浴」が基本ですが、マスクの着用という日常生活からの一時的な離脱による非日常体験というわけです。
あるいは日常生活において「巣ごもり」がスタンダードとなり、しばらく外食に行っていない、近所の温浴施設は避けるようになった、といった声も聞かれます。こうした制限によるストレスや疲れが溜まる中、ソーシャルディスタンスが保てる大広間や個室での食事や広々とした湯舟に浸かる行為の非日常性は、以前にも増して高まっています。国内旅行市場の大きなシェアを握る都市圏では特に、三密回避が日常的に意識されるようになりましたが、温泉旅行は露天風呂や地方の旅館、自然に囲まれた秘湯といった三密とは対照的なイメージを想起させてくれます。また、温泉がもたらすリラックス効果や、「健康を脅かす脅威にさらされた日常」対「健康にプラスの影響がある非日常」という一般観念も、温泉人気の高まりを支えているように思われます。
※1:Urry, Jhon., (1990) The Tourist Gaze: Leisure and Travel in Contemporary Societies, London, SagePublishers.
※2:浴場における新型コロナウイルスの感染リスクを否定するものではありません。
コロナ禍で生まれた温泉への不安と対策
開放的な湯舟で入浴をする、旅館で食事をいただくといった、温泉旅行の根源的な様式が、コロナ禍を経て再評価され温泉人気が高まっていると考えられる一方、「JTBF旅行実態調査(2021年10月調査)」では、国内旅行にあたり、危険だと思う場面として「温泉に入る」の選択率が36.4%となりました。「温泉旅行に行きたい!けどちょっと不安」という需要を取り込み、安心して温泉旅行に出かけてもらうには、ウィズコロナに合わせた取り組みが必要だと考えます。
その一つが分散化です。観光業界において分散化は叫ばれて久しいですが、コロナ禍を経験してその有効性は高まっているように感じます。温泉旅行の観点からは、オフシーズンとピークシーズンを平準化する「時期の分散化」、これまであまり認知されてこなかった温泉旅館や秘湯に人が流れる「地域の分散化」、宿泊施設内で利用時間帯をずらす「時間の分散化」などが考えられます。
時期の分散化については既に取り組まれている地域や旅館も多いかと思いますが、地域の分散化と併せてまだまだ可能性があると感じています。今年は出張でとある山奥の一軒宿にお邪魔する機会がありましたが、その温泉旅館は200年以上の歴史と29本の源泉、14のお風呂(加水・加温なし)を有するという温泉好きであれば垂涎もののお宿。しかし、私が滞在した日は平日ということもあり、どこの湯に行ってもほぼ貸切独占状態です。東京の日常に浸かっていると「異世界」とも思える非日常に、こうした温泉や旅館が山奥に秘められているのはもったいない、という率直な思いが湧いてきました。時間の分散化については、浴場の混雑状況を自室で確認できる仕組み(写真1)を導入するホテルが最近増えてきましたが、温泉旅館においてもどの時間帯なら空いているかがわかるようにすることで利用者の安心につながり、旅館側も行っている対策として顧客にアピールできるポイントになるのではないでしょうか。
温泉のピンチをチャンスに変える
旅行者の減少により危機に立たされている温泉旅館が少なくありません。一方、コロナ禍を経て温泉の良さや魅力が再評価されたり、新たなサービスが生まれたりすることで、コロナ禍がかえって温泉旅行が盛り上がるきっかけになる可能性もあると感じています。その一例として、栃木県・奥塩原温泉では男女別の大浴場を1日2組限定で貸切ることができるサービスを始めた旅館があり、宿泊者には安心感と特別感をもって滞在を楽しんでもらうことができ、宿泊単価の向上につながっています。
翻ってインバウンドに目を向けてみると、コロナ禍前において次回の訪日旅行でしたいこととして「温泉入浴」は51.2%と「日本食を食べること(58.0%)」に次いで2位でした(出典:観光庁「訪日外国人消費動向調査(2019年暦年確報)」)。インバウンドでは人前で裸になって入浴する日本の様式に抵抗がある人も多い、といった課題も聞かれましたが、国内のコロナ禍に対応した取り組みはこうしたインバウンドの課題解決の一助となる可能性もあります。国内市場において温泉旅行が活発化すれば、伝統的な温泉旅行の魅力や様式が再構成され、いずれ戻ってくるインバウンドに向けた取り組みの素地形成にもつながってくるのではないでしょうか。