私が長年、観光振興に関わってきた岩手県陸中海岸の小村・田野畑村が、東日本大震災で被災してから8ヶ月近くが経過しました。観光復興に向けて歩み出した田野畑から、これからの三陸の観光復興を考えてみたいと思います。
■ 『三陸海岸大津波』と田野畑村
吉村昭の記録文学
「三陸海岸大津波」
(文春文庫)
「二十年以上も前から岩手県の三陸海岸にある下閉伊郡田野畑村に、毎年のように足をむけた。・・・その間、村人たちから津波の話をしばしばきいた。美しい海面をながめながら、海水が急激に盛りあがって白い波しぶきを吹きちらしながら、轟音とともに岸に押し寄せ、人や家屋を沖へはこび去る情景を想像した。」(吉村昭著『三陸海岸大津波』あとがきより)
明治以降に三陸を襲った大津波の貴重な証言・記録を紹介したこの本にも紹介されているように、田野畑村は、三陸地域の中でも、大きな津波被害を幾度となく経験してきた村です。著者の吉村昭は、毎年のように田野畑村を訪れ、村人から聞いた津波の話を記録し、村人との交流を深めました。彼が定宿にしていた旅館(今回の津波では何とか被災を逃れました)のお手伝いさんは、氏が訪れていた当時のことを良く覚えているそうです。私も、頻繁に田野畑村に足を運び、過去の津波の痕跡にふれたり、村の方の話を聞いたりするたびに、津波のことは常に気にかけていました。
■ 田野畑村の被災ふたたび
「大隅さん、なんにもなくなっちゃったよ」。3月11日におきた東日本大震災からひと月ほどした4月中旬、ようやく村役場を訪ねることができた時、村長さんが寂しそうに話してくれた最初の言葉が忘れられません。
日本を代表する北山崎の海岸景
観は、震災後も変わっていません
日頃の心配は現実のものとなり、大津波は、再び、しかも想像をはるかに越える大きさで三陸、田野畑村を襲いました。今回の津波では、村の沿岸部漁村集落の大半が流失し、村民の死者・行方不明者38人、全壊流出等の被災住宅274棟、被災世帯244世帯、被災者数701人という甚大な被害を受けました。
観光面では、陸中海岸が誇る北山崎や鵜の巣断崖などの海岸景観に被害はありませんでしたが、三陸鉄道島越駅及び高架橋が流失したのをはじめ、「ホテル羅賀荘」や民宿などが被災し、宿泊収容力は1/5に減少してしまいました。観光と深い関わりのあった漁港・市場、漁船も壊滅的な被害を受けました。
田野畑村の被災状況
上段:3階まで被災したホテル羅賀荘(左)/高台まで津波に襲われた羅賀集落(中)/
損壊した明戸浜の防潮堤(右)
下段:ぽつんと取り残された平井賀集落の水門(左)/倒壊した三陸鉄道高架橋(中)/
階段と支柱、宮沢賢治碑だけが残った島越駅(右)
田野畑村では、この10年ほど、北山崎依存の立寄り型観光から、体験を軸とした滞在型観光へと舵を切り、三陸らしい漁村の風景・漁師文化を残す「机浜番屋群」の保存や、それを活用した「番屋ガイド」、現役漁師が北山崎を海から案内する「サッパ船アドベンチャーズ」などの体験プログラム、コーディネート組織(NPO法人体験村・たのはたネットワーク)の設立など、三陸の自然や海の暮らしの魅力を村民が伝える『番屋エコツーリズム』をコンセプトにした滞在型観光への基盤づくりを着実に進めてきました。しかし、今回の津波でそれらのほとんどが失われました。「何もなくなった」という村長の言葉にある「失ったもの」とは、村がこの10年かけて育ててきた『番屋エコツーリズム』の舞台そのものでした。
三陸漁村文化を残し番屋エコツーリズムのシンボルであった「机浜番屋群」(左)/被災後(右)
■ 復興に向かって
震災から一ヶ月半がたった4月下旬、東日本大震災田野畑村災害復興計画策定委員会が設置され、私も観光復興の立場から委員会に参画させていただいています。
9月下旬に村議会の承認を得た村復興計画(災害基本計画)における村復興の方針は、現状復旧にとどまらず、被災地を含め、さらに魅力ある村に生まれ変わる「未来に向けた復興」です。それを受けて、観光復興では、「田野畑スタイルの観光・交流を通した未来の価値の創造」を目標に掲げています。震災を糧に、これまで以上に田野畑らしいツーリズムを創出するとともに、観光を生みだす価値を生かして、水産業振興や集落・コミュニティ再生など、少しでも村復興の推進力としていくべく取り組んでいます。
また、田野畑村では、計画策定にとどまらず、これまで以上に付加価値の高いツーリズムを育てていくべく動き出しました。
○「サッパ船アドベンチャーズ」
『番屋エコツーリズム』の代表的プログラム。使用するサッパ船(小型漁船)8隻のうち6隻を津波で流失したため提供できなくなっていましたが、交流のあったむつの漁協等の協力を得て、7月下旬に再開しました(再開までの道のりは、テレビ朝日「報道ステーション」でも紹介されました)。
北山崎の断崖景観を海から味わうだけでなく、津波に関する案内も加わり、海を知る本物漁師ならではのガイドが魅力になっています。
早期再開を果たした「サッパ船アドベンチャーズ」。本物漁師である船長さんたちのガイドもさらに深みを増しています
○「大津波・あの時あれからの語り部&ガイド」プログラム
明戸浜の防潮堤、三陸鉄道島越駅舎及び高架橋、机浜番屋群など、村内の被災跡地や残された遺構などを案内するプログラムで、7月下旬から提供しています。NPOのスタッフの案内に加え、被災体験をもつ住民が直接語り部となって、津波当日の実体験や被災後の生活ぶりなど“生の声”を旅行者に伝えています。
「津波語り部ガイド」。大津波を語り継ぐべく、被災体験をした住民が生の声を伝えてくれます。
○復興を支援するプロジェクト
復興を支援するサポーターの参加によって、津波で全流失した机浜番屋群の再生を目指す「番屋再生プロジェクト」、支援金による復興後のわかめ前払いで購入する「田野畑わかめ復興プロジェクト」が立ち上がりました。
http://www.vill.tanohata.iwate.jp/banya/index.html
http://www.vill.tanohata.iwate.jp/wakame/index.html
今回の震災(大津波)は、大変不幸な出来事ですが、三陸をもとの姿に戻すことは出来ません。これから大事なことは、震災を糧として、三陸でしか伝える・学ぶことのできない体験を旅行者に提供できるようにしていくことです。
田野畑村をはじめ、三陸地域には、これまでにも、繰り返し経験してきた大津波の記憶や記録、「津波てんでんこ(命てんでんこ)」のような津波防災を伝承する言葉や知恵が数多く残されており、今回の大津波は、新たな遺構や多数の津波体験者を生みました。津波と関わりの深い地質・地層などのジオツーリズム資源も三陸には多く埋もれています。また、田野畑村に既に見られる“高台に暮らしながら漁業を営む”というスタイルは、今回の津波をきっかけに、より三陸海岸(北部陸中海岸)特有の漁村スタイルになっていくかもしれません。
これからの三陸に「学ぶ」ことは沢山あります。常に津波という厳しい自然と向き合いながら海辺に暮らし続けている三陸の人々の生き方にふれ、そこから学び、少しでも地域を支えることのできる観光を育てていくことが、三陸復興の中での観光の役割として大切なように思います。
■ 旅人を魅了する新たな三陸の暮らし風景を
三陸海岸が好きで、幾度も三陸を歩いて旅をした作家・吉村昭は、『三陸海岸大津波』の一節で、三陸の魅力を語っています。
「私を魅了する原因は、三陸海岸の海が人間の生活と密接な関係をもって存在しているように思えるからである。観光業者の入り込んだ海岸の海は、観光客の眼を楽しませることはあっても、既にその土地の人々とは無縁のものとなっている。海は単なる見せ物となっていて、土地の人々の生活の匂いが感じられない。
また都会や工業地帯の海は、ただそこに、塩分を含んだ水がたたえられているというだけにしかすぎない。海の輝きもなく、それらは汚水の流れこむ貯水場でしかない。
それらにくらべると、三陸海岸の海は土地の人々のためにある。海は生活の場であり、人々は海と真剣に向い合っている。」
4年前にスタートしたこの研究員コラムの最初に、田野畑村の暮らし風景を紹介したように、三陸は私の大好きな風景の一つです(詳しくは「研究員コラム」vol.7をお読み下さい)。吉村昭が旅をした頃とは、交通事情も生活スタイルも変わり、観光客が多く訪れるようになったとはいえ、それでも三陸はまだ都会から遠く、田野畑村で出会える漁村のたたずまいや人々の暮らしぶりは、北山崎に勝るとも劣らぬ魅力でした。
今回の津波によって、こうした漁村の暮らし風景はいったんすべて失われてしまいました。漁港などのインフラは速やかに復旧できたとしても、暮らしの風景は、映画のセットのように簡単に作ることはできません。繰り返し訪れる津波を宿命としながら、より災害に強く、海と密接に結びついた暮らしの場を、時間をかけて創り出していくしかありません。その主体は、あくまで地域の方々ですが、これまでの津波からの復興と異なるのは、復興の力になりたいと願う多くの都市の人たちがいることです。こうしたサポーターは、復興の一方で、地域の方々だけでは見失いかねない漁村本来の価値や魅力を、外の眼を通して再認識しながら、次の時代に魅力と活力を持ち続ける漁村へと生まれ変わっていく上で大きな力になるように思います。
田野畑村をはじめ、三陸地域の復興と、地域の方々が元気に暮らす三陸の風景が再び旅人を魅了する日が、一日でも早く訪れることを願ってやみません。
《参考》
当財団では、他の被災地に先がけて観光復興に取り組む岩手県田野畑村の支援を行っています。村の観光復興への歩みは、当財団機関誌「観光文化」にも紹介しています(当財団ホームページでご覧いただけます)。
復興に向かって頑張っている田野畑村のみなさん |