阿寒の前田一歩園財団は、私有地の寄付によって設立された自然保護を目的とする財団です。前田一歩園には、観光客が環境を守る理想的な枠組みを考える上での手懸かりがあるように思います。(塩谷英生)
先日ある調査団に同行して、阿寒国立公園の前田一歩園財団を訪れる機会がありました。財団の成り立ちと事業内容を伺った上で、園内(と言っても広いのですが)を丁寧にご案内いただきました。深く分け入るほどに豊かな森の営みと、手つかずの清流や湖水の風景の美しさに息を飲む思いがしました。
恥ずかしながら、私がそれまで抱いていた阿寒のイメージは、多くの周遊観光客同様、阿寒湖畔の温泉街がほとんどを占めていたので、驚きの感情もありました。ホテルが集中する湖畔地区の奥にある森では、時にクマゲラが鳴き、清流にイトウの影がたゆたうのを観ることができるのです。さらに上流に進むと、複雑で優美な流れを持つ滝を間近にみることもできますし(写真)、樹齢1千年とも推定されるカツラ(写真)やミズナラ等の巨木が点在し、所々には源泉も湧いています。
さて、こうした豊かな自然はどのように守られ、そして育てられているのでしょうか。
前田一歩園は官僚出身で明治期の地域産業興しの実践者である前田正名氏が明治39年に牧場として拓いたのがそもそもの始まりです。その名称は彼の座右の銘「物ごと万事に一歩が大切」に由来しています。3代目園主の前田光子氏は「前田家の財産はすべて公共の財産となす」との家訓を実践し、1983年4月に前田一歩園の財団法人化が認められました。寄付行為にある主な目的は、山林の管理と北海道の自然保護に関わる目的事業の実施、これらの活動を財政面で支える収益事業が中心です。
山林管理と言っても、財団の方針は古代の森に近い植生を実現することです(針葉樹70%)。それも、天災も含めた自然の力を利用しながら最低限の施業で理想の森づくりを進めていくのです。その為にも、”最も大切な作業は山つくりの原点、将来に残す木と伐る木を判断する選木調査で、20年以上の経験を必要とする。”(財団ホームページより)と言うのですから、これはもう森づくりの芸術家集団の域にあるのでしょう。
■前田一歩園財団の概要 | ||
○歴史:明治39年。国有未開地処分法(民活による開拓が狙い)により取得。1983年財団法人化。 | ||
○事業 | 1)公益事業: | 自然環境の保全とその適正な利用に関する調査研究事業/ 自然保護思想の普及啓発事業/人材育成事業/山林管理事業等 |
2)収益事業: | 土地貸付事業(約29万?)、温泉事業(13源泉) | |
○地勢・森林特性等 ・管理地3,892ha。全て阿寒国立公園内。 ・エゾマツやトドマツ等の針葉樹50%、ミズナラ等の広葉樹50%。針広混交の天然林が代表的。 |
前田一歩園財団の高度な活動は、観光産業への土地貸付と温泉供給事業という収益事業に多くを依存しています。賃料や温泉購入代は最終的には観光客に転嫁されますから、結果的に阿寒湖畔に宿泊している観光客の支出が、阿寒国立公園の中核を占める前田一歩園の山林を保護しているという構図になっています。前田一歩園の方は「とても林業だけでは森を守れない。我々は恵まれている。」と言われました。
一方で、阿寒の宿泊客はその立地条件の良さから道東エリアの周遊観光客がほとんどとなっています。これほどの自然がありながら、昼の時間帯に阿寒に滞在する人が少ないというのが課題とも言えるでしょう。阿寒地域への関心を深めるためにも、宿泊客の皆さんが阿寒の森を守ることに貢献しているんです、というメッセージをもっと発信しても良いのではないかと感じました。
前田一歩園の方々も森林の適正な利用には前向きな考えを持っていて、2007年度から森林利活用検討会の場で地元の人々との実証事業等を積み重ねてきました。今後、自然保護の大切さを理解する阿寒ファンに限定する形で園地の観光利用が進む可能性があります。実験的に園内の一部を旅行会社のツアー向けに提供するといった事業が今年9月に予定されているようです。
前田一歩園は、自然保護に特化した超長期的な事業目的を持っており、しかも、それを賄う財源となる資産(土地、源泉)を保有しています。このような特別な組織は、全国的にも稀といって良いでしょう。それでは、一般的な観光地において、観光客が来ることで自然や歴史文化遺産が守られるという仕組みをどうやって実現していけるのでしょうか。
活動費の手当としては、観光税や協力金などが有力な手法となるでしょう。しかし、こうした制度の導入時には、地域が実現しようとしている明確なビジョンを内外に示していくことが大切です。そうでないと、観光客や税を徴収する事業者(特別徴収義務者)等との間で思わぬ齟齬を生むことがあります。次回は、こうした観点を踏まえて、観光税や協力金の導入について述べてみたいと思います。(つづく)