「納涼」~季節を楽しむ暮らし文化[コラムvol.264]

 ちょうど一年ほど前のコラムで、「日本の祭り」について紹介しましたが、再びこの季節にコラムを担当することになりました。時節柄、少しでも涼しげな話題を提供したく、今回は暑い日本らしい夏の楽しみ方「納涼」から、地域の暮らし文化の魅力について考えてみたいと思います。

「避暑」と「納涼」

 「納涼」と同じく、私たちの暮らしの中で、夏の暑さをしのぐための方法に「避暑」があります。これは、文字通り、涼しくて過ごしやすい気候の場所、すなわち避暑地に移って、夏の暑さを「避ける」ことをいいます。この生活スタイルはもともと日本にはなく、欧米人によって1980年代から箱根や日光などの高原地で避暑が行われるようになり、次第に日本人にも伝播していったものです。

 一方、「納涼」は、例えば、暑気払いや納涼会のように冷たい物を飲み食いしたり、納涼床や納涼船のように人工的に涼を演出したり、花火のような迫力・華麗なものを鑑賞して暑さを忘れたり、怪談など鳥肌が立つような体験をしたり、といったように、「暑さを忘れる(和らげる)」ことをいいます。「避暑」には「避ける」「逃れる」といったやや対症療法的で消極的なニュアンスがありますが、「納涼」には、暑さを受け止めつつ、それを何とか知恵と工夫で乗り越えようとする前向きな姿勢が感じられます。また、前者は、避暑地に行って滞在するための費用がかかり誰でも簡単にできるわけではありませんが、後者はさほど費用を必要とせず、より庶民の暮らしに近い文化だともいえそうです。

京都「納涼床」に見る「涼を味わう文化」

 湿度があって蒸し暑いのが日本の夏の気候の特徴です。そうした日本ならではの夏の涼のとり方の代表といえば、何といっても京都の夏の風物詩として有名な「納涼床(のうりょうゆか、のうりょうどこ)」ではないでしょうか。河畔に建つ料理店やお茶屋、旅館などが、川の上や、野外の川のよく見える位置に座敷を作り料理を提供するもので、「川床(かわゆか、かわどこ、ゆか)」とも言います。中でも規模の大きい「鴨川納涼床」の始まりは江戸時代とされ、裕福な商人が夏の遠来の客をもてなすのに五条河原付近の浅瀬に床几(しょうぎ:折りたたみのできる床机)を置いたことからと云われます。雑誌『旅』1977(昭和52)年8月号に掲載されている「鴨川の納涼床」という記事には、「戦後の最盛期には100以上の川床がならんでいたが半分の50軒ほどになってしまった」との紹介があります。現在は90軒ほどといいますから、暑い京都ならではの涼の楽しみ方として生まれた川床は、今日、その魅力が再認識されてきているといえそうです。

 また「貴船の川床」は川の上に床を作った自然情緒あふれる床、「高雄の川床」は川に張り出すように高い位置にたてられた屋根付きの床であるのが特徴で、それぞれ趣が異なっていているのも面白いところです。

 こうした「納涼床(川床)」には、厳しい夏の暑さを受け入れつつ、付加価値の高い涼の楽しみ方へと変えてしまう京都の人々の暮らしの知恵が生かされており、日本人がもつ自然とのつきあい方や感性が見事に映し出されているといえます。

暮らし文化から地域を理解する観光の楽しみ方

 地域が違えば文化も違います。それはどこの国でも同じかもしれませんが、多様な気候風土をもつ日本では、ことさらその違いが地域によって大きく、四季の変化も加わって実に多様です。このことは、日本が何よりも誇るべき点の一つではないでしょうか。快適な場所での避暑もいいですが、どうせ暑いのなら、時にはその暑さを実感しながら、そこに住む人たちの暮らしの知恵や工夫に出会えるような体験をしてみてはいかがでしょう。その方が、その地域やそこに住む人々をより深く理解することにもなるでしょう。暑い日本を訪れる海外からの旅行者にも、ぜひ日本的な夏の過ごし方を味わっていただきたいものです。

 しかしながら、日本のこうした豊かな感性の中から生まれた季節の楽しみ方や知恵は、生活スタイルや文化の均一化・画一化が進む中で次第に失われてきており、地域の人の意識も希薄になっているように思われます。

 それだけに、今、多様な気候風土の中で知恵として生まれた季節を楽しむ文化を、地域それぞれにじっくり探してみてはいかがでしょう。それは、必ずしも夏に限ったものではなく、四季折々の中の暮らしの知恵や風習、祭りであったり、食(料理)や遊びの中にあるものであったりするかもしれません。