仮想現実と観光の未来 [コラムvol.306]
Hololensの動画(公式HPより)。

 「電脳コイル」をご存知だろうか。2007年にNHK教育テレビジョンで放送されたアニメーションだ。

 一見普通のメガネにみえる「電脳メガネ」が普及した世界が舞台で、電脳メガネをとおして現実とコンピュータグラフィックスによる仮想現実の世界が重なって見える。普段の町が、メガネをかけた人には、仮想現実の情報や生き物(電脳ペット等)が住む世界になる。この世界の中で、主人公の優子(ヤサコ)と勇子(イサコ)は互いに反目し合いながら、イタズラ、友情、裏切り、恋愛、そしてある2つの死亡事故とともに失われた記憶の真相に迫っていく。

 近年、アニメの世界に留まらず、こうした仮想現実の世界が具現化しつつある。1980年代後半に一世を風靡した「バーチャルリアリティ(=VR)」を覚えておられる方は多いかもしれないが、当時とは比較にならないほど技術が進化している。

 例えば、最近マイクロソフト社が発売した「Hololens」という「電脳メガネ」だが、PR動画(図1)を見てほしい。このメガネは、周辺の立体構造を高速で読み取り、その構造に合わせてコンピューターグラフィックスで作ったボタンや模型などを配置し、両眼立体視の要領で表示する。

 もっとも、これはあくまでPR動画であって、まだここまでリアルではないようだ。だが、ここで示されたイメージは、先述の「電脳コイル」の世界そのもののように見える。

 こうした仮想現実を活用した技術は、遠くない将来、広く一般の暮らしの中に普及するのではないかと期待している。その時、観光はどのような姿になるのだろうか。

超現実体験や疑似体験の技術革新が先行しているが・・・

 まず、現在最も熱心に開発されているのが、仮想現実を活用して実際には体験不可能なこと—宇宙や深海の探検、ファンタジーやロボットアニメの世界等々—を体験する技術だろう(図2)。ヘッドマウントディスプレイ(=ゴーグル)を付けて仮想現実の世界に没頭する方法が最近の主流だ。

パナソニックの「VR ZONEProject i Can」。ホラーやロボットアニメの世界を体験できる。

図2 パナソニックの「VR ZONEProject i Can」の体験メニュー。ホラーやロボットアニメの世界を体験できる(公式HPより)。

 家庭用ゲーム機だけでなく、博物館・美術館、ビジターセンターなどの映像展示が、仮想現実を活用して魅力的な新しいエンターテイメントのなるかもしれない。 

 また、スキーやパラグライダー、登山あるいは海外旅行などの疑似体験もできるようになるだろう(図3)。

パナソニックのVRスキー体験マシン

図3 パナソニックの「VR ZONEProject i Can」のスキー体験VRマシン。リアルな迫力に悲鳴があがる。ギブアップ(装置の緊急停止)をする人もいた(著者撮影)。

 病院内のリハビリテーションやスポーツクラブでのウォーキングマシンと融合し、仮想現実の街を散歩したり、サイクリングすることもできそうだ。全国の観光地には、仮想現実コンテンツの撮影や取材のために、ロケハンが訪れるようになるだろう。

 こうした方向には、新たな可能性や魅力を感じる。しかし、現地へ出かける必要や機会も奪いかねない面もある。ある意味では、観光の強力なライバルが生まれつつあるともいえる。

仮想現実が観光地の楽しみ方を深化させるかもしれない

 これに対して、マイクロソフトの「Hololens」や、ソニーが開発中の透過式メガネ型端末『SmartEyeglass Developer Edition』(図4)といった、現実世界に仮想現実を重ねる技術は、「観光地」の楽しみ方を変えるかもしれない。

ソニーが開発中の透過式メガネ型端末『SmartEyeglass Developer Edition』。

図4 ソニーが開発中の透過式メガネ型端末『 SmartEyeglass Developer Edition』(公式HPより)。

 この場合、現地に実際に訪れることが基本だ。仮想現実・複合現実を使うことで新たな地域資源の見せ方—過去の地形や歴史など“見えないもの”を分かりやすく伝える手法—になりうる。個人的にはここに期待したい。

 例えば、屋外で実際の景色に昔の街並や地形のイメージを重ねたり、歴史的建造物の暮らしぶりを見せたり(図5)、城址に天守閣のイメージを重ねるといったような、時空を超えた体験ができるようになるかもしれない。

図5 バルセロナのカサ・バトリョのVR。建物の模型を見ると、中の暮らしがVRで透視される。

図5 バルセロナ(スペイン)の カサ・バトリョのVR。建物の模型をタブレット越しに見ると、中の生活の様子が動画再生される(著者撮影)。

 NHK「ブラタモリ」の、過去に想いを巡らせるシーンで使われるコンピュータグラフィックス(かつての東海道の賑わいや暗渠の川の流れといった“見えないもの”)は、番組を見ている私達の想像力を助けてくれるが、これをガイドの解説と合わせて、現場で体験するといったことも考えられる。

 また、道案内や、現地の公用語が堪能でない旅行者への情報提供のしかたも大きく変わるかもしれない。

 看板の代わりに表示をON・OFFできる自国語表記の電子看板が表示され、電脳コンシェルジュや電脳ペットが、英語や中国語などそれぞれの言語で、お勧めの見どころや、立ち寄るべきレストランを教えてくれる。障害がある人へも、個人個人に合わせた情報が必要なタイミングで提供される。

 大変わくわくする未来ではないだろうか。

技術的ブレイクスルーへの期待

 ただ、こうした未来の実現には、軽くて見た目も悪くない安価な電脳メガネが個人に普及することや、簡易かつ安価に仮想現実コンテンツを作れる環境やソフトウェアが不可欠だ。

 残念ながら、現時点では実現へのハードルは高い。例えば、例に挙げたマイクロソフト「Hololens」は価格が3,000米ドルと高価で重さが579gもある。これを身に付けて旅行する人はほとんどいないだろう。仮想現実コンテンツの制作には高額な開発費がかかるのが実情だ。

 しかし、これまで私たちが何度も経験してきたように、インターネットやスマートフォンのような技術上のブレイクスルーが起これば世界は一変する。夢物語とは言い切れない。

 今年は「VR(バーチャルリアリティ)元年」といわれている。新技術の実現がとても楽しみである。

参考