不透明な先行き
2019年末、私は、本コラムで「令和時代の観光地域づくりに向けて」というタイトルにて、オリパラを迎える日本観光の発展に向け、観光産業クラスターの形成の必要性を指摘した。
その後、世界は、COVID-19の襲来を受け、国際旅行は壊滅。オリパラも延期となった。
コロナ禍は、複数の波となって世界経済を襲い、未だ、その終息は見えない。各国で開発された複数のワクチンが、この現状を変えることが期待されているが、不確定要素が多く、将来を確度高く見通すことはできない。
コロナ禍で見いだされた観光の特性
コロナ禍は、間違いなく、災難であるが、我が国の観光振興において有益な事項もあった。
まず、「観光」の地域経済における重要性を多くの人が認知する機会ともなった。これまで「観光は所詮…」と思っていた人々も、観光が止まったことで、玉突きのように地域経済が止まっていく姿を目の当たりにすることで、観光活動によって、様々なモノやサービスが売買されていたことを認識することとなった。
次に、「内需」の重要性認知につながったということにある。我が国の観光は、近年、インバウンド、すなわち外需に強いフォーカスが当たっていた。これは、輸出産業として観光を捉えれば、重要な視点であるが、自動車産業がそうであったように「内需」は、国際的な競争力を得るための予備予選のような存在である。コロナ禍は、この「内需」の重要性に日本社会が、気がついた1年となった。
そして、その「内需」は、需要側への経済的な支援によって、大きく伸長させることが出来るということも明らかとなった。2020年7月下旬から始まったGoToトラベル・キャンペーンは、東京都が対象地域に加わり、地域共通クーポンが展開された10月頃から爆発的に普及し、多くの地域、事業者がコロナ禍で失った需要を取り戻すことに繋がった。
観光に対する古くて新しい問題の現出
他方、感染症拡大という視点でみれば、観光が否定的に捉えられることにもなった。観光は、これまで、積極的か消極的かの違いはあっても、観光振興自体が否定的に捉えられることは少なかった。しかしながら、今回のコロナ禍においては、旅行者がウイルスを拡散させる存在とされ、それを拒否する動きが顕在化した。これは、COVID-19の感染力の高さが原因ではあったが、もともと、コロナ禍以前、一部地域では、観光客集中に依る問題が生じており、また、インバウンドの伸長による文化衝突、ハレーションも起きていた。これらは社会にストレスとなって蓄積されており、それが、コロナ禍によって噴出したと見ることもできる。なぜなら、仮に、インバウンドもほとんどなく、国内需要も低迷していた2000年代前半に、同様のことが生じていたら、ここまで大きな社会問題とはならなかっただろうと推測できるからである。
すなわち、コロナ禍は、観光の経済面での有用性と、地域コミュニティとのハレーションという観光振興が抱える古典的な問題を、より難易度の高い現代問題として現出させたことになる。その背景に、観光の存在感が日本経済において増してきたことがあることは、皮肉といえば皮肉である。
ポスト・コロナに向けた取り組み
コロナ禍が、いつ、どのような形で終息していくのかを見通すことはできない。
ただ、確定的に言えるのは、観光振興とコミュニティとの協調という古くて新しい問題への対応が必要となるということであり、そのためには、近隣市場の人々とのコミュニケーションを取っていくことの重要性が高まることになるだろうということである。なぜなら、多くの場合、「不信感」というのは、コミュニケーション不足に起因するからだ。
言い方を変えれば、観光に対してコミュニティが感じる不信感というのは、地域住民が、自地域の観光を楽しんでいない、観光事業者のことを知らないことから生じていることが多い。例えば、温泉地の近傍に住んでいながら、(長期間に渡り)温泉旅館を利用したことが無い人々も多い。
実のところ、コロナ禍に関わらず、1年の間に宿泊観光旅行を楽しんでいる人々は、国民の半数に過ぎない。さらに言えば、国民の3割で、国内市場の8割を占めるという寡占状態にある。つまり、観光は多くの人が欲する活動でありながら、ほとんどの国民は、数年に1度、実施するかしないかという活動となってしまっている。この矛盾から生じるフラストレーションが、社会に存在していることを認知すべきだろう。
この矛盾の主たる要因は「経済要因」。すなわち、家計的に宿泊観光の支出が難しいことになる。我が国の経済状況は、決して楽観できる状況にはなく、観光に対する経済的なハードルは高まることはあっても下がることは無いだろう。内需に対する対応を、おざなりにしたまま、インバウンド主体の観光振興を進めていけば、いずれ、観光に対する国民の支持を失うことにも成りかねない。
観光振興の枠組みの再構築
欧州には、ソーシャルツーリズムという概念があり、低所得者層でも観光に出かけられるような支援措置を講じている国がある。これは、人々が観光を行う権利を担保するものだが、これが、人々の自地域の観光に対する経験値を高め、同時に事業者の閑散期対策にも繋がっている。コロナ禍という観光に対する期待と不安が交差している時期であるからこそ、内需にも目を向け、単なる経済政策にとどまらない、国民のライフスタイル、文化としての観光、持続性のある観光について、今一度、発想を組み直していくことが必要ではないだろうか。